立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

華麗に牛丼を食す

一昨日昨日と一気に済ませた引っ越しで、しばらく使われてはいなかった全身のあらゆる筋肉を無理やり叩き起こして酷使したせいもあり、懐かしさすら感じる筋肉痛のおかげで今日は起きることもままならなかった。さらに、ここ数年で疑う事すらゆるされないほど安定感のあるエース級に育ってしまった花粉症も出てくると、最も過ごしやすいとされる春の陽気でも、活動するのが億劫になるものである。


昔ほどエネルギッシュに休日を過ごせなくなったのは、加齢に他ならない。その現実を目の当たりにすればするほど、ため息ばかりが出るのではあるが、加齢によって、回数を重ねることによって得られる知識、それにより進化し確立されるスタイルも多くある。


その中の一つが牛丼の嗜み方ではないかと思っている。


若い頃はとにかく量。肉とご飯、さらにツユが多ければ多いほど幸福度は高まる事に疑いの余地はないし(もちろん今でもそれがいい時もあるが)、それを否定するつもりは毛頭ない。しかし、大人になり、徐々に量より質となった今は、野球選手がバッティングフォームを少しずつ変化させる如く、牛丼の嗜み方のスタイルが確立、完成に近づいていると実感している。


若い時ほどいかに貴重な牛のお肉を楽しむか、最後の一口までお肉と舌が接するように食べるのが牛丼の楽しみ方だと信じて疑わなかった、それがスタイルだったが今はむしろ逆である。まず、注文するのは並盛りで、お肉が減るのを恐れずに、序盤からどんどんお肉とご飯を胃袋に流し込み、後半ご飯の比率が高くなってきても、お肉がなくなっても焦らずに、最後の一口は紅生姜かお新香で締めるのである。


--乙である。


バランスをとらずしてバランスをとる、大人のスタイルが今確立されようとしていると私は思うのである。加齢に臆せず華麗に牛丼を食す方法を紹介したが、たまにためになる話をすると、少し熱っぽくなってきた気がするので、今夜は窓際で隙間風を感じながら眠るとします。それでは。

春の陽気

最初は日に10分程度だったとしてもである。それが1時間になり3時間になり、気が付いた時には一日中となっている。


気の緩み。


何も恋人といる時に限った事だけじゃなく、友達や先輩、あらゆる環境に関しても、慣れが気の緩みに直結している人は少なくはないはず。気だけでなく、意識せずに時折かわいい音と共にガスが漏れ出るのは、お尻の穴も加齢によってゆるんゆるんになりつつあるのかなぁ、なんて考えるとたまらなくなる、いろいろな緩みを誘う陽気を引き連れて、堂々春の凱旋である。


春眠暁を覚えずという言葉通りである。いつも起きる時間より、30分ほど寝過ごして、自転車飛ばせばまあ間に合うからと、余裕かました一服は、逆さに火を着け一本無駄にして、自転車飛ばすと、段差にタイヤが取られてあわやの大惨事。何とか片足で踏ん張るも変なところに力が入って背中に違和感がずっと残るしで、迎えた34回目の春は財布ではなく背中がハルの春だったようで。


ちょっとしたことで涙腺が緩むのは春の陽気か加齢のせいか、はたまた気が弱くなっているからなのかは定かではないが、新生活が始まると同時に心身共に疲れが溜まる時期でもあるので、緩んだ頭のネジは仕方ないとして、せめてヨダレを垂らさぬよう、口元の緩みだけは気をつけながら今夜も眠るとします。それでは。

特長とハードル

見た目はメガネの中肉中背、言葉遣いで人を傷付けぬようにと心掛けている成果なんだろうと思う。昔から、優しそう、賢そう、まじめそうと、結婚したい男性の見本のような比喩で評価していただく事がよくあるのだが、人間的に、見た目や肩書きなどのせいで最初にハードルが上がってしまうと後々大変で、下げすぎる必要はないが、身の丈程度に抑えておきたいものである。


そもそもハードルの上げ方下げ方に疑問を抱く場面が数多くある。


例えば、結婚式の二次会で、さあ、次は面白い事をやる人達の面白い出し物ですなんて紹介をされたら、そのまま踵をクルッと返してサヨウナラしたくなるし、ちょっとチクっとしますよーで勢い良くブッサリと刺してくる中年ナースはもっとサヨウナラである。


次は面白くない人達のつまらない出し物ですと紹介され、かなり痛いので歯を食いしばってがまんしてねでチクっと注射する、ハードルの上げ方下げ方はこれが正しいのではなかろうか。


そりゃ上げに上げたハードルをサラリと飛び越えるのがかっこいいには決まってはいるが、私のような心配性、臆病、繊細を絵に描いたようなひ弱な男子にそのようなプレッシャーを跳ね除ける事は言わずもがな、無理である。パフォーマンスだったとしても、その辺は本田や亀田のようなビッグマウスな人達にお任せするとして、日本一を謳うラーメン屋で小腹を満たして今夜は眠るとします。それでは。

中途半端でも

今日のビールは2杯まで。酔うには足りず、食前酒としては多いのは、休みの前日には物足りず、しかし酔う気がしないほど、ベッドが異常な程魅力的に感じる火曜、もしくは水曜であるならば、持て余す量だろう。ビール2杯、しっくりとくる表現は中途半端である。


このブログを始めて、今回で30本目。三日坊主と言われると反論したくなるが、節目というには随分寂しい中途半端な本数の達成を一人静かに祝いたいと思う。


気まぐれな性分なので、自分でも何本続くか分からぬままとりあえず目標に掲げた本数はヒデキマツイの背番号の55本。誇れるものは何もなく、武器となるような特技もなく、当然貯金もなく、自信を持ってあると言えるのがお腹周りのお肉だけであるのはあまりに寂しい。ならばせめて気が晴れるまで、絞っても絞っても出るのはオェッと嗚咽だけとなるまで書き続けたいとの熱い思いを胸に始まった。


週5本をノルマに掲げたのは、月曜から金曜まで一本ずつ、電車やバスでの移動時間が長く、面白いブログやまとめ記事は全部読み、静かに時間が過ぎるのを待つあなたに、ただの箸休め、場合によっては気の迷いでいいから読んでもらえたらと。寝る前に更新するのは、始発で出勤、通学の君に少しでも安らげる時間をと、700〜1000字を目安に書いているのは、注文したオムライスが出来上がる前に読み切れるようにと考えてのことである。


と、本当ならば50本でこちらの文章をアップしたかったのだが、明日にもオェッが出そうなので、ホワイトデーにて放流させていただきます。明日も続くと信じて本日は瞼を閉じぬまま眠るとします。それでは。

ミニマリストの保存先

ミニマリストや断捨離という言葉が流行るずっと前の事である。高校3年の修学旅行では、行きは着替えなどをドラムバッグに詰め込んで、初日、二日目、三日目とどんどん荷物を実家に郵送し、帰る時には財布と携帯だけで、なぜか先生に注意された経験があり、持ち物をなるべく少なくするのは、子供の頃からの私の性質だと思っている。


このブログで何度か触れたが、今でこそ同居人がいる生活だが、京都に来る時も、持って来たのは必要最低限。洗濯機、冷蔵庫、パソコン1台と着替えだけで、初めの一週間はバスタオルを布団にカチカチのフローリングで寝ていたのは今となってはいい思い出である。


断捨離を趣味としているが、物欲が強めの知り合いがいる。欲しいものはどんどん買うが捨てるものも迷いなく捨てる。デスク周りの書類や資料も整理と称して必要最低限だけ残して捨てまくり、パソコンのデスクトップもChromeとゴミ箱だけという徹底ぶり。で、必要なデータはと聞くと、ちゃんと保存してました。


ゴミ箱の中に。


いつでも捨てれるようにと、捨てる準備をしていると、捨てるために仕事をしているのではないかと思ってしまうそんな人である。確かにゴミ箱を空にしなければそのまま残ってはいると思うのだが、それにしても斬新な方法である。何かが間違っている気がしてならないし、何が悪いの、ちゃんとデータは取り出せると言われると、モゴモゴするだけで何も言い返せず、少しだけ羨ましいという感情と悔しさが入り混じった今日この頃なので、今夜は奥歯と布団のありがたみを噛み締めながら眠るといたします。それでは。

リスクとリターンにジレンマ

駆け落ちと言えば、人生を賭けた一世一代の大決心が良い意味でも悪い意味でも人の心を動かすような気がするし、まるでそんな状況に縁のない人(私を含め)にとってはドラマチックや羨ましいと言った、一度くらいは経験してみたい”憧れ”に近い印象を持つ人が多いかもしれない。当の本人達にとっては恋人と一緒になるため、親との縁が切れるのも辞さないという覚悟のうえの行動である。


何かの欲や夢を叶えようとした時に大きめのリスクを背負わなければならない、ほとんどの場合がそれに当てはまるのではなかろうか。シンプルな表現ではハイリスクハイリターンというが、このリスクがリターンに見合わない大きさの場合、人は行動を迷った挙句、断念してしまうのである。


まだまだ寒いと言いつつも、春はもう目の前に迫っている。日当たりの良い場所では桜の蕾がチラホラみられるようになったし、近所では猫が日向ぼっこしている姿もよく目にするようになった。


花粉症というハンデを背負った事で、お花見では鼻水というリスクとお付き合いすることになったが、このリスクとリターンのバランスが私にとってベストなのである。お花見はもともと好きな方だし、特に夜桜を見ながらのビールは不思議なもので2割り増しとは言わずとも、1割り増しで美味しく感じる。


ただ、花粉症になってからというもの、出来ることなら外出はなるべく避けて、空気清浄機をガンガン効かせた家で、仰向けで一日中過ごしたくはなるのだが、お花見には参加する。誘われなければ参加しないし、人を誘ってやろうとも思わない。誘われれば行く、リスクとリターンのバランスが最も取れた例ではないかと思う。


ハナミズのせいで桜のハナミズ今年の春を過ごすのも少し寂しい気がする今日この頃なので、誘われればお花見に参加するとして、明日から始まる一週間に備え、本日は早めに床につくとします。それでは。

船をこぐ

優しさとは何だろう。愛とは何だろう。少し考えさせられる事があったので、今夜だけは間接照明の優しい明かりの中で聞いてはもらえないだろうか。


今、くそが付くほど忙しい時期で、それに加え、下旬に控える引越しの準備に追われて毎日がヘットヘトのヘッロヘロである。ふかふかのお布団と硬めの枕があれば、お酒も夜景もセクシーな美女もいらない。栄養と少し熱めのお風呂、そして5分でも長い睡眠が今の私たちにはきっと必要なのだろう。


気づけばソファの前に座り込み、2人揃って前後左右にグワングワンと大きく揺れていた。終電で酔っ払いのお父さんがそうなっているのを見た事はあるが、隣に知らない人、そもそも自分の家でないならば、そう簡単に倒れるわけにはいかんと、睡魔に打ち勝とうとするのはわかるのだが、2人ともの慣れ親しんだ家にいるにもかかわらず、倒れまい、倒れてはいけないと必死であった。まだ9時を回ったところである。必要なのは休息かリラックスか。


10分程たった頃だろうか。彼女の寝言でふと目を覚ました。


良かった、明日は日曜日だ。


…我が耳を疑ったし、このまま寝かせといていいものだろうかと悩んだが、知らない方が、夢のままで終わった方が幸せな事もきっとあるのだと思ったので、その時はそっとしておく事にした。


明日は火曜日である。仮に金曜日であれば、笑って起こせたかも知れないが、現実は昨日が日曜日で、今日は月曜日、まだ週のスタートを切ったばかりである。


夢から現実へ、この落差を優しく受け止めてくれるクッションを用意する事は果たしてできるのだろうか。少なくとも今の私にはそんな術は無く、履き違えているかも知れない優しさがそっとしておくという選択肢をチョイスした。


正解だったか不正解だったか、いつか答えが見つかると信じて、このままうたた寝を続けたいと思います。それでは。