立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

ベストな睡眠時間を探るべく

一体どのくらい眠ればこの眠気から解放されるのだろうか。


34歳がもう目の前に迫った月曜、週末の過ごし方が次の月曜日に無視できない影響を与え、下手すれば金曜まで調子が上がってこないこともしばしば。サウナと水風呂の往復でも取れない慢性的な疲労感のことを考えていることがもう若くはないということなのである。なのではあるが、私も10代の頃は程よい運動神経、程よい学力、で鳴らしていたため、腕に覚えありである。


いざという時は過去の貯金でどうにかなると心のどこかで思っているのである。


何もそれには根拠がないわけではない。日常の生活でその片鱗が隠しきれておらず、滲み出てしまうのである。ツタヤの登りエスカレーターでは、前のマダムのカバンからこぼれるように落ちたハンカチが地面につく前に拾い上げ、不信感いっぱいの目で睨まれるほど運動神経は衰え知らずだし、バーで泥酔しているにもかかわらず、飲んだビールの杯数と金額も2秒あれば計算することもできる。


このまま老いながらも、かつての輝きはそのままになんてこともあるのではないかと信じて疑わなかったのだが、つい先週の日曜日に、彼女とサイクリングでショッピングを楽しんでいた時、なぜそうなったか全く理解不能なのだが、軽い衝撃と共に私の自転車の後輪が宙を舞ったのである。私はあ、これはやばいやつだと瞬時に判断するやいなや、持ち前の運動神経するはずだったのだが、案の定綺麗に着地できるわけもなく、人通りも多い駅近くの道路で一人ヘッドスライディング状態をかましたとなれば、神が命に関わる大事故を起こす前に軽いジャブで30代中盤なめんな、調子乗ってんなよと知らせてくれた気がしてならないのである。神の御告げ通り、加齢には勝てない、明日からはつつましく生活しようと、プロで言えば引退宣言をした瞬間でもある。


近くにいたダンディーなジェントルマンに、青ざめた顔で大丈夫かと心配してくれただけで、少しは救われた気がしたのだが、その後ろで同居人彼女が一回転するの? の一言には苦笑いであった。この時からだろうか、寝ても寝てもまるで眠気がとれず、逆に1日徹夜してみようかなんて、出来もしないことを考えつつ、睡眠時間に7時間を確保すべく、今夜もしゃぶしゃぶの肉より薄い毛布で眠るとします。それでは。

ありがとうと言われるのがいいか、怒っているのがいいか

法律や条例といったものよりもマナーやモラルという言葉に敏感で、できるだけ人に迷惑はかけたくないなと思っているし、待たせるよりは待ちたいタイプなのである。いい子ちゃんぶる気はなく、人に迷惑かかっているなぁと感じ始めると、それが気になっていろんなことに集中ができなくなり、ストレスをためてしまう。むしろ、そのストレスを感じるのが嫌で、それが気をつける動機で、ほぼ自分のため、自己中心的な考えがその本質的な部分ではないかと思っている。


エレベーターで開閉のボタンの前に立った時は、他に降りる人がいれば、それが例え一人でも当然のごとくボタン押し係をやるし、はっきりしないくぐもった声でどうぞと言うし、小さな歯医者で私が入ったすぐあとにマダムが入って来た時、スリッパが一つしかなかったが、それを譲ったこともあった。そんな時にはだいたい、どうもありがとうございますと丁寧にお礼を言われて、その場にいるのが恥ずかしくなってしまい、しばらく赤面で汗をかくはめになってしまうのではあるし、良いことしたのに、どしてこんな嫌な汗かくのよと、後悔とは言わないが変に疲れることもしばしばあるのだ。


先日の事である。どこにでもある自動販売機の前でコーラを買おうと財布から130円を取り出そうとしていた。(運悪く)小銭がたくさんあり、細かいものから出そうとすると、50円玉1枚と10円玉8枚であった。1枚2枚と10円玉を取り出している時に後ろに人が並んだ気配がしたので、お先にどうぞという感じで自販機の正面を譲り、斜め後ろに並び直したのだが、その人は小銭を入れながら電話で話し始め、缶コーヒーのボタンを押し、そのまま30秒ほど話し続け、電話をかけ終わってからようやくコーヒーを取り出した。正直嘘だろと苦笑い、すごいやつがいたもんだとややご立腹であったが、同時に丁寧な挨拶をされるよりも気が楽だと感じている自分もいた。


ありがとうと言われるよりも、怒っていたほうがもしかすると心には優しいのではないかという発見ができたことだし、明日のことを考えると怒りは収め、早めに床に着いてぐっすりと眠りたいので、本日はこのへんで。それでは。

病は気から、元気があれば何でも

夢と現実の狭間で香ってくる朝ごはんの香りや、カーテンの隙間から溢れる朝日でなら、週の中盤でもスッキリと起きて1日頑張ろうという気にもなるもんだが、携帯の目覚ましより30分も早く、昔取り除いたはずの盲腸を思い出す痛みで目が覚める朝は、不快でしかない。


鈍い痛みに耐えながら、同居人彼女に昼まで痛みが引かなかったら早退して病院行って来るわと宣言し、家を出て自転車にまたがり、衝撃がアナルから腹部に伝わらぬよう、頭にりんごをのせているイメージでそうっと自転車を漕ぎ始めた。こんな時に限ってスマホ運転の自転車女子とぶつかりそうになるわ、自転車はこっち走ってねのレーンを修学旅行中と思しき学生が道を塞いでのんびり歩いているはで、世界はなんて私に厳しいんだろう、もし人生で叶う願いが3つあるならまずはスマホ女子の電池切れと、修学旅行生の何人かの迷子を願い、最後に腹痛を治してもらっていただろう、貴重な3回をゴミのようなことに使ってしまっても構わない、そのくらい心は折れかけていた。


寝不足はこの際どうにでもなるとして、腹痛をどうにかしようと、途中のコンビニで出ないうんこを踏ん張って見たり、体をひねったりを繰り返したがその効果は薄く、今日はもうダメだと諦めかけたその時、人生で最も長いと思われるおならが静かに誰にも気付かれずに放たれた。体感で5秒は出続けたかというその放屁と共にみるみる引いていく痛み、早退する理由ができたと喜んでいた分うれしさと悲しさが半分半分ではあったが、猪木イズムは継承していないのだが、なぜか元気があれば何でもできるが頭をよぎったのだった。


こんな朝を迎えてしまうのは、老いが多くの理由を秘めていた気がするし、ガスを排出しやすくなる薬が売っている意味がわかり、あれは何人もの人を助けているんだなと思ったことだし、明日はこんなことにならぬよう静かにおならして眠るといたします。それでは。

寒い夜にアスファルトで寝るお父さん

今日は昨日とは違って肌寒い1日だった。寒の戻りという表現がぴったりな夜になると思い出す。


あれは2年程前になるだろうか、日をまたごうかという時間、私は小腹を満たしにコンビニへ出かけた。街灯がほとんどなく、薄暗くて狭い道。過去にやけに迫力のある、臆病な私にとって恐怖でしかない黒塗りの車がグッと徒歩の私との距離を詰めて来てその距離1m、オープンした窓からこれまた、車に負けず劣らず恐怖という形容しかできないお方が私の顔を舐めるように見て、そのまま走り去ったことがあった。トラに睨まれたウマの気持ちが誰よりも理解できたし、文字通りトラウマとなった出来事であった。


その日もコンビニで買い物を終えた直後に不穏な空気を感じ取っていた。見慣れているはずの風景に違和感。辺りを見渡すと、私から10m程の所に黒い物体が地面で動いていた。この世の物か、それともあちらの世界の物なのか、どちらにせよ見ては行けない気がしたのだが、高まる鼓動とほんの少しの好奇心で、気づくとその距離2mまで近づいていた。目を凝らしてよくよくみると、なんてことはない普通の泥酔したお父さんだった。その普通の泥酔したお父さんが仰向けで、来ていたジャケットを丁寧に上半身にかけてまさに今眠ろうかというところだった。春は目の前まで来ているといえども、まだまだ夜は震えるような寒さ、面倒ごとは極力避けたい私だが、その時だけは親切心ではなく、正義感で声をかけた。


大丈夫? 危ないよ? タクシー呼ぶ?


それに対する返答が、


ありがとう、こんなはずじゃない、田中さんちは暖かい、であった。なるほどね、人は泥酔すると面倒臭いんだね、と改めて思いつつ、半分引きずるように手を引いてコンビニまで連れて行き、店員さんと目を合わせないように足早に帰路についたことがあった。


あの時のお父さん、元気にしてますか? また変なところで寝ようとしてませんか? 田中さんちは暖かいですか? 


今日のような夜にふと思い出し、切なくなるのは、あの時もっと親切にした方が良かったのではという後悔からかも知れないが、この後悔を払拭する懺悔はアスファルトで眠るほどのことではないと思うので、私はしっかり布団で眠るとします。それでは。

初めてをナス遂げた人への敬意

どんなことでも初めて何かを成し遂げた人の事は賞賛すべきである。


今でこそ当たり前になっている事でも、前例の無い中で初めて挑戦した人はどれほどの勇気と度胸があったのかと考えてしまうことが多々ある。例えばパラシュート。きっと数多くの実験を繰り返し、これなら人でも大丈夫ではないだろうかと言うところまで研究がうまくいったとして、誰がじゃあ俺飛んでみますねと言えるだろうか。お前飛べよ、いや、お前が飛べよのなすりつけ合いが当然のように行われ、人間が飛ぶよりも数多くの言葉が飛びかう中、そこにいた一番年下が有無を言うことすら許されずに装着され、曖昧なカウントダウンの中飛ばされたに違いない。


潜水艦にしてもそうである。これなら海の中、水平線の向こう側まで行って帰って来れるだろう、お前ちょっと行ってこいよ、嫌ですよ、もし浮かばなかったらしゃれになりませんよ、私には妻と子供がいるんです、ここは言い出しっぺの先輩が言ってくださいよ、独身だから気が楽でしょと、お互いの気分が沈んで浮かない顔になるまで言い合いが行われただろう。


ずっと昔、科学が発展する前のことを考えてみると、食に関しても勇気が必要となった食材は数多くあったと推測される。中でも私が恐怖を感じるのがナスである。今でこそ天ぷらや漬物で確固たる地位を築き、みんな大好きカレーに入れればそれもまた喜ばれ、夏野菜の王様との呼び声は高くはあるのだが、よく考えて見てほしい。おどろおどろしい深く濃い紫色の見た目から想像されるのは、まさに毒である。形はともかくあの色は他の野菜から一線を画す、唯一無二、超攻撃的な野菜である。見た目で相手を怯ませるなら私は、ジャガイモでもなく、きゅうりでもなく、迷うことなくナスを選ぶだろう。


好きな野菜の上位にランクインできるのも、料理の幅が広がったのも名前も顔も知らない、ナスを初めて食べたあなたであると、私は心から拍手をし、ナスが料理で出てきたときには30秒間目を瞑ってあなたを思います。今日の妄想はナスとあなたで決まりと言ったところで、今夜は雨上がりの夜空を見上げながら眠るとしナス。それでは。

弱気

点滅する横断歩道を早歩きするでもなく、走るでもなく、余裕のスキップで渡る2人組の中学生くらいの女子を見たときに、春の訪れを感じた。そういえば桜の満開はいつなのだろうか、もう過ぎたのか、まだなのか、日本の美しい四季の中でも王様、春を意識することすら忘れるほど、ヒッシリと張り付いて離れない疲労とここ数週間お付き合いしている。夜は眠れないわけじゃないし、温かい湯船にも週5で浸かっているのだが、気づいた頃にはねっとりとした厄介な疲労がミルクレープやバームクーヘンのように何層にも折り重なっている。特にひどいのは背中、次にひどいのは肩から首にかけてで、座ってパソコンを打つ作業をこなさねばならない私には、今は春ではなく張るで、この状況が針のむしろなのだが、むしろ背中に針を刺してもらいたいものである。


減らしなさいの一言は、頭に塩分や糖分が付くと、お医者様からの忠告だと思って大切に心にとどめるし、お酒やタバコの量が頭に付けば、同居人彼女が長生きしてねと暗に示しているのだと思って愛を感じるのだが、会社のお上からの残業減らしなさいは、ポジティブに考えれば試練、ネガティブに考えれば仕打ちである。肉体の疲労が溜まれば心の疲労も溜まるもので、そうなるとポジティブには考えられなくなるものである。


疲労の主な原因がこれであることに違いないが、これを言い訳に、ここ最近体調が優れない同居人彼女ばかりに家事をさせるわけにはいかんだろう、さらに自分に課したノルマを緩めることもいかん、かと言って仕事の手を抜くのもカッコ悪いと変なプライドや意地が邪魔して無茶言うなの一言を飲み込んだのが間違いだったのかもしれないと、後悔の日々を送っているのだが、残業隠すために早朝に出社していたのを、上司にはお見通しで、耳元でお疲れさん、朝の分こっそり残業付けといてやると言われたときには、褒められるより労われたい私には最高のガソリンになったのは言うまでもない。


もう少し頑張るとしつつ、まんまと犬にならぬようせめて人面犬で留まれるタイミングをしっかりと見極めようと心に誓いながら、背筋をピンと伸ばして眠るとします。それでは。

盗る人の心理と安心

傘どうしたの?


自転車に掛けてきた。


盗まれるよ?


俺、自転車に掛けとくこと多いけど、盗まれたことないよ。コンビニとか本屋の傘立てに置いといて盗まれたことは何回もあるけど、あれは不特定多数の人が使える傘立てでしょ。たくさん傘が置いてあると、バレないという心理が働いて、間違えたフリして持ってっちゃう人がいるんだよね。だから、これは俺の傘ですよという意思表示がしてあれば持っていく人はそうはいないと思うんだよね。そもそも今じゃそこらじゅうにあるコンビニで傘ぐらい買えるし、100均にも置いてある時代だよ。監視カメラもたくさんある。そんなことは誰にでも分かっている事だし、数百円のもので犯罪者になるリスクを背負うのはあまりにおろかな人間だよね。そもそも、他人みんなを信用するとは言わないけど、悪い人間の方が圧倒的に少ないと思うし、もしそれでも持って行くのであれば、其れ相応の理由があったんだと寛大な心で考えて、困っている人を助けたと思って許してやるよ。罪を悪んで人を悪まずってやつだね。しかも今日ぐらいの小降りなら傘いらないくらいだし、まず大丈夫でしょ。


自転車に戻るとしっかりとられていました。ついでに自転車のライトも。


持って行った人が間違ってセーターを乾燥機にかけてしまうレベルのミスを犯す事を心から願って、今夜もなるべく静かにいびきをかきながら眠るとします。それでは。