立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

人が成長する時

もう嫌だという時こそ人は成長するものだと思うんです。


中学の時の部活で、炎天下の中終わりがわからぬランニングが練習メニューに組み込まれておりまして、多分20分とか走った時点でもう嫌だ、が当然出ます。当時は今と違い、水分を摂らない事が鍛錬に繋がるとされていたわけで、体内がカラッカラになりながら、そこから永遠30分以上は走らされるわけなので、嫌でも精神面が鍛えられます。


英語の学習も同じで、単語を覚えようとする時には、ノートに書くなり何なりして、とにかく繰り返し、反復でその単語に慣れていくわけです。もう嫌だというくらいこねくり回すと、あら不思議、その単語が頭から離れなくなってしまいます。嫌でも脳味噌が鍛えられるわけですな。


ではこれはどうでしょうか。嫁との外食のお話ですが、嫁は一人前を完食するのをほとんど見た事がない程の少食で、最終的に3分の1ほどは私が処理するのが恒例となっているのです。ですので、正直それを見越してメニューを選ぶのですが、嫁は大盛りにしたらいいじゃないと、決まってボリュームアップを勧めてきます。


食べるのが好きと行っても限界はあるし、体調によって店の盛り具合によっては1人前で十分腹一杯な事もあるんです。それに加えて残飯処理もあるので、もう嫌だと思う事も少なくはありません。体重を増やさないといけない力士ならば、食べる事もりっぱな鍛錬ですが、私にとって体重はむしろ減らしたいもので、成長するのは精神面でも知識でもなくお腹周りに他ならないので、今夜はジョギングするイメージでハーフパンツをはいて眠ろうと思います。それでは。

夏の熱意と決意

GWぐらいから薄々は感じてはいたが、やっぱり今年もやって来るかと、夕日見ながらため息混じりの一服しながら、不安感から胃袋が少しだけ小さくなるような息苦しさを覚えている。私は夏が本当に苦手なのである。


ただただ暑いのが無理、それだけの理由ではあるが、もし、夏が来るたびにモテの波が押し寄せたり、普通では考えられないほど残高が増えたりすれば、つまりは良い思い出・イメージがあれば苦手なんて言わず、春も半ばにさしかかれば、チューブとサザンのヘビロテで早く来い来い夏休みである。


今年の私は勢いが違いますぞと、何となくではあるがそんな年があっても悪くはないのではなかろうかと、連休最終日の前夜に思ったので、今年の夏は躍動感をテーマに活発に行動しようかと思った次第である。


もしかするとバーベキューで女子のハートを串刺しにできるかも知れないし、日が沈み晩御飯を食べた後のキャンプファイヤーではアコースティックギター抱えて尾崎豊のアイラブユーを弾き語る姿に恋を忘れかけた女子の心に、チャッカマンではなく、歌声で火を点けてしまうかも知れない。


何が起こるかわからない2017年の夏はすぐそこに迫っていると、半ば強引に心躍らせてはいるのだが、そういや一緒にアウトドアに行ってくれる友達がいなかったと、そもそも友達がほとんどいない事に気づいてしまったので、メガネのフレームで図々しく一休みしているてんとう虫が飛び立つのを見届けて、15の夜を口ずさみながら眠るといたします。それでは。

連休の過ごし方ってこんなもんですよね

1日1時間自由な時間があればそれで満足できるようになったのは30代も過ぎた頃からだろうか。緊張感から解放される瞬間がたまらないと言う程、普段から張り詰めて頑張っているわけではないし、むしろいかに楽をしようかと普段から試行錯誤しているわけだが、それでも大型連休が近づいてくると、あれをしようこれをしようと、旅行前のOLよりもウキウキワクワクしているのである。


今回のゴールデンウィークも例に違わず、あそこへ行きたい、あれをやっときたいなど、たくさんの企てはあった。が、蓋を開けてびっくりというか、こうなるだろうと予想はしていたのではあるが、ほぼ家から出ずであった。


最近話題のアベマTVとはいかなるものかと連休の初日に試してみたのが良くなかった。麻雀にサッカーに懐かしいアニメと休日数日分を消化するのには十二分なボリュームであった。私の大学時代は決して余裕のある生活ではなかったが、中学校からほぼテレビ無しの生活をしていた私にとって一人暮らしはテレビを見るためにあったようなもので、なけなしのバイト代の一部を、当時としてはブルジョアなケーブルテレビに充てたものだった。アベマTVはどこか当時を思い出す雰囲気があり、すっかり気に入ってしまった。

 

この連休で、忙しくなった時のために記事の一つでも書き溜めておこうとパソコンを開くところまでは良かったのだが、さてどんな事を書こうかしらとネットでヒントを拾うところから始め、数分悩んでたどり着く先がいつもアベマTVであった。そのまま明け方まで堪能し、お昼過ぎのやや温まった爽やかな風が頬を撫でると共に起きる。この生活リズムが、ガチガチに固まってしまうまで2日もかからず曜日感覚も無いまま、当然、書き溜める事ができぬまま、本日を迎えてしまった。


休日は多ければ多いほど有意義に使えないのが私なので、まあ、こんなもんかなと思いながら、そもそも忙しくもならんだろうと、後悔よりも諦めな感じで、明日に備えて日をまたぐ前に床に着きたいと思います。それでは。

渇きを癒す通り雨、甘酸っぱい恋とほろ苦い失恋と

外に出ると同時にしとしとと降り出した通り雨は、普段であればチッと舌打ちし、神様に届かない程度の小声で悪態をつくのであるが、今日だけは私の渇きを潤すための天からの恵みであったに違いない。


若い女子が二時間並んででも食べたいというスイーツには全くと言っていいほど魅力は感じないし、それならば最近品薄のカルビーポテトチップスか、私にとってのソウルフードゴーゴーカレーが嬉しいが、数日前にいただいチーズケーキだけは別格である。フロマージュのように舌の上でとろけるタイプも嫌いでないが、いただいたチーズケーキは流行りのとろけるタイプではなく、どちらかというと昔ながらのチーズケーキでしっとりとしっかりが融合したような、サッカー選手でいうと、ネイマールよりはラウールで、スアレスよりはファンニステルローイである。


いつもはスーパーで買う量産型のコーヒー豆を使うのだが、このチーズケーキはより楽しむために、古くからやっている喫茶店の少しだけ高価な豆を挽いたコーヒーを、いつもは箱のままスプーンを突っ込むのであるが、今回は小洒落た皿で食べたくなった。


ベストコンディションでじっくり時間をかけて楽しみたいという思いは、作り手に対しての敬意も含まれるし、それを楽しみに日々頑張ろうと思うのも決して悪い事でもないだろう。二日寝かせたのが悪かったのか、はたまた引っ越しと同時に作った自慢のカウンターテーブルに置いておいたのが悪かったのか、ここ数日の温度の上昇もよくないし、ともかくいろんな条件が重なって不運が生まれたのだろう。


見た目に異変や違和感は感じなかったし、意気揚々とスプーンですくって口に運んでびっくり、パサパサに乾燥していたのである。あれだけ楽しみにしていたのに、どうしてこうなったのかと悲しさ通り越して逆に平常心である。取り乱すでも落ち込むでもなく平常心。


後に引きづらず、甘酸っぱい恋から始まるほろ苦い失恋なんかも割とさっぱり忘れるのが数少ない私のいい部分だと思っていたのだが、日をまたいでもショックが残っているのは、予想以上にダメージを受けていたようで、心がチーズケーキ以上にパッサパサなので、せめて今夜だけは甘くとろける夢を見せて欲しいと願いながら眠ります。それでは。

のどから手が出るほど欲しかったのはエロ本と連休

私が中学だった頃は今ほどインターネットが普及はしていなかったし、人生で最も高まっている性欲を満たすのに使われていたツールは、エロ本、もしくはエロビデオであったのだが、その本やビデオを手に入れるのは簡単なことでは無かった。兄がいる人はおそらく私ほど悩んでいなかったのだろうが、私のような中学生はきっと多かったのである。


まず買いに行くのが至難であった。当時私の町には自転車で行ける範囲にコンビニは一つ、本屋が二つあったのだが、性欲を満たすツールで最も効果が高く、今で言う嵐の売り切れ必至のチケットと同価値と言っても言い過ぎでなく、憧れ・夢・希望が詰まっていたとされるビデオは値段も高く、まず中学生が手に入れるのは困難である。となれば自然と選択肢は本に絞られるわけだが、この本を手に入れるのも苦労したものである。


中学生なので、当然何冊も買えるほどの資金力は無く、失敗は許されない。仮に失敗してしまうと、その月、下手すりゃ翌月も体に合わない素材を何とか脳内変換して料理しなければならず、それでは買った意味が失われるので、本選びに吟味を重ねるわけだが、その前に重要となるのが、その日に店番をしている店員である。


レジで最接近する店員さんが女性の場合、胸を張ってこれ下さいと、普段はエロって何? と純情なフリをして、消しゴムや飴玉を買う中学生が、学校で使うものでは無いなと簡単に推測される下劣な表紙の本をホイッと渡せるはずもない。そうなると、まずすべきことは、店員のチェックである。女性が店番していればその店はあきらめ、次に近いコンビニもしくは本屋をチェックし、店員が男性であることを確認できて、ようやくスタートライン。じっくりと吟味の時間に入るわけだが、成人コーナーの前であれかこれか、それともこっちだろうかと堂々と選べるのであればこれほど苦労はしていない。


往年のK-1選手フィリオのように遠からず近からずの間合いを図りながら、その時を伺い、機が熟したと同時に確実に取りに行く。間髪入れずそのままレジに行き電光石火でお金を支払い、持って来た大きめのカバンにシュートである。これにて任務完了ではあるが、家に行き事が済むと今度は隠し場所をどうするかと悩んだ事もあったな、あれも青春の一部だったなと、のどから手が出るほど欲しかった連休を手に入れても二日目には手に余しているのは当時のエロ本と一緒だなと思った昼下がり。数日後の予定が埋まっていないゴールデンウィークの本番が楽しみで仕方がないので、今夜は少しだけ月を見ながら物思いに耽りたいと思います。それでは。

二日酔いのヒーロー

いつだってヒーローはどこからか現れて、ピンチを救ってくれるものである。名乗るほどの者ではありません、クールに謙虚に去るその後ろ姿で世の女性を虜にし、小さな子供には夢を与える。


何年か前の新幹線での出来事である。その日は友人の結婚式に出席して帰る日で、調子こいて夜が明けるまで飲み過ぎたがために二日酔いであった。そこそこ混んでいる車輌に乗って、三人席の通路側の席をキープした。窓側はサラリーマンで真ん中が空いている状態。これで万が一にも対応できると、ホッとするやいなや、すぐに子連れの女性がやって来て、真ん中の座席に子供座らせ私の横に立っている。


共感してくれる人も多いと思うのだが、どけと言われているようなものである。


今日は二日酔いで、座っているだけでやっとなんだよと、きっとわかってはくれない想いを胸に、少し悪いなと思いつつも狸寝入りを決め込もうと目を瞑ったその時、子供が、お母さん座らないの? である。


きっとこの状況、私はヒーローにも悪にもなり得る状態である。このまま狸寝入りを決めこめば悪になり、すっと席を立ってどうぞと爽やかに言えればヒーローか。いえいえ、そんな悪いですと恐らく言ってくるお母さんに、そろそろダイエットしようと思っていたんだ、今日がどうやらその日のようだ、なんて小粋なジョークを交えて譲れたなら100点満点で80点は堅いだろうが、その日の私は生憎の二日酔いで、むしろヒーロー登場を待つ側の弱者である。であるのだが、こうなってしまっては心が全く休まらず、止むを得ずどうぞと譲ったのだが、どうもすみませんと遠慮のえの字も見せぬままに座ったママは大したもんだと思った、そんな日であった。


別にヒーローになりたかったわけではないが、子を持つママは大変でしょうし、それはそれで良かったのではないかと思ったし、二日酔いになるほど飲むのもいかがなもんかと考え出す年齢なので、今夜は寝酒無しで眠るとします。それでは。

マスター、アードベッグのソーダ割りで

お昼を食べ終えしばらくすると、もはや毎度毎度当たり前のように、夢の世界に吸い込まれるような睡魔に襲われる。


あれは3年前の事だった。ヘソの上辺りに違和感を感じていたのが昼過ぎで、夕方になるとそれが痛みに変わってきた。寝たら治るだろうとその日は早めの床についたのだが、深夜の2時前に目が覚めて、寝返りうつのも悩むくらいの鈍痛がお腹全体に広がっていた。それでも痛みが時折和らぐので、可能性は低いのは承知のうえ、そのわずかな可能性にかけてそのまま眠ろうとしたが、そこから一睡もできず。


結局、朝早くに病院へ向かった。とうとう患ってしまった、いつかは通る道だろうがこんなに早く訪れるとはと、一人で静かに覚悟しながらも、とにかく早く痛みが止まって欲しい一心だったが、信じられないくらいに待たされた挙句、昼前に出た診断はまさかの盲腸。何だよ盲腸か、痛くなるの右側じゃないのかよと、拍子抜けしたようなホッとしたような、飄々と病名を告げ、切っちゃう? 散らしちゃう? とポップでキャッチーに問いてくる医者に切りますと告げてから、トントン拍子で手術に進み、全身麻酔をかけられた時、自分の抵抗全てが無力化し、一瞬で暗闇の中に落ちていく感覚が最後の記憶となった。


最近の昼食後の睡魔はそれを思い出すほどに強烈で、フリスクの3分の1ほどが消費されてしまうほどである。休みの日であれば昼寝しておしまいであるが、場所が会社だけにそういうわけにもいかず、奥歯でフリスクをバリバリ噛み砕いて堪える日が続いている。これはまた新たな病気なのではと思ったりもするのだが、そういや、暖かくなってくると毎年こうだったと思い出したので、どうせ昼眠くなるので、今夜はもう少しだけずっと途中の小説の続きを読むとします。それでは。