立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

初めてをナス遂げた人への敬意

どんなことでも初めて何かを成し遂げた人の事は賞賛すべきである。


今でこそ当たり前になっている事でも、前例の無い中で初めて挑戦した人はどれほどの勇気と度胸があったのかと考えてしまうことが多々ある。例えばパラシュート。きっと数多くの実験を繰り返し、これなら人でも大丈夫ではないだろうかと言うところまで研究がうまくいったとして、誰がじゃあ俺飛んでみますねと言えるだろうか。お前飛べよ、いや、お前が飛べよのなすりつけ合いが当然のように行われ、人間が飛ぶよりも数多くの言葉が飛びかう中、そこにいた一番年下が有無を言うことすら許されずに装着され、曖昧なカウントダウンの中飛ばされたに違いない。


潜水艦にしてもそうである。これなら海の中、水平線の向こう側まで行って帰って来れるだろう、お前ちょっと行ってこいよ、嫌ですよ、もし浮かばなかったらしゃれになりませんよ、私には妻と子供がいるんです、ここは言い出しっぺの先輩が言ってくださいよ、独身だから気が楽でしょと、お互いの気分が沈んで浮かない顔になるまで言い合いが行われただろう。


ずっと昔、科学が発展する前のことを考えてみると、食に関しても勇気が必要となった食材は数多くあったと推測される。中でも私が恐怖を感じるのがナスである。今でこそ天ぷらや漬物で確固たる地位を築き、みんな大好きカレーに入れればそれもまた喜ばれ、夏野菜の王様との呼び声は高くはあるのだが、よく考えて見てほしい。おどろおどろしい深く濃い紫色の見た目から想像されるのは、まさに毒である。形はともかくあの色は他の野菜から一線を画す、唯一無二、超攻撃的な野菜である。見た目で相手を怯ませるなら私は、ジャガイモでもなく、きゅうりでもなく、迷うことなくナスを選ぶだろう。


好きな野菜の上位にランクインできるのも、料理の幅が広がったのも名前も顔も知らない、ナスを初めて食べたあなたであると、私は心から拍手をし、ナスが料理で出てきたときには30秒間目を瞑ってあなたを思います。今日の妄想はナスとあなたで決まりと言ったところで、今夜は雨上がりの夜空を見上げながら眠るとしナス。それでは。

弱気

点滅する横断歩道を早歩きするでもなく、走るでもなく、余裕のスキップで渡る2人組の中学生くらいの女子を見たときに、春の訪れを感じた。そういえば桜の満開はいつなのだろうか、もう過ぎたのか、まだなのか、日本の美しい四季の中でも王様、春を意識することすら忘れるほど、ヒッシリと張り付いて離れない疲労とここ数週間お付き合いしている。夜は眠れないわけじゃないし、温かい湯船にも週5で浸かっているのだが、気づいた頃にはねっとりとした厄介な疲労がミルクレープやバームクーヘンのように何層にも折り重なっている。特にひどいのは背中、次にひどいのは肩から首にかけてで、座ってパソコンを打つ作業をこなさねばならない私には、今は春ではなく張るで、この状況が針のむしろなのだが、むしろ背中に針を刺してもらいたいものである。


減らしなさいの一言は、頭に塩分や糖分が付くと、お医者様からの忠告だと思って大切に心にとどめるし、お酒やタバコの量が頭に付けば、同居人彼女が長生きしてねと暗に示しているのだと思って愛を感じるのだが、会社のお上からの残業減らしなさいは、ポジティブに考えれば試練、ネガティブに考えれば仕打ちである。肉体の疲労が溜まれば心の疲労も溜まるもので、そうなるとポジティブには考えられなくなるものである。


疲労の主な原因がこれであることに違いないが、これを言い訳に、ここ最近体調が優れない同居人彼女ばかりに家事をさせるわけにはいかんだろう、さらに自分に課したノルマを緩めることもいかん、かと言って仕事の手を抜くのもカッコ悪いと変なプライドや意地が邪魔して無茶言うなの一言を飲み込んだのが間違いだったのかもしれないと、後悔の日々を送っているのだが、残業隠すために早朝に出社していたのを、上司にはお見通しで、耳元でお疲れさん、朝の分こっそり残業付けといてやると言われたときには、褒められるより労われたい私には最高のガソリンになったのは言うまでもない。


もう少し頑張るとしつつ、まんまと犬にならぬようせめて人面犬で留まれるタイミングをしっかりと見極めようと心に誓いながら、背筋をピンと伸ばして眠るとします。それでは。

盗る人の心理と安心

傘どうしたの?


自転車に掛けてきた。


盗まれるよ?


俺、自転車に掛けとくこと多いけど、盗まれたことないよ。コンビニとか本屋の傘立てに置いといて盗まれたことは何回もあるけど、あれは不特定多数の人が使える傘立てでしょ。たくさん傘が置いてあると、バレないという心理が働いて、間違えたフリして持ってっちゃう人がいるんだよね。だから、これは俺の傘ですよという意思表示がしてあれば持っていく人はそうはいないと思うんだよね。そもそも今じゃそこらじゅうにあるコンビニで傘ぐらい買えるし、100均にも置いてある時代だよ。監視カメラもたくさんある。そんなことは誰にでも分かっている事だし、数百円のもので犯罪者になるリスクを背負うのはあまりにおろかな人間だよね。そもそも、他人みんなを信用するとは言わないけど、悪い人間の方が圧倒的に少ないと思うし、もしそれでも持って行くのであれば、其れ相応の理由があったんだと寛大な心で考えて、困っている人を助けたと思って許してやるよ。罪を悪んで人を悪まずってやつだね。しかも今日ぐらいの小降りなら傘いらないくらいだし、まず大丈夫でしょ。


自転車に戻るとしっかりとられていました。ついでに自転車のライトも。


持って行った人が間違ってセーターを乾燥機にかけてしまうレベルのミスを犯す事を心から願って、今夜もなるべく静かにいびきをかきながら眠るとします。それでは。

 

キャパオーバー

わかりやすい物でいうとグラスや、わかりにくい物でいうと人の心など、ありとあらゆるものにはキャパシティが決まっていて、キャパを超えるほど何かを受け入れるとキャパオーバーになる。私は出身地の石川が最も好きだし、石川を離れて4年たった今でも、たまにホームシックならぬカントリーシックに陥る事があるのだが、新幹線の駅ができた今、観光客でキャパオーバーである。観光客だらけの石川、想像したくないものである。


これは弱音ととられても構わない。構わないから誰か助けてくれとまではいわないが、どうか静かに話しを聞いてくれまいか。最近の私は明らかなキャパオーバーである。昼の仕事はがんばればがんばった分だけ給料は増えずに仕事量は爆発的に増加傾向で、さらにそろそろ次の仕事を探せねばならぬ時期に差し掛かっているし、人の反感を買うことから消化しなければならぬ事や、自分に与えたノルマのために時間がタイトにタイトにきつきつになっている。


キャパオーバーを自覚し始めたのが3月入ってからで、いよいよボロが出始めた。今日は少し気温も上がり、一つ薄手のコートで自転車で仕事に向かい、なんだかすごく寒い気がすると思うと同時に気づいたのだが、コートの下にジャケットを着て来るのを忘れていて、寒がりの私が暑いフリをして仕事をこなし、お昼にお弁当を食べようとしたら箸を持って来るのを忘れているし、今日は花粉がひどいななんて鼻をかんで気づいたのだが、寝る前に花粉症の薬を飲むのを忘れているし、仕事帰りでタバコを買おうとしたら、財布を忘れていたしで忘れ物づくしの1日を送ってしまった。


私のキャパが小さいのが悪いのか、キャパオーバーまで追い込んでいる私が悪いのか、どちらにしても私が悪いのには変わりないのでそれを嘆くのではなく受け入れたいのであるが、同居人彼女がそばにいるのをすっかり忘れ、けたたましい音とともに私の体内の悪臭を放ってしまうしまつである。


明日は週末、忘れ物はしたくないので、一番新しい心の傷が癒えるのを願って5分でも早くベッドに入ろうと思います。それでは。

小学校の頃の理不尽と

小学校上がりたての時の事である。今の標準は分からないが、あの頃の座席は机を二つずつくっつけてペアで授業を受けていた。初めて隣になった岡田くんはもの静かな少年だったのだが、ある日の授業中何やら様子がおかしい。もそもそとして挙動不審だったので、どうした? と聞いてもはっきりした答えが返ってこない。小学生ながらそういう感だけは働く私は、ははん、うんこしたいんだなと察知した、が、その頃の私には岡田くんのためにしてあげられる知恵はなく、その様子を静観するしかなかったのである。


すぐに先生が私の横に立ちどうした、と聞いて来た時に気づいたのだが、うんこではなくおしっこだったらしく、すでに机の下に水たまりができてきたのである。あららーなんて思っていると、先生にゲンコツされた。何が起こったかわからずにいると、


こういう場合はお前が代わりに言ってやるもんだ。


どうして怒られるのかわからず、泣きながらとりあえずごめんなさいと言ったあの日、本能的に理不尽というものが存在するということを学び始めたように思える。小学校3年になり、月に150円のお小遣いがもらえるようになった時、駄菓子屋でお買い物をするのを覚えた。毎月1日が楽しみで楽しみで、当時は10円や20円で買えるラムネやガムをお小遣いの半分ほどを費やして、1ヶ月もたせるように、ちびちびと食べていた。ある日、お小遣いをもらったその日、いつもの通り、るんるんで近くのおばさんがやっていた小さな駄菓子屋に行き、お菓子を選びさて支払い。全部で70円だか80円だったと思うのだが、50円玉と残りは10円玉で出したのだが、50円足りないと言われ、あわあわしたが、ただ10円玉に隠れていただけだった。その時言われたのが、


そんな出し方するから分からなかったじゃないか。


その頃からお金の出し方を気をつけるようになったし、お客様は神様ですという言葉が私の中に存在したことはなく、大人の顔色は伺うためにあるのだと分かったし、自分が悪くなくても(悪くないと思っても)、ひょんなことから悪に仕立て上げられる事があるから気をつけるようにはなった。理不尽なこととわかって行動に移すのはどうかと思うのだが、される事で学べる事は意外と多いかもしれないと思ったのです。


今日はつらい事が多い1日で、なんだか全く楽しい事が浮かばないので、今夜はこの辺にして、勢いで買った鼻セレブで鶴を折りながら朝日を待つとします。それでは。

おかまのお話

20代の後半に差し掛かったある日、公私ともにうまく行かず酒で酔うことで現実から目を逸らしていたことがあった。元気出せよと友人が連れて来てくれたのがおかまのいるバー? スナック? だった。おかまが私の隣に座り、例のごとく下ネタ中心の馬鹿話で私も心底笑ったし、楽しめた。店も閉店に近づき、蛍の光が流れ始めた時、そのおかまが静かな声で話し始めた。


「こんなお店に来る人はね、訳ありの人が多いのよ。不倫中のカップル、ギャンブルにハマって嫁、子供、住む家全てを失った男、借金で首が回らなくなって都会から逃げて来た女。心にも体にも傷がある人が集まって、でもほんの一瞬かもしれないけど、笑顔になって帰っていくのよ。いろんな人を見ているから、なんとなくわかるの。あなたも辛い思いして、今ここに座ってるんでしょう。お酒に逃げているんでしょう。」


見透かされているようなそれでいて、幼き日に母親に抱かれているような心地よさの中、深くタバコを吸い込んだ。もしかしたら、泣きそうになるのを堪えていたのかもしれない。


「まだ会ってすぐだけど、あなたのように優しい雰囲気を持った人はなかなかいないわ。この世の中はそんな人たちが住みにくいようにできているのよ。」


この時点で少し泣いていたかもしれない。このママ? パパ? の言う言葉が酔いの中で一言一言が沁みて、心の芯から温め癒してくれるようだった。震える手でもう一度タバコを深く吸った。


「辛い時は逃げてもいい。限界だと思ったら全てを捨てなさい。あなたが知らないことは山ほどある。」


…。


「良かったら新しい世界を見せてあげるわよ。」


口説かれていた。勘弁してくれよが9割だが、1割は一緒に帰ってもあるいは…だった。それは出鱈目に飲んだ焼酎の酔いのせいか、ママ? パパ? のテクニックのせいかはわからないが、あの時1割を選択していたら今頃どうなっていたんだろうと、ふと昔の思い出が頭をよぎったのであった。


桜の蕾が開く今日この頃、私の頭にもお花が咲きそうなので、今夜はドリカムの曲を100曲口ずさみながら夜明けを待つといたします。それでは。

時間に寛容、カーテン来ず

はるか昔、保育園に通っていた頃、夕方に迎えが来て帰っていく友達を横目に、私はお気にのブロックを組み立てていた。ほとんど毎日、親の仕事が終わって迎えにきてもらえたのは最後の最後、辺りが闇につつまれた完全に夜だったし、小学校の頃は鍵っ子で、親の帰りをお腹すかせて待っていた。思えばその頃、待つのに慣れたせいか、人を待たせるくらいなら自分が待ちたい、喜ばしいことかどうなのかはわからないが、そんな大人になった。


なので基本的に待ち合わせで友人が遅れて来ても特には怒ったりはしたことないし、適当に入ったうどん屋で、カレーうどんを頼んで10分経ち20分経ち、私の15分後に同じくカレーうどんを頼んだ人と同時に運ばれて来た時にも嫌な顔せず美味しくいただいた。多分怒るか、まだですかと声をかけてもいい場面なんだろうなと思いつつも、ま、いいか、がまさってしまうのである。


そんな私も今日という今日は怒りの練炭に着火剤をセットし、いつでも火をつけられる状態にいる。


新居に越して来て、窓のサイズを測ったら特注らしく、既製品で合うカーテンが無かったため、サイズをオーダーで注文したが、最短でお届けに2週間。平日でも構いません、できるだけ早くとお願いしたら、月曜の夜7〜9時に有名な配送業者さんから届くこととなった。やっと外を気にせず、リビングでくつろげると喜んでいたが、待てど暮らせど一向にピンポンがならず、現在すでに10時を回っている。春休みで引越しシーズンであることを鑑みても忙しいのはわかっているし、多少時間がずれたとしても、1時間遅れたとしても、私ならクレームのクの字も出さなず、むしろ遅くまでご苦労様ですと、つむじまで見せつけたお辞儀と、疲れて乾いた心を潤すためハンドドリップで淹れたコーヒーを差し入れしたいところである。


しかし、昨日一昨日と諸事情で外出しっぱなしで、心身ともに疲労した状態で週が始まり、カーテン来たら即睡眠の準備を万全にしていたのである。わかっている、わかっている、こっちの事情だもの。眠いのなんて、疲れているなんてこっちの事情だもの。体力万全なら夜中の二時まで待ってあげられるし、もちろんまさに今怒ってもいい時な気がするが、それで怒りの炎をあげるのも自分の信念を曲げる気がしてキーボードを叩き始めた次第である。


せめて、遅くなりますの一言があればと思うのだが、かれこれ予定より1時間オーバー。配達屋さんもここまでくると連絡しにくいのではと、ケータイ片手にかける勇気が湧かずに右往左往しているのではと想像すると、何だか少しだけかわいそうになってきたし、もしや事故か何かかと顔もわからぬ配達屋さんが心配になってきた。9時にタイマーセットしたお風呂はきっともう冷めきっているだろうし、今夜は何もかもをあきらめて、もし明日起きたらクリスティアーノ・ロナウドになっていたらをテーマに妄想を楽しみながら眠るとします。それでは。