立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

若さ、二周目

個人差はあるものの、若い男子は欲求の塊である。人間には三大欲求というものがいい意味でも悪い意味でも付き纏い、食欲や睡眠欲や性欲を解消するために毎日を生きる時があり、それが若さなのでは、青春なのではないかと。お兄さんと呼ばれると少し恥ずかしいが、おじさんと呼ばれると引っかかる、そんな曖昧な年齢になり、そう思うようになってきた。
私は20代後半に差し掛かろうかという時には食欲がとめどなく溢れていた。少し厄介なのが、美味しいご飯を求めていたのである。腹が満たされるのが最低条件、心も満たすことが出来てようやく欲求解消である。
金がなく特定の女性もいなかった私にとって、埋まりようのない性欲の分、日の半分は余った時間の埋め方と空腹を満たす事に頭を悩ませていた。

困った時のラーメン頼み。ラーメンは食欲を抑えるのにコストの面でもテイストの面でもこれ以上ないパフォーマンスを発揮してくれた。現在でも、大盛りにしてトッピングを追加して、これ以上は無理というほど食べて、それでも1000円を超えない、貧乏人もお金持ちも関係なし、同様の満足を得る事ができるサービスを提供しているお店も数多く存在する。ブームという言葉が何処と無く好きになれない私なのだが、ラーメンブームにだけは首を縦に振らなければなるまい。それほどお世話になってきた。

私が20代の半ばを過ごした地域は長い間ラーメン不毛の地と呼ばれていた(らしい)が、ちょうど私の食欲の暴走が止まらない頃に、評判になるラーメン屋があちらこちらに出来始めた。残念ながら金を掛けずに女子と楽しい時間を過ごし、性の欲を満たす方法を持ち合わせてはいなかったのだが、そんな時にたまたま見つけ、できて間もないラーメン屋での美味しいラーメンが食の欲は満たしてくれたのだ。これがラーメンにハマった瞬間である。

そんな不毛の地で毎日、必ずと言っていい程行列を作り続けたつけ麺屋があった。過去形なのはすでに閉店してしまったからである。そのお店の営業はお昼の時間帯のみで、列に加わる事ができるのも当然の如く休日のみとなるのだが、並びも強烈なものとなる。

ラーメンは好きだがつけ麺は美味しいのだろうか、何十分も並んで食べたいと思うのだろうか、そんな思いでもんもんとしていたある日、友達と並んでみようかという事になった。1人では並ばないが友達と一緒なら、まあ、いいかという軽い気持ちで並ぶ事にし、開店数分前に店に着いたのだが既に10人くらいの並びができていた。

食券を買い、列に並ぶと、えらくハキハキと、にこやかにやけに親しく話しかけて来るお姉さんが食券の回収と麺の量の注文を取りにきた。普通盛りと大盛り、どちらも値段が一緒らしい。それならばと大盛りを頼み、待つ事数分で席に着くことができ、早く来た甲斐があったねなんて雑談をしていると、つけ麺が到着し、待ってましたと言わんばかりに食してみると、これがまあうまい。なるほどなるほど、あれだけ並ぶのも納得、待った甲斐があるよ、ご馳走様美味しかったです、と食の欲を満たしてもらい、にこやかに店を後にした。

近くのコンビニで缶コーヒーを飲みながら、ぼんやりと余韻を楽しんでいたのだが、しばらくすると誰が言い出したかもう一回行く事になった。食欲が湧いて捨てる程あると言っても、さすがに立て続けには無理だろうと不安になりながらも、立地は悪く次いつ来る気になるかはわからない、もし来たとしても性格上、行列を見て引き返す事もかなりの確率で考えられる。若さからくるノリもあって、もう一度行く事にした。

行列はさらに長くなっているが、今回ばかりは待ち時間が長くなるとありがたい。後ろは気にしなくていいから、ゆっくり食べなよと、頭の中で前の人達への自分本位から来る気遣いをしているところに、再びあの明るい店員さんがメニューを聞きに来た。日に2度食べに来る客はそうそういないのか、それとも私達の印象が薄いのかは分からないが、2度目だということに気づいていないらしい。お兄さん達若いから大盛りでいいですか、大盛りでも値段が変わらないんです、飲み屋のキャッチよろしく目をキラキラさせて話しかけてきたが、今の私達は並盛で十分。大盛以上の満腹感を得られる確信があったのだが、ノルマでもあるのかと言うほど、食い下がられたが、断固として譲らなかった並盛り。お姉さんの寂しそうな本当にー?がとても胸を締め付けた。この一言にお姉さんの味への自信、お客様へのサービス精神、そしてお店への愛が垣間見る事ができた。

今度来た時は必ず大盛りをお願いしますが、お姉さんごめんなさい。僕たち本日2周目なんです。今回だけはご勘弁願います。

原因が知りたい

今私は、生きた心地がしていない。

 

もしも意気投合していた気になる女子が急にそっけなくなったなら、好きな男ができたんだろう、見る目ないなぁなんて負け惜しみの一つも言えるし、スタバの店員さんの目線が鼻から下にチラチラいっていたなら、ははん、鼻毛出てんなこれは、なんて逆に肝が座るもんである。

何事も心当たりがあったならある程度の予測ができるし、少しは安心できただろう、と思うのである。

 

朝起きて、よく寝たなぁと伸びをして、コーヒー入れてベランダで一服。今日も1日始まるのかと、仕事へ行く準備。自転車で職場に向かい、着くと同時に死んだ目をしながら仕事開始。1日息をするように、何も考えずに、存在感を限りなくゼロにしながら事務作業して、疲れたなぁとあくびをした頃には夕方も4時を過ぎていた。もう少しで帰れるなんて考えている時に異変に気付いた。

 

背中が相当痛いのである。急に痛みが走ったのではなく、じわじわと来る痛みで、いつから痛かったのか覚えがなく、原因についても全く心当たりがない。可愛い女子にいい所見せようと張り切って慣れない15号球でボーリングしたなら、あるいは全盛期のガットゥーゾに背中を蹴られたというのであれば、話は早い。全く身に覚えなく、1日事務作業に徹していただけ、立つ、座る、電話取る、パソコン叩くを繰り返しただけでこの痛み。

 

不安である。

 

まだまだ若いと言われることもあるが、それは社会に出ている人の中でのことで、40歳以上のベテランと比べてであって、20代の頃よりも確実に色んな所が弱っているし、10代からすれば、ただのおっさんで、パパと呼ばれてもおかしくはない年齢である。突然ガタが来る事もうっすら噂で聞いていたが、あまりにも唐突で、予想の範疇を超えるガタつきとなると、加齢によるそれと言われてもしっくり来ず、むしろ大病と言われた方がつっかえが取れる、そんな心地で過ごしている。

 

私の性格上、本当に動けなくなるまで医者には行かないだろうし、不安は不安でもそう簡単に死にはしない、コリ固まった筋肉が原因なんだろう、なんて楽観視する一面も少なからずあるし、できる限りでストレッチでもして温かいお風呂にでも入ればあるいは、なんて思っている次第である。

 

このままなら、体調が悪い時の神頼みが本日も始まりそうである。

 

神様お願いですから、治してください。日頃から感謝の気持ち忘れずに、毎朝お天道様に向かって両手を合わせます。心入れ換えますので、お願いします。もう体調不良はすっかり コリ ました。

 

さて、本当に背中が心配なので、明日も悪いようなら、お医者に行って診てもらうとします。それでは皆さまお元気で。

面白い話をしたがる外国人

そこそこの年齢になり代謝が落ちてくると、次の日の二日酔いがキツくなり、必然的にお酒の量やお店でだらだらする時間が減少の一途をたどってはいるのですが、10年近く前は休みの度に酔わなければ、楽しまなければ損な気がして、明るくなるまで飲み明かすのが趣味でした。


だいたいは決まったお店で飲んでいたのですが、常連さんと仲良くなってオススメのお店を教えてもらって、たまに気が向けばそのお店へ行ってみて、を繰り返しながら徐々に行動範囲を広げていた気がする20代でした。


いろんなお店にはいろんな人がいるわけで、ほとんどはお話もしないのだが、たまには話しかけたりかけられたり、それで仲良くなったりもあったのです。中には1人で飲みに来ている外国人なんかもいて、お互いの言語が片言であっても、ビールとテキーラそして世界共通のミュージックがあれば話は通じずとも、心を通わせるのは容易いことだと知ったのはその頃でした。


夜もお酒も深くなってくると、調子付いた外国人クレイグはファニーなストーリーがあるから聞いてくれよ、何て言いながら寄ってくる。片言の日本語で一生懸命に話してくれるのはありがたい。必死で伝えようとするから、その想いは国境を超え、間違った日本語でも意味はわかります。最後の落ちで興奮して早口の英語にならなければ、きっと面白かっただろうに。


相手の気分を損なわない程度の愛想笑いでやり過ごし、二日酔いも何とかやり過ごせたなら、英語を少しは勉強しようと思います。それでは。

 

日帰り旅行

雨男、雨女なんて言葉は信じてはいないし、雨なんか降るときは降るもんだ、急な雨が悪い訳じゃないし、その時傘がなければ仕方ない、濡れながら帰ってシャワーしたらいいじゃない、とそんなスタンスで天気と向き合って来ました。生まれてから30手前までずっと北陸で育ってきたんだから、晴れてる方が珍しいくらいの気候に慣れてるもんですし、天気が悪くても気分の浮き沈みにはそんなに影響しないんです。

2人で暮らし始めてからは、外食は月1回に決めたし、毎週行っていたバーも月に1〜2回しか行っていない。私の貧乏性な性格が彼女に伝染したらしく、自然と節約生活になっていたので、たまには贅沢しても、慰安旅行くらいしてもいいだろうと、1月に決意し、2月にレンタカーを予約して、福井にカニを食べに行く事にしました。

で、数年に1度の大寒波である。

ただ、京都は雪が積もってなかったし、福井はダメにしても三重くらいは、大丈夫だろう。伊勢神宮でお参りをして伊勢海老や海鮮を楽しむのもいいんじゃないかと、レンタカーでドライブ楽しみだね、寒さなんてへっちゃらだねとウキウキワクワクレンタカー屋さんに向かいました。

どこに行かれるんですか?

伊勢神宮に。

無理です。

ウフフ、アハハで浮かれ気分な30代が、プリンを落とした少年少女のように静かになりました。北がダメ、東がダメなら南へ行けばいいじゃないか、和歌山あたりでも、きっと美味しい魚は食べられる。越前蟹の分、他で贅沢すればいいんだと、ドライブするだけでも楽しいんだと、感情を押し殺して、素直になれない思春期の女子のような気持ちのまま車を走らせました。

サービスエリアで食べるアメリカンドッグは、サイズの割に値段が高いし、そこらにあるチェーン店の牛丼の方が価格も量も腹持ちも上ではあるが、コンビニで買うそれよりも2割り増しで美味しく頂けるのは、やはり旅行気分だからではないでしょうか。どん底だった気持ちも、高速にのったあたりから、旅行気分のおかげで、再び昂りつつあるのでした。

目的地の和歌山は寒くはあったが、予想通りのいい天気で、海の側をドライブしたり、市場で買い物をしたり、市場のレストランで美味しい海鮮丼を食べることもでき、なんだかんだで楽しむことができ、いい1日だったねなんて言いながらコストコで買い物を終えて帰ってきたのです。

が、家に着くやいなや突然の腹痛である。

アメリカンドッグの油が良くなかったか、海鮮丼のウニか、串で食べたイカか、はたまた一瞬でも天を、神を呪ったバチがあたったか。

乗り越えれば乗り越えるほど成長できると、誰かが言っていた気がするけど、成長よりも整腸の方が今の私には大切なので、正露丸飲んで下着を1枚多く着て眠るとします。それでは。

 

カッコの付け方

昔でこそムースやジェル、ワックスなどで髪を整え、カッコ付けていた事が私にもありました。1人でも多くの女子にモテたいと思ってました。これは決して非難されることでもないし、恥ずかしがることでもない。子孫繁栄が宿命づけられた生き物なのだから異性を意識し、惹きつけようとするのは至極真っ当なことだと私は思う。

だが何故だろう。カッコ付ける行為がカッコ悪いとされてしまう風潮が存在する。事実、私自身もカッコをつけていた若かりし頃は、いい思い出と言えばいい思い出なのだが、恥ずかしくもあり、1人思い出し頬を赤らめてしまう事もある。バーで隣になったかわいい女子に、自分から昔はこんなカッコの付け方していたんだよ、どうだい今夜、なんて口説き始める事はまず無いし、同級生に昔はこんなだったなと言われても、そんな事もあったね程度に留めておきたい、できるなら深くは探られたく無い部分でもある。

去年惜しまれながら引退したハマの番長の三浦と言えばリーゼントである。昔の不良がこぞってキメていた髪型ではあるが、お世辞にもお洒落とは言い難く、モテようと思って整髪料に大枚をはたき、日に何分も消費してリーゼントにしようとする大人ははたして何人いるだろうか。もちろんその心意気は素敵ではあるが。

このハマの番長、詳しくはわからないがずっとリーゼントである。野球はたまに気が向いた時しか見ない私だが、それでもハマの番長くらいは知っている。横浜一筋リーゼント一筋の三浦選手は人間として、リーゼントを含めて、とても魅力的がありカッコいいことは言わずもがなである。ブレずに続ける事は周りの固定概念すらも変えてしまう力を持つのではなかろうか。

私も三浦選手のように、ブレずにカッコつけていればもう少し違っていたかもなんて妄想しながら、明日に備えて本日も眠るといたします。それでは。

臭みがなさすぎて

臭みについてここまで考えたことはなかったかも知れない。

臭みは苦味や渋味などと同じく、多くの場合、食事で得られる“おいしい”の邪魔をし、感想を聞かれた時、困った末に、“クセがある”とあいまいな表現でごまかされて嫌われることも多い。

コーヒーやお茶はクセを楽しむものでもあるし、苦味や渋味の奥にある旨みや違いがわかる人は、流石だなという目で見られる事もあり、必要悪と言えるのではなかろうか。

おそらくは嫌いな食べ物を挙げた時の理由で常に上位に位置するのが、今回テーマにあげた臭みである。学校一の美人で勉強、スポーツが万能で、性格も良く、男女問わず人気がありモテモテなのが香りだとすると、体育館の裏でタバコを吸っては、喧嘩して、誰にも心開かず仲良くならずに忌み嫌われているのが香りの双子の弟、臭みと言ったところだろうか。

オシャレなカフェで飲む紅茶の香り、採れたてのグレープフルーツが醸し出すのは香り、和食の命であるお出汁から立ち昇るのは香り。腐りかけの食材の臭み、嫌いな人にとってはパクチーの臭み、好きな人にはパクチーの香り。ざっと、香り、臭みの例を挙げるだけでもポジティブ・ネガティヴではっきりと分けることができる。

私の出身は日本有数の美味しいお魚が食べる事ができる地域なのだが、京都に移り住んで、同じ日本なのにこんなにも違うのかと思ったのが、生のお魚である。京都は好きだし、和食の本当の美味しさは京都で知ったし、ちょっと値がはるお店でもそれ以上の価値があったと満足できるお店は数知れずあることもわかっている。だが、無礼を承知で述べさせてもらうが、安いお店の生のお魚は論外、お魚が美味しいとされる人気のお店でも可もなく不可もなくで、もちろん満足行く生のお魚が食べられるお店もあるが、それはごく少数派である。

京都市は海が遠く、魚を運ぶのに時間がかかってしまい、鮮度を追い求めるのには、やはり限界があるために致し方ないためであるが、鮮度を失ったお魚を口に運ぶときのその臭みがどうしてもおいしいという言葉を遠ざけてしまう。悪気はないのに、少し自己主張をしただけで忌み嫌われてしまうと、人気者の姉のように好かれなければ、それはグレてしまうというものである。

だが、京都に住み始めて三年強、初めてこの臭みに光が当たるのを私は見た。サラリーマンで言うと定年間近の、小さな洋食屋をやっている夫婦が悲しい運命の臭みに手を差し伸べていた。

ランチのハンバーグ定食を美味しく平らげた後の世間話で、私の出身が石川県だと告げると、そこから話が広がった。この夫婦は何度か能登にドライブに行ったり、過去に雇っていたバイトが石川出身だったりと、何かと縁があるらしい。当然お魚が美味しいという話になるのだが、マスターが、

魚美味いけど、臭みがなさすぎて白身魚がどれも同じに感じんねん。

臭みにより魚の個体を識別できる、臭みが魚の特徴になっていたか、なるほどなるほど。まさかお刺身の天敵である臭みがそんな仕事をしていたとは。無ければ無いほどいいと思っていたものが、必要な人には必要な事もある。魚だけに目からウロコだった。

臭みも必要悪のカテゴリーに放り込んだところで、なんだかすっきりできたことだし、今夜も風邪をひかぬよう暖かくして眠るとします。それでは。

シャッター押します

どう答えるのが正解だったか。

すみませんが、シャッターをお願いできませんか?

友人の結婚式二次会の開始前、隣のテーブルの一際綺麗な女性に、二次会だからと言って酔っ払い振り切ったテンションのバカ丸出しのトーンではなく、一晩で10枚20枚が当たり前の格式高いクラブのママはきっとこんななんだろうと思わせる落ち着いたトーンで頼まれたなら、シャッターだけじゃなく、そこそこリスクのある、あなたのイニシャルのタトゥーくらいなら掘っても構いませんという気持ちで引き受けたのが、もしや間違いだったのかも知れない。下心が全く無かった、あわよくばの想像はしなかったと言えば嘘になる、正直お友達から始めませんかと口から出かけた、そんなほんの僅かに不純な心の濁りを神様は見逃さなかったのだろう。

試練を与えられた。これ見よがしに私も私もと、目の前に積まれたデジカメとスマホの数は軽く10は下らない。カメラはグループに一つだけ、スマホの人はLINEとかでみんなで共有して下さいと。そう言えばいいじゃないと言われそうだが、私はなかなかの人見知りで数を成す女性が大の苦手なのである。物心ついた時から人並みとは言わずとも女性とお付き合いしてきたし、振られたこともあれば振ったこともある。ありがたいことに年齢もそこそこ重ねて今はおっさんに片足、否、ほとんど両足突っ込みました。そろそろ慣れてもいいんじゃないの? と二十歳そこそこの男女に笑われそうだが、こればっかりはどうしようもできないのだ。

冷や汗かきながら一生懸命カメラを消化中に、遠くから怒りと悲しみ入り混じった、ボケてるし、が聞こえた私は一体どうすれば良かったのか。LINEはなんのためにあんだよ、バカなんて言えたら少しは気が晴れただろうか。誰か教えて下さい。

たっぷりとヒゲを蓄え、地図持ったbigな外国のmanにSpeak English? と問われ、親指と人差し指でCを作りながら Very little.と答えると Me too.Hahahaで肩をガシッと組まれた時は何て答えるのが正解だったのか、だれか教えて下さい。

こんな私で良かったら、シャッターくらいは押しますし、道もなるべく丁寧に教えます。だから少しだけ優しくしてねと、星空見ながら今夜も枕を濡らして眠るとします。それでは。