立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

見た目にこだわるのも

メガネをかけているから頭が良いとは限らないし、デブだからと言ってバック転ができないとも限らない。Tシャツジーパンで高座に上がっての落語はいくら面白くてもピリッとはしないし、タキシードでコーヒーを注がれると2割り増しで美味しく感じてしまうこともあるかもしれない。


見た目は重要である。人を外見で判断するなとは言うけれど、それは確かにそうなのだが、見た目もやはり重要ではなかろうか。


お腹がポッコリ出ている人には重要な試合のサイドバックは任せられない。長友や内田のように縦横無尽に走り切れるとは思えないし、1番手が骨折、2番手が肉離れ、3番手がインフルエンザときてもチャンスはまだまだ巡って来ない。4番手が股関節痛、5番手が…とその前にベンチにすら、選考会で名前すらあがらない。トレーニング不足が見た目に出ている、お腹ポッコリではまずサイドバックは無理なのである。それならば走れそうな痩せを置いておいた方が相手にとって多少は、プレッシャーをかけれるもので、ポッコリは論外、即退場、生卵投げられて試合終了であるが、それは事サッカーに関してである。


一歩スタジアムの外に出て、ポッコリお腹がハンバーガーを作っていると、頼んでみようかなという気にもなるし、ポッコリだらけが並ぶ焼肉屋さんは量、味共に◎なのだろうと勝手に決めつけてしまう。


ポッコリお腹も使いようによっては人の役に立つに違いない、自信を持てば、活きる舞台に立てればいいよと、着れなくなったやや高めのスーツがそう語ってくれている気がするが、きっとそれは気のせいで、来月出席する結婚式に着ていく服がないし、ジョギングしようと思ったが、今夜はもう遅いのでジョギングした気になって眠るとします。それでは。

少年時代の床屋では

小学校の時に行っていた、どこにでもある昔ながらの床屋では、どう頼んでも帰る時には角刈りにされた。

 


いつも母親に1500円だったか2000円だったかを持たされて、行ってこい、予約してあると、ぐいぐい背中を押されて重い足取りで向かった記憶が蘇る。それが低学年の頃なら足取りもまだ軽かったが、高学年になると女子を意識しだし、少しは髪を伸ばしてオシャレがしたくなった。角刈りではオシャレのオの字も出てこないし、厳しかった校則のギリギリを攻めるような、憧れの少しアバンギャルドでワイルドで、女子の話題の的となるような髪型は、ブラジルどころじゃなく、月より遠い叶わぬ夢だった。

 


髪を伸ばしたいと世間話がてら遠回しに伝えてみても角刈り、裾を少し切るだけでいいのでとお願いしても角刈り、今日は長めでとしつこく強めに頼んで、ようやく少し長めの角刈りとなった時には、見えない所で大人の力が働いていると感じたし、一世一代の長い戦いに終止符がうたれ、初めての挫折を味わった気がした。

 


それはそれは髪を切るのが嫌で嫌で、次の日学校に行くのも嫌になるのは当然の論理であることを、世のお母ちゃん達に伝えたい。散髪は嫌だと駄々をこね、お腹が痛い、学校休みたいと言うその子は、周りの異性の目を気にしている、おしゃれに目覚めたのだなと温かく見守ってやって欲しいと思う。今は生きることで精一杯な戦後ではなく、不景気だと嘆くことが出来るくらい豊かな時代になった。子供だから見た目なんてどうでもいいと言うのは論外、短ければそれで良しとし、本人の意向を無視した「とにかく短く」で予約してしまうのは、あまりにもかわいそうな、悲惨な事をしてることに気づいてほしいと切に願う。

 


本来なら今回はクラシックシェービングについて語りたかったのだが、クラシックシェービングとの初めての出会いはその床屋で、当時は産毛を剃っていただけだったと思うのだが、その瞬間だけは好きだったなと考えているうちに話が髭剃りだけに ソレ てしまったので、この話はまた今度にするとして、今夜はキンキンに冷えたビール片手にうたた寝したいと思います。それでは。

帯に短し襷にも短し

毎月の支払いにいつの頃かヤフーが含まれ、それが当たり前となっている。電気代やガス代、携帯代に比べたらそれはいい意味で比較にならないくらいの金額で、私の性格にぴったりな、ほったらかしになるくらいの額だからタチが悪い。


初めは映画見たりオークションとかやりたいと思ったし、月あたりの金額もこのくらいなら致命傷にはならない、逆に有効活用してやるよくらいに思っていたのだが、大きいのは志だけで、当時、他人からの評価が怖くて仕方なかった私は、1度たりともオークションに手は出さなかった。


そもそも何故こんな話かというと、知り合いとひょんな事からヤフオクの話になり、月に掛けてる4百ウン十円もバカにはならんよねが始まりだった。私の口座からは毎月1000円程引かれているような気がする。


ヤフーってそんなに安かったっけ、あれ、俺2倍払ってない、はたまたよくある抱き合わせ的なアレで無駄なやつにも登録してしまっているのか、どうなのよどうなのよと、朝からソワソワ落ち着かない。


人の2倍支払っている事になれば、無駄になる額も当然2倍。キャバクラやクラブであれば、その分ちやほやもてはやされ、アフター行けるの行けないの、なんて楽しい楽しいプロレスが始まるのだが、ヤフーに関してはちやほやは付いてこない。ただただ一企業の発展に貢献しただけである。


足枷になって生活にハリが出るというほどの額でもないが、月に一度の外食でデザートが一品多く食べれるくらいの額となるとやはり、放ってはおけないレベルなのだが、これは一体どうやったら内訳が見れるのだろうか。そもそもパスワードって何だっけ、なんてもたもたしてると夜も更けそうなので、とりあえずあきらめて放っておくとして、今夜もひたすら眠るとしましょう。それでは。

自己責任論

例えば不倫や暴力のように人を傷付ける行為は断じて反対であるが、競馬やパチンコのようなギャンブル、覚せい剤大麻のようなドラッグは、自己責任で完結できるのであれば、別にやっても構わないと私は思う。


法律については別に詳しくはないが、慎ましくをモットーにしていれば、ほとんど捕まる事はないし、学校で習った通りに過ごしていれば模範生なんて言われる事もあったりもする。詰まる所、やはり人への迷惑な行為が日本では悪しとされてしまうのである。当然と言えば当然ではあるが。


多くの人がそうだと思うのだが、アルコールが入ると人に迷惑をかけてしまう可能性が大きく高まる。お酒の場くらいはお互い様、過ぎた迷惑でなければ、終わりが楽しければそれで良しではあるが、急にもらった二連休前夜となれば深酒に次ぐ深酒で、軽妙なトークに花を咲かせようとも、帰った後の罰が怖い。


少し早く起きて、大阪に行く予定がバツ、いつもよりいいランチをする予定も二日酔いでバツ、そもそも起きるのがお昼過ぎとなれば、もはや自己責任で完結なんてできるわけもなく、起きた時にはバツが悪いが、それより何より彼女の機嫌が当然悪い。


これは一体どんな罰が待っているのかと思えば、罰は罰でも私の罰はマジックで顔に大きくバツである。


さて、二日酔いの日はいつもより眠気が早い事ですし、自分の戒めの意味の罰として、息苦しいほどピチピチのスウェットで今夜は眠るとします。それでは。

コーヒー豆。後引く苦味

飲み会の次の日はだいたい二日酔いで、眠りも浅く、ベッドから出てもソファで横になってダラダラ半日、下手すりゃそのまま一日中なんてこともざらではないのだが、その日はどこか違っていた。


清々しい朝だなんて思いながらスッキリと起き、いつもは遠慮するお酒の次の日の朝ごはんも美味しく頂いたし、苦味の強めなコーヒーも残さずに飲んだ。さらに休日ということもあり、体調も良好とあらば自然とテンションは上がり調子である。


普段は人見知りな性格から、道など訪ねられぬよう細心の注意を払って伏し目がちで町を歩くのだが、この日は違い、なんでも俺に聞いて来いと、ブラジルまでの道程くらいなら案内してやるよと、そんな気分ではあった。


人間気が大きくなっている時こそ、慎重に行動すべきである。


私のいつも買いに行く、気さくな店主とややテンションが低めな奥さんのやっている喫茶店のコーヒー豆は、程よい苦味とコク、ほのかに感じる酸味のバランスが絶妙なのである。その店の豆の買い置きが無くなり幾日か経ち、久々にあの味を求めて買いに行くと、この日はたまたま周年ということもあり、豆を安く売っていた。なんてラッキーなんだ、早起きは三文の得とはこのことかと、ホクホクした表情で店の門をくぐったのだった。


いつも対応してくれるご主人は喫茶の方で忙しいらしく、呼ぶと奥さんが出てきてくれた。いつもはそのまま豆を買って終わり、奥さんの接客からも、それが最も客としてベストな対応である事は間違いないのであるが、その時はやはり何処かおかしかった。朝起きてから初めて人と接する今が最も細心の注意を払うべきだった。


何を思ったか、周年という事もあり、いつもテンションがローな、おそらくコミュニケーションをそこまで望んでない奥さんに対して出た言葉が、お誕生日おめでとうございます、だった。対する奥さんは、抑揚のほとんどない、あぁ、ありがとうございます。


早々に恥ずかしさと後悔が押し寄せる中、いつもより多く豆を買ったのは、気が大きくなって調子にのっていたからか、私の周年を祝いたいという気持ちか、はたまた奥さんへの懺悔の気持ちかは定かではない。


いつもありがとうの感謝の気持ち、祝いたい気持ち、自分を呪いたい気持ちが見事にブレンドされたほろ苦い1日だった。


苦いのはコーヒーを口にしてからで、豆を買う段階は苦くなくていいんだよと、落ち込みながら反省をし、今夜も月の優しい明かりに包まれて眠るとします。それでは。

 

 

悪い波

カップ焼きそばが無性に食べたくなりまして。


自転車で近くのコンビニにフンフン鼻歌交じりで買いに行ったところ、100均で買ったお気にのライトの電池が切れていたのを思い出しました。何度100均に通ってもなかなか同じのが手に入らず、本当に気に入っていたものなので、電池を買い換えることにしました。


280円。


やっぱりライトより高いよなと思いつつも、引っ越しで捨てる予定だった家電がメルカリで売れたこともあり、全然余裕でーすとお菓子コーナーで悩む少年横目にカップ焼きそばと共にレジに向かいました。


会計済ませて、早速電池を交換しようと、コンビニ前でライトの電池を外すと、二枚重ねでセットしているタイプでした。もう1個必要なのかよ、100均で買えるものにいくら使うのよと思いつつもしようがないと再び店内に戻り、同じ電池を手に取り、お菓子コーナーで悩む少年横目にお会計を済ませました。


さっさと取り付けようとパッケージを開けようとするが、開け方がよく分からずモタつき、めくって開けるのではなく、電池を押して裏の厚紙を突き破るタイプだと気付いたのは、かれこれ3分もまごついた時だったでしょうか。


しかし、分かってしまえばこちらのもの、さっさと付け替えて家帰って焼きそば食べましょうと、ようやく電池を押し出すと、勢い余って電池はクルクルと宙を舞い、綺麗な放物線を描きながら、そのまま格子状の鉄の蓋にかすることもなく、スンッと溝に吸い込まれていきました。


ゴルフならホールインワン、水泳の高飛び込みなら10点満点ですが、ここはホールではなく、プールでもなく、飛び込んだのも新品の電池とくれば、文字通り私は今280円をドブに捨てたことになります。


お小遣い50円を握りしめ、お菓子を楽しみに近くの駄菓子屋に走ったあの頃なら、今も悩み続けているあの少年ならばきっと泣いて悔しがるのでしょうが、私も大人で小銭の稼ぎ方を知ってるつもりです。280円ぐらいならまだなんとか理性を保てるのですが、自転車乗るときに足を踏み外してこけたとなれば、なんかバチが当たった気がするので、今夜は正座したまま眠るとします。それでは。

メタボ以上デブ以下

体重計に乗ったわけではないのだが、ここ1年とちょっとで10キロ弱太っていると思われる。


昔から太りやすく痩せやすい、友達に久しぶりに会い、太ったねと言われたかと思えば、次会う時には大丈夫と心配されるほど痩せている事もあるのだが、今は確実に前者である。そしてこれからも前者のまま余生を過ごしてしまうのではないかと、いろんな事を諦めてもいい年齢なのではないだろうかと、自分には蜂蜜のように甘々な部分がお腹と共にぷくぷくと成長している真っ最中である。


独自の調査によると、痩せようとする動機は、服が着れなくなったが10%、健康のためが20%、モテたいが69%でオリンピックに出たいが1%であった。


例えば私のような、加齢と共に叶わぬ欲をなるべく排除した、痩せたとしてもモテたいとは思わない(モテないとわかっている)、悟り世代とやらにも劣らない、高僧のような大人な男は、できる事なら痩せたいが、そのために奥歯をギリギリ食いしばり、贅沢は敵だと書かれたハチマキ巻いて滝に打たれるような修行は、つまるところ痩せるための苦労はゴメンなのである。


痩せるため、無理するくらいなら、ストレスフリーなデブがいい。


私のように痩せ良しデブダメの風潮に苛立っている人も多いであろう。30代といえば寒ブリよろしく脂がのりにのった、日本の中枢を支えている世代であるが、予備軍含めたメタボの割合がグッと増えてくるのもこの世代である。日本を支えるのが忙しくて痩せる暇がないんだよ、と皮肉めいた一言を小さく放ったところで、変わらぬ世の中が目に見えてはいるが、東京ファーストやアメリカファーストなど小首傾げる言葉が世にはばかるのであれば、少しくらいは抗いたくもなる。


デブの観点からスパッと切れるナイフのように世論を切ろうかと思ったのですが、気が削がれてしまったので、続きはまた今度にいたします。幅があるとはばかれない時代の、デブ未満メタボ以上の嘆きでした。それでは。