立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

忘れた頃にやってこないように忘れない事

そろそろ来てもおかしくはない。

 

順番では無く、ランダムで抽選されているらしいので、確率は低くとも、きっと知らず知らずに抽選を受けて、それに漏れているに違いない。いつ当たるかもわからない、毎日ビクビクしているのは心身ともに良くないとは思うのだが、自分から立候補して当ててくれなんていうのは頭がおかしいし、逆に絶対当てないでと行ったところで、痛い奴が来た、追っ払えと先の尖った棒でエイッエイッとお尻突かれて終わりである。


思えば保育園に通っていた頃から人の注目を浴びるのは嫌いだったし、小学校の頃、足が速かったので、何人かが立候補しているにも関わらず、リレーの選手に推薦されたのに、頑として拒否したのがもしかすると人生でたった1度のモテやイケを我が物にするチャンスだったのかも知れない。あの時走っていれば、あるいは今頃メッシに飯を奢っていたかもしれないし、もしくはコービーブライアントに媚びていたかもしれない。ほんの少しの事が人生が変わるきっかけになることもあるのではと思うのである。


話は逸れてしまったが、私は忘れた頃にやってくるという言葉を信じている。なので、忘れないようにしているのが、裁判員制度である。罪を悪んで人を悪まずを地で行く私にどうして人が裁けようか、というのは建前で、実際は知らない人の前で物事の真理を説くなんてもってのほか、まともにしゃべることすらできないほどのあがり症であることが、陪審員制度に対しての恐怖の全てである。


それはそうとして、一生に一度回ってくるかもわからぬ陪審員制度にビクつくよりも、今は花粉症の薬を切らしていた事を忘れ、防具無し、生身の体一つで花粉と戦わねばならない明日に備えて、今夜は鼻の穴をロウでがちがちに固めて眠るとします。それでは。

夢と寝言と妄想

誰しも一度ぐらいは宝くじに当たったら、サッカー選手になれたら、あのアイドルと付き合えたらと、人生に何の足しにもならない妄想をしたことがあるのではないだろうか。


私も学生の頃は、通学の電車、つまらない授業中、眠る前と日に3度は口半開きで妄想にふけっていた。回数は減ったが、今でも週に3度は寝付きの悪い夜に、旅行先の帰りに時間つぶしで買ったスクラッチが当たり、もう一晩遊んで帰るという、わりと現実的な、大、中、小で言ったら中くらいの夢の想像をしながら眠りについている。そのおかげで眠れぬ夜も実はそこまで嫌いではないのである。


ある休日の朝起きてすぐに彼女に言われたのだが、喜びに満ちた“良し!”の後に落胆した感じで“あ、そういうことか!”とハッキリと寝言で言ったらしい。


その日に見ていた夢は、図書館の狭い個室で色っぽい女性と2人きりで、私はとにかくおならを我慢していた。うまくスカす事が出来なかったら、この女子に嫌われるだけで無く、警察を呼ばれてしまうと、ブボッと出そうになるおならを、ギシギシと奥歯を噛み締めながら我慢していた。もう限界だという時にその女子が部屋から出て行ったので、助かったという安堵で“良し!”が口をついて出てきて、女子と入れ替わりで警察が入ってきて、"あ、そういうことか!”であった。


この夢が何を意味しているか知らないし、寝る前の妄想が関係している気もするのだが、寝ても覚めてもおならの事なのね、と言われるのはなんだか心外なので、この夢の事は話さずにそっと心に仕舞ったのである。


さて、今度の妄想はエロかロマンか、いや両方合わせたエロマンが良さそうなので今夜も素敵な夢を見るとします。それでは。

蕎麦屋店員のパワーバランス

チェーン店ならチェーン店ならではの良さがあると私は思う。味の追求をしたいのであれば、老舗と呼ばれる蕎麦屋に行ってそばだけでなく、一品料理や蕎麦湯までをじっくり味わうべきである。見るからに食通、蕎麦通と言えそうな人たちが足繁く通うお店も魅力的ではあるが、どちらかというと、入りやすいのは肩肘張らないチェーン店である。蕎麦つゆには蕎麦の香りを楽しむため少ししかつけず、噛み過ぎずに飲み込み余韻を楽しむ等々、粋と呼ばれるたしなみ方があるようだが、壊れたアイロンを買い換えるのが目的の休日お昼にはお手軽感と懐に優しい価格設定が最優先となる。


運良く並ばず入れたこのお店は、カウンター席のみの回転寿司屋のような店内の造りの蕎麦屋で、5人のスタッフがくるくると目紛しく動いている。ホール中央で天ぷらを挙げている恰幅のいいおじさんはこのお店の社員・店長でこのお店のナンバー1だろうか。そのすぐそばで揚がりたての天ぷらをご飯の入った丼に乗せてたれを手早くかけてお客さんに出している20代そこそこのお兄さんは、バイト歴長めで社員にならないかと言われていてもおかしくなさそうな、できるスタッフだろう。店長と息のあったコンビネーションは見ものであるし、さしずめこのお店のナンバー2と言ったところだろうか。


そして、ナンバー3は、奧の厨房から蕎麦を茹でている腕しか見えないあなただ。厨房を縦横無尽に動いている様が見て取れ、蕎麦屋の蕎麦を茹でるのを許されている、言わばサッカーでいうとボランチ的な最も重要なポジションにつくことが許されるレベルのスタッフである。ナンバー4は注文聞いてお茶のお世話をしている、歴が一番浅そうなメガネの彼で間違いはなさそうではあるが、わからないのは持ち場がなさそうで、忙しそうなところを見つけては手を貸している若くてきれいな20歳超えて間もないように見える彼女である。たまにナンバー2からポジション奪っての天丼の作り方を見れば一目瞭然、ただのバイトとは言えない手際の良さだし、何と言っても店長と仲が良い(馴れ馴れしい)のが特に引っかかる。


ゲスな考えが真っ先に浮かぶ私なので、愛人なのか…? と一緒に行った彼女に聞いたところ、このクズやろうとの言葉が返ってきたので、人を見た目で判断するのはよくないことだとわかっているし、ナンバー1はおじさんでなく、彼女だったと、そう思う事にするとして、本日もなかなか眠れぬ夜を過ごす事なく熟睡するといたします。それでは。

ストレス解消法

気づけばため息をついていたり、普段は10分で着く駅まで15分かかるくらい足取りが重い事は、長年生きていれば誰だって一度や二度ではなく、下手すれば3日に1度は経験してきたでしょうし、今後もしょっちゅうそんなことはあるでしょう。気が重く、自分一人でずっしりとした何かを背負ったような気になる日には、カラオケをしたり、映画を見たり、人それぞれの解消法はあるのんでしょうが、私にもそれはあります。


最近の私のストレス発散法はもっぱら海外で活躍するサッカー選手のタッチ集をyoutubeで見る事である。ふんふんなるほどなるほど、この選手は調子が上がってきた、この選手はチームに合っていないと、日本代表の監督にでもなったかのような評論しながら、一人夜中にコーヒー味のチョコレートを舐めている時間が心地良く、好きなものを堪能していることが良いのか、はたまたセブンイレブンのコーヒービーンズチョコレートがリラックスを誘発してくれるのかはわかりませんが、すっと背中の重いものが一つまた一つと剥がれていくような感覚になるのです。


私のモットーは習うより慣れろでありまして、自分のスタイルが確立するまでは、どんなことでもなかなか前に進めないタイプの人間であると、職を転々としてようやく気付いたのです。そして早く慣れようと一生懸命やってもなかなか前に進めない時こそ私が最も生き生きしている時でもあるのです。辛い時ほど意外とストレスは少なく、いろんなものが見えてくるようになると、途端にストレスを感じ出す、そんな人間であると、ようやく気付いて少しばかり楽になったのでした。


休みの日になると仕事が気になってあんまり休めてない、ややワーカホリック気味なので、次の休みはくたくたになるまで遊んでやろうと思うので、今夜も仕事のことを考えながら寝不足の夢を見ながら眠るとします。それでは。

占い1位

普段はほとんどと言っていいほど気にしないし、特に都合の悪い部分は右から左ではあるが、12回に1回はついつい耳を傾けてしまう。毎朝の占いの事である。


今朝の占いで私の星座が1位であった。人気スポットへ行くのが吉で、古いビルがラッキーアイテムらしい。つまりは人気スポットの古いビルに行けばいいのかと、勝手にそう解釈し、何となく1日それについて引っかかっていた。人気スポットの古いビル、はっきり言って京都に住んでまだ日も浅いということを言い訳にするが、心当たりは無しである。


人気スポットと言えばUSJやディズニーランドか、はたまた我が家からの近所で言えば、水族館、鉄道博物館だろうか。しかしどれも古いビルであるという認識はない。古いビルはそこらじゅうにあるのはあるが、どれも名前すらわからず、人気スポットと呼ぶには程遠いものばかりである。そもそも古いとはどのくらいから古いとされるのだろうか。京都では100年未満のお店は老舗と呼ぶには若いと聞いてショックを受けたことがあったが、仮に100年以上が条件となると、さらに今日の1位を堪能できるスポットは極めて限られるわけで、ラッキースポットへ出向く時間も無い私には、今日の1位はむしろ下から数えた1位であると言っても相違はないのではなかろうか。


メガネ外すのを忘れてシャワーを浴びたり、髭剃りで唇を切るという初めての体験をする今日はやっぱり上からではなく下からの1位であったんだと、自分に言い聞かせて納得し、何もせずとも女子にモテ始め、鼻毛が全部抜け落ちる、そんな1位がいつか巡ってくると信じて、本日は初恋の夢を見ながら眠るとします。それでは。

 

趣味はと聞かれても割りと本気で悩む

趣味はなんですかと問われても答えに悩んでしまうほど、最近はとっても味気ない生活をしている。


さっぱりしたいときにはざるうどんで、ガッツリいきたい時は天ぷらうどん、どんな体調にも応えることができる、あのうどん屋のバラエティに富んだメニューは、サラリーマンから学生まで多くの人を喜ばせ、二日酔いの体にも、永遠にお腹がいっぱいにならない気がする腹ペコの心も体も満たしてきたあの大将は普段はどういう暮らしをしているのだろうと、不満が出ようのない平穏な日々を過ごしていると、ついつい考えてしまう。無い物ねだりである。


今、平日1本のノルマにしているこのブログを放り投げ、最近とんとご無沙汰の少し前まで足繁く通っていたあのバーか、最近近所に見つけたイカつそうなお兄さんがやっているバーに飛び込んでみると、何かが変わるような気もするのだが、どうもそこまでモチベーションが上がってこない。お酒が三度の飯より好きだった頃が懐かしく思うが、今は毎日のルーティンを大切にしたいという思いの方が強く、あのうどん屋のようなよっぽどの魅力がある趣味でないと、文字通り、動かざること山の如しである。


新たな趣味を見つけるか、それとも昔のように映画やお酒を嗜むか、何にせよ日々に刺激を求める今日この頃、あえて意識せずにいたこのブログの本数だが、区切りとしても、記念としても問題の無い50本を超えていた。ケーキを買ったりクラッカー鳴らしたりは無かったし、50本目はこんなことを書こうと考えていたことは30本目でネタに困って公開したし、予定通りにいかないことだらけであるが、冒頭で書いた問題は解決できたので、本日はいいよいいよと言われているが、一生つけることは無い(だろう)ブラトップのつけ心地を想像しながら眠るとします。それでは。

ベストな睡眠時間を探るべく

一体どのくらい眠ればこの眠気から解放されるのだろうか。


34歳がもう目の前に迫った月曜、週末の過ごし方が次の月曜日に無視できない影響を与え、下手すれば金曜まで調子が上がってこないこともしばしば。サウナと水風呂の往復でも取れない慢性的な疲労感のことを考えていることがもう若くはないということなのである。なのではあるが、私も10代の頃は程よい運動神経、程よい学力、で鳴らしていたため、腕に覚えありである。


いざという時は過去の貯金でどうにかなると心のどこかで思っているのである。


何もそれには根拠がないわけではない。日常の生活でその片鱗が隠しきれておらず、滲み出てしまうのである。ツタヤの登りエスカレーターでは、前のマダムのカバンからこぼれるように落ちたハンカチが地面につく前に拾い上げ、不信感いっぱいの目で睨まれるほど運動神経は衰え知らずだし、バーで泥酔しているにもかかわらず、飲んだビールの杯数と金額も2秒あれば計算することもできる。


このまま老いながらも、かつての輝きはそのままになんてこともあるのではないかと信じて疑わなかったのだが、つい先週の日曜日に、彼女とサイクリングでショッピングを楽しんでいた時、なぜそうなったか全く理解不能なのだが、軽い衝撃と共に私の自転車の後輪が宙を舞ったのである。私はあ、これはやばいやつだと瞬時に判断するやいなや、持ち前の運動神経するはずだったのだが、案の定綺麗に着地できるわけもなく、人通りも多い駅近くの道路で一人ヘッドスライディング状態をかましたとなれば、神が命に関わる大事故を起こす前に軽いジャブで30代中盤なめんな、調子乗ってんなよと知らせてくれた気がしてならないのである。神の御告げ通り、加齢には勝てない、明日からはつつましく生活しようと、プロで言えば引退宣言をした瞬間でもある。


近くにいたダンディーなジェントルマンに、青ざめた顔で大丈夫かと心配してくれただけで、少しは救われた気がしたのだが、その後ろで同居人彼女が一回転するの? の一言には苦笑いであった。この時からだろうか、寝ても寝てもまるで眠気がとれず、逆に1日徹夜してみようかなんて、出来もしないことを考えつつ、睡眠時間に7時間を確保すべく、今夜もしゃぶしゃぶの肉より薄い毛布で眠るとします。それでは。