読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

ご褒美の焼き鳥

私は市と呼ばれるものが好きで、京都で暮らすようになってから、数え切れないほど足を運んだ。東寺で行われる月初めの日曜日のガラクタ市に21日の弘法さん、北野天満宮で開催される25日の天神さんと、他にも手作り市などあらゆる市を合わせると、平均月に1.5回としても50回ほどは通っている計算で、何か掘り出し物は無いだろうか、素敵な骨董はどこだろう、と毎回うきうきでウォッチングしているわけだが、実際にものを買ったのは記憶にある限り5回あったかどうかで、うち3回はコーヒーを飲んだだけである。


野球で言うと打率はわずか1割で、5回打ったヒットのうち3回は打ち損ないがふらふらっと上がって守備の間に落ちるラッキーヒット。当然レギュラーからは程遠く、二軍でもベンチに入れたらいい方で、普通であれば戦力外の解雇である。それもこれも原因は私、小心者な点にある。欲しい物が見つからないことももちろんあるが、気になるものがこれまで無かったわけじゃなく、ただこれ下さいの一言が言えないのである。買い物をする環境としては決して慣れていない、屋外、混みが小心者の私を目覚めさせるようである。


思えば昔からその気はあった。お店で探し物をしていても店員さんに聞けないし、取り寄せのお願いなんてもってのほか、勇気を振り絞ってたこ焼きを頼んだのに、たい焼きが運ばれて来た時には大嫌いなあんこを涙目でえづきながら食べた事もあった。しかし私も歳をとるごとに場数も増えて、お店での注文やトラブルくらいは堂々と対応できるようにはなった。


…と思っていたのだが、先日の出来事である。いつもはファミマ、セブン派なのだが冷たい雨が降っていたこともあり、雨宿りを兼ねてローソンへ入った。帰っても晩御飯が無いことを思い出し、缶ビール2本とサラダを持ってレジへ行き、でか焼き鳥とやらのももと皮を2本づつ、計4本頼んだはずなのだが、袋に詰められたのは明らかに2本。缶ビール1本につき焼き鳥1本は、週末の楽しみとしてはあきらかに物足りず、ここは4本必要なのだが、バイトの若い女の子にすら言えなかった。2本づつねの一言が言えずに帰宅である。


缶ビールと焼き鳥のアンバランスな比率に嘆いてのブログでなく、いつもは行かないローソンで、そうそう無い間違いをするバイトに当たり、二本づつねが言えない私はこの先も苦労が耐えないような気がして、いつかは小さなことで落ち込むことのない人生を歩めればなとほろ酔いで吐露できたので、更新は月曜になるのだろうけど、今夜は枕元のメモにどんまいと書いて眠るとします。それでは。

餡子嫌いが投じる一石

午後10時も過ぎた頃、日課と呼んでも怒られないだろうと思えるこのブログをようやく書き始める事ができた。いつもならお昼休みに何を書くかを考えて、夜の8時には翌日の準備をしながらダラダラとキーボードを叩くのであるが、本日はぬるめではなく、入れ立て熱々のお風呂の中でスマホからの投稿である。


いつも通り仕事が終わり、土曜日に諸用で地元に日帰りすることになり、手土産の1つでもと思い、買いに行ったが案の定バシッと決められずこの時間である。


京都の土産と言えば、和菓子である。私の身内の全員が甘党、和菓子好きとあらば、和菓子の土産はさぞ喜ばれるだろうと思うのだが、私自身が大の餡子嫌いである。


物心ついてから餡子を食べて嘔吐を繰り返していた記憶しかないほど、体が餡子を寄せ付けないのである。本日も有名な和菓子の前に立って悩んでいるうちに、酔ったような気持ち悪さがこみ上げて、その場を離れざるを得なかったのだが、思うに餡子の放つ何かが私の三半規管を壊しにきているのではなかろうかと、彼女に真剣に相談したところ、ごめん、夜だからちょっときついです、と突き放される始末である。


遥か昔、知人に餡子嫌いを告白したところ、3割損してるなんて事を言われた事がある。何を言ってんだこのバカはと、その時は気にもとめてなかったが、京都に住む以上餡子から逃れる事は至難、となればあながち3割損は間違っていないのではなかろうか。幾度となく失敗してきた餡子克服が今後できるとも思わないが、大の餡子嫌いだからこそ、美味しさが分かっていないからこそ一石は投じさせてもらえないだろうか。


餡子とチーズって合うんじゃないですか?


別の言い方でもう一度、


チーズ餡ってありじゃないですか?


すでにあるのかも知らないけれど、もしこれが流行るなら、もう一度餡子に私の方からすり寄ってみてもいいのではないかと思いつつ今夜はうどんで火傷した舌を出しながら眠るとします。それでは。

カバと原チャ

私が使っていたほとんどのパソコンがそうだったのだが、使い始めて数年経つと徐々にファンの音が巨大化する。


その昔使っていたパソコンは、電源を入れるたび、待ってましたと言わんばかりに放つ耳障りな音は、3度の飯よりライフワークであったセクシーな女性の画像を探すのが嫌になる程、パソコンの電源を入れるのを恐怖に感じる程の音であった。


新しくパソコンを買うお金がなく、ライフワークを簡単に放棄することができない年頃だったこともあり、ファンを掃除することにした。おそるおそるPCを開け、埃まみれの中身を丁寧に掃除し、またおそるおそるPCを閉じて、はい完了。これでまた快適なセクシーライフワークを楽しめますなと、意気揚々PCの電源をオンにすると、これまた、待っていましたと言わんばかりに、さらに大きく原チャくらいの音量で唸りを上げ始めた。そのままコンセントをあわてて引き抜き、なぜこうなるのか、普通は小さくなるだろと、そのまま電源を入れることがなくなったのも今ではいい思い出である。


全く別の話しではあるが、2年程前になるだろうか、ノンフライヤーが知れ渡り始めた時に、これだと思い、買いに走った事があった。


当時の趣味と言えば土曜日の夜に行くバーでお酒をしこたま飲むことくらいしかなく、何か変わった事がしたいなぁ、久しぶりに串カツ屋さんへ行きたいなぁと思っていた矢先、ノンフライヤーの存在を知った。コレステロールが気になるお年頃、油物を食べるのに、健康の面で少しは気にせないかんと、そんな事ばかり考えていた時にネットで偶然見つけられたのは正に運命としか言いようがなかった。早速お店に自転車を走らせ、量販店を早歩きで周って見つけた本体を見て愕然とした。


カバの頭ほどの大きさがあるのだ。


何でこんなに大きいの、置き場所に困るし、そもそも自転車じゃあ持って帰れないと諦め、渋々家に帰ったのも今となっては、である。予想よりも大きくてうれしかった思い出ってほとんどないなぁと思いながら、今夜も更けていくのを待つ事なく、未確認な飛行物体がいつ現れても大丈夫なように、ドアに鍵かけずに眠りに落ちようと思います。それでは。

 

依存性

2〜3年前の春だったと思う。知り合いがめちゃくちゃ気持ちいい、絶対にハマる、辞められなくなるから、と背中をグイグイ押してきたのがきっかけだった。気持ちいい、ハマる、辞められなくなる、悪魔の囁きとも取れるそれらの言葉を半分聞き流してはいたのだが、出来心というか、好奇心というか、一回くらいなら良いかと軽い気持ちで始めたら、やっぱり辞められなくなった。疲れている時なんかはより効果大、頭はスッキリするし、元気になるし、夜はよく眠れるしで、よくぞ無理矢理にでも勧めてくれたと今では知り合いに感謝すらしている。


そう、サウナと水風呂交互に入るやつである。


水風呂は苦手だった。無理に浸かろうとすると呼吸がうまくできなくなるし、昔からお風呂は熱めがモットーの私にすれば、水風呂なんてむしろ逆なんだが、限界までサウナで体を温めてからの水風呂はこれまでの常識を覆した。数回この諸行を繰り返すと、スッキリ元気によく眠れるようになるのである。


数日前、最近しっかりと眠れていない気がして、昼過ぎからずっと眠気が取れず、さらに夜に片付けなければならない作業があるとなれば、これはサウナと水風呂の出番である。


昼間の仕事を終え、すぐに帰宅し近くの銭湯へ直行。サウナ、水風呂、サウナ、水風呂、サウナ、水風呂、サウナ、水風呂といつもより1回多い、4ローテーションをこなし、明らかに軽くなった足取りで帰宅。さあ、始めるぞと息巻いたものの、腹が減っては何とやら、おにぎり2つにカップラーメン食べたとこまでは覚えているが、気づけば朝5時、うん、よくあるよくあると、自分を慰めながら、いつもよりよく眠れるから気をつけようと、心のチェック項目に追加したし、本日こそはゆっくり眠りたいので、ここらへんでおいとまします。それでは。

ベタな落ち

ある晩、夢を見ていた。顔が全くタイプではなく、胸ばかりが大きな女性とテーブル席で向き合いながら、パッサパサのパンを食べていた。


女性と目が合う度に、10代の頃した恋のように、心がときめいていった。この人とどうにかなりたい、そのためにはチークダンスを踊ってもらわないと関係がこれ以上発展しないと焦り出し、すぐに行動に移そうと、席から立ち上がろう立ち上がろうとするのだが、足腰が全くもって言うことを効かない。どうにかしたい、立てない、どうにかしたい、立てないを繰り返すうちに汗が吹き出し(恐らく)ウーンウーンとうなされながら、ふと目を覚ました。


仰向けに寝ていた私のお腹に違和感を感じたが、その原因が何であるかを察するのにそう時間はかからなかった。彼女の足がドデンと乗っかっていたのである。


もともと寝相は良くないのは付き合い始めてすぐにわかっていたし、真冬の夜中に寒くて目を覚ますと布団が全部持っていかれているのはよくあることで、彼女の豪快な寝返りに、ベッドの端ギリギリに追いやられながら、体を横にして何とか落ちぬようユラリユラリとバランスを取りながら寝ていたことも記憶に新しい。今回は足が乗っただけと、大した問題じゃあないな、よっこらせとのけようとするが上手くいかない。


暗い中目を凝らすと、両足が乗っかっていた。


モーグル選手顔負けのひねりを効かせた体勢でスヤスヤ眠る彼女に、どうしてこうなったか聞いてみたかったけれど、無理に起こして機嫌を損ねると、ベッドで眠る権利を剥奪されてしまいそうで、権利と呼べるものはなるべく多めに所持しておきたいタイプなので、起こさぬようゆっくり足を下ろす私は、やはり結果的に優しいはずである。


さて、なるべく睡眠時間を増やしたい今日この頃なので、生乾きの寝巻きで眠るとします。それでは。

修行と荒治療

いつもギリギリになって焦り出す性格はどうにかならぬものかと、毎年桜の季節が近づくとふと考えてしまう。生まれつき、育った環境がそうさせたなら、どこかで、それもできるだけ早いタイミングで根本を、根性を叩き直さねばならないと思うのである。根性を叩き直す方法を考えると、ふと思いつくのが修行である。


甘々でぬるま湯に浸かっていたいし、むしろ蜂蜜のぬるま湯があれば、ためらいなくそれーっと飛び込むタイプで、嫌なことは常に後回しにする私に合った修行は果たしてあるのだろうか。

 

滝行、護摩行は効果がありそうであるが、敷居が高く修行できる場所まで行く間に気が変わりそうだし、3日間の断食なんかは挑戦できそうだが、仕事に影響が出そうなのでパス。そうなると、座禅や写経となるのだろうが、これらも毎日続ける自信がないとなれば、もはや私ができる修行は皆無。そもそも軽い気持ちで修行するなんて口にするのは修行僧に失礼だと、言い訳ばかり出てくる時点でノーチャンスである。これは根性は治せんなと思っていたところ、修行にも似た苦痛を己に課すこととなった。


−−鼻うがい


私にとって荒治療に近い修行である。効くよ、いいよと背中押されて買ったまではいい。貧乏性も相俟ってこれだけは使い切るまで続けようと決意したのもいい。確かに効果があるような気はするのだが、えずきがひどいし思わず飲み込むこともあるしで、鼻に多量の水分を流し込むのは、鼻の仕組み上やっぱり間違っているのではという思いが日に日につのりつつも、毎日欠かさず鼻うがいの行を敢行中である。


鼻水の滝行を終えた頃には少しだけ大きく帰ってこれるように、たくさんの人に成長したねと言われることを目標に本日もなるべく痛くない石の上で眠るとします。それでは。

予想通り番狂わせ

詳しいスポーツを見る時は、例えばサッカーのチャンピオンズリーグなんかは、チームの戦力を予想し、ベスト4に残りそうなチームを絞って、今回はどのチームを応援しようか、インパクトのやや劣るこのチームが優勝すれば盛り上がるんだけど、のような妄想をしている開催前が1番楽しめているのかもしれない。試合になれば、プレーの良し悪し、試合全体の出来などに注目してしまい、結果的に心から楽しめずに終わる事も少なくない。


ただ予想がバッチリ当たった時に、やっぱりなー、言った通りになったわーと調子に乗るか、または、あ、そうなんだと、当たって当たり前のようなスカし方をする瞬間は正直気持ちがいいし、外れたら外れたらで、そのパターンねと、番狂わせすら予想通りでした感でサッカーを楽しめると思うのである。


余り詳しくない野球で、WBCのような国をかけた戦いであれば、勝つか負けるかの予想なんてできないのだが、それ故純粋にガンバレガンバレニッポンと、勝利に向けた応援ができて、ツツゴーツツゴーと凄さがわからないからこそ四番と言う期待感で一振り一振りに一喜一憂できるものである。


何が言いたかったかわからなくなったのだが、スポーツっていいなって事だった気がするので、それを本日の締めとさせて頂いて、少しだけぬるめのお風呂にゆっくり入って眠るとします。それでは。