立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

ゲスとハウス

珍しく熱を出した。夏の熱は厄介である。寒気はするが止めどなく汗は流れて、最弱にしたエアコンの風でさえも肌に触れると、例えるならば痛みのような、鈍い不快感。だからと言ってエアコン切ると多分熱中症で死ぬだろうし、水やポカリを暇ありゃ飲んで冷えピタがピタッとできないほどにひたすら汗かいて。ようやく落ち着いた頃、眠りについて夢をみた。


夢の中では友達ではなく、かろうじて知り合いと呼べる程度の、お互いがお互いに遠慮し合うレベルの人たちと大きなテーブルを囲んでいた。テーブルには8番ラーメン(石川にあるラーメン屋。石川の人は全員知っている。マツヤの味噌やゴーゴーカレーより有名。)のメニュー。早く注文したいのだが、多分邪険に扱ってはいけない部類の知らないおっさんのおしゃべりが長く注文出来ずにいたら、睡魔に襲われ船を漕いでいた。という夢である。


フッと目を覚まし時計を見ると夜の10時を回ったところ。無性にラーメンが食べたくなったので、ややボーっとしながら近くのコンビニでカップ麺買って、念のためにもう一つ買って、帰路に着いた。まだ熱が完全に下がってないらしく、少し朦朧とながら夜道をトボトボ歩いていると、向こうから数人の外国人。嫌な予感がしますね〜、と俯き加減ですれ違おうとしたが、互いの距離2mほどのところで、


スミマセン


ほれ来たな。わかってくれとは言わないが、1人くらいあのマンは体調がバッドなんじゃないか、と言える奴はおらんのか。断るときはアイムソーリーでいいのかとか、熱って何ていうんだろう、ヒートアップで通じるのかと考え巡らしていると、見た目にも若いとわかる男女4人が英語で描かれた地図出して、ここへ行きたいと指を指す。


えっと、ゴーストレート、えっと、エンドー、ザットコーナーライト…オッケー、カモン。


いいんだよ、知らぬ地で迷うことほど不安な事はないし、それが他国で言葉が通じなければ尚更である。もしかすると、熱で困った友達のために解熱剤を買いに行った帰りに迷っているのかもしれないし、そうでなくとも、今日の寝床があるか分からぬ男子女子はきっとママ、ママと心の中で涙しているに違いない。


家から少し離れた方向に歩を進め、彼らの寝床となるゲストハウスを見つけて、見送って、サンキューを背中で受けながら家に向かった。ようやく家に着き、ほぼ1日何も食べていないのもあるのか、食欲もあり、とりあえず一つ食べようとお湯沸かしている間に、気づけばテーブルの上で肘つきながら、船を漕いでいた。


これが正夢なのかどうかはわからないが、また熱が出ると無駄に出来ない毎日に支障が出るため、今夜は冷房無しで眠るとします。それでは。

スマホとお年寄り

まるで熱帯地方のスコールのように短時間にザッバーンと降るのが最近のトレンドのようである。恋人同様、予期せぬ時にフラれるもんだから対応のしようがない。いや、こっちもバカじゃない、本当は暗雲立ち込めてくるのはうすうす気づいているし、めんどくさいので大丈夫だろうと高を括てしまい、ひどい目に合ってヒーヒー言うのはダメな男である。


もうiPhoneにしてかれこれ7年目、3台目だっただろうか。完全に使いこなしているわけではないのだが、それでもGoogleマップにネット検索にブログの更新にと、どちらかと言えば「扱えている」方であると思う。もし年齢が10も若ければ、さかりのついた高校生よりも朝から晩まで弄り倒しただろうし、もちろん今よりも「扱える」ようになっているだろう。


スマホはもはや若い人だけでなく、お年寄りでも持つ時代である。偉そうにするつもりは決してないが、それでもお年寄りよりは使いこなせているとは思うし、スマホ片手にまごまごしているお年寄りを見るとなんだか微笑ましく、心の中で応援してしまう。そんなもんではないのだろうか。私は自他共に認めるおじいちゃん子で、だからお年寄りは大切にすべきであると常々思っているし、本当なら道を歩くお年寄りは全員おぶって目的地まで送り届けたいと思っている。


駅のホームではしゃぐ子供の横でスマホのゲームに夢中になる父親に対して、またやってんの、異常だよ! と怒鳴り散らす母親の気持ちはわかるけど、異常なのは電車通過中でもはっきり聞き取れるほどのボリューム、声量であった。だが、このケースではお父さん怒られて当然である。息子ビビって当たり前である。


夕方にスコール同然で降り出す雨が止むのをのんびり待とうと、デパートのベンチに座り、買ったばかりの一眼レフカメラで鳩撮ったり、別の角度から鳩撮ったり、鳩が糞落とすのを撮ったりと弄り遊んでいたのだが、隣でお姉さんが老夫婦に、恐らくは父母に強めに当たっていた。何で電話出ないのよ、ここに印ついてたら着信があったってことだって教えたでしょ! と。


そんなことでそんなに怒鳴ってやるのはお年寄りには酷ですよと隣で思い、スマホの扱いよりもお年寄りの扱いをもっと勉強しなさいよと言いたかったが、それは言えるはずもなく、気づけば空が明るく雲の切れ間がやけに霞んで見えた連休の終わりでした。スマホを巡って怒鳴る女性は結構多いのかもと思ったのですが、とにかくお年寄りは大事にしましょう。それでは。

一石を投ずる

もうすぐお盆である。


恥ずかしくて目を見ることすらできなかった初恋、泥の味を初めて知った部活動、ややこしい粘り気のあるおっさんに絡まれたり、良い思い出も悪い思い出も時が経てば血となり肉となる。


たくさんの思い出と共に幼き日に過ごした、今の自分を育ててくれた故郷から離れて暮らす人にとって、お盆の里帰りは重要なイベントである。親の顔を見るのはもちろん、懐かしい面々と顔を合わせるいい機会ではあるし、実家で仕事忘れてゆったりとした時間を過ごすこともできる。


のではあるが、その前に大きな大きな難所が待ち構えているのである。(以前にブログで書いたかも知れないし、書いてないかもしれないが)国が全く動かず、状況の改善が全く見られないので、私が一石を投じよう。この一石が、大河の始まりの湧き水の一滴のように、いつかは大きな岩を、そして日本を動かすと信じて言わせていただく。


電車は立ち乗り券を作るべき、そして全席指定にすべきである。


文字通りだが、立ち乗り券の人は座っちゃダメで、自由席を廃止してはいかがだろう。


ピーク時の乗車率は軽く100%超えますよね。150%って事もありますよね。200%もあるんじゃないですかね。いや、指定席に座っている人はわかります。高い金額払ったんですもの、当然です。問題は自由席である。


自由席は椅子取りゲームよろしく早いもん勝ち座ったもん勝ちのむちゃくちゃなルールが採用されているようだが、場所が場所なら、時代が時代なら、殴り合いからの殺し合い奪い合いが始まってもおかしくはない。なぜ同じ金額払っている人に同じサービスを提供できないのか。運が悪ければ、身動きが取れぬギュウギュウの満員電車、事あるごとにケツバットしてくる先輩に呼び出された野球部の1年生のように額から汗して直立不動で数時間なんてこともあり得るのだ。なぜ同じチケットで立っている人と座っている人がいるのだろうか。


であるなら、全席指定席にすべきではなかろうか。指定席が無くなったら、もしくは希望者には割安の立ち乗り券を販売すべきである。


値段設定はどうするの、シート埋まらず立ち乗りばかり売れたらどうするの、そもそも立ち乗りの人と指定席の人はどう見分けるのよという声が聞こえてきそうだが、そんなもんは知るか、である。一石は投じた、後は企業努力でなんとかしろやというところで、このお話は、はい、おしまい。それでは。

遅めの七夕

毎年のことではありますが、雲がある時はまだマシで、ひとたび太陽が顔を出せば、日差しがミリミリと肌に食い込んでくるような、暑さもさることながら痛さまで感じるような季節になりました。


車を所持せず、京都市内ならどこへ行くにも基本は自転車なので、夏の暑さや冬の寒さはなかなかに堪えます。冬の寒さはヒートテックに毛糸のパンツに夜なべして編んだ手袋にと、関節が曲がらなくならない程度にどんどん着込めばそれで何とか乗り切れますが、問題は夏です。


暑ければ暑いほど肌を空気に晒したくなるものですが、私の裸は京都の定める許容の範囲内で収まるとは思い難いし、そもそもマナーやモラルは大切にと、品のある人間になるように育てられたので、ギリギリのラインは自分では超えないとは思いながらも、妖艶で正誤を惑わす春の陽気とはまた違った、ナイフひと突きで息の根とめてきそうな過激な夏の陽気で頭がヤられることも可能性として留めておかねばと、そう思っている次第です。


皆様も経験があるかと思うのですが、自転車で目的地に着き、冷房効いた場所に入った途端に流れる滝のような汗。この汗について一言言いたいのですが、出てくるのが遅すぎやしませんか。


いや、きっと自転車で風に吹かれるから出ては蒸発、出ては蒸発を繰り返しているのだとも思います。しかし、涼しい場所でそんなに汗かくと、そりゃ風邪もひきますし、もう十分冷えた、うん、ありがとう、もう十分冷えたよ〜大丈夫なんだよ〜と、何度も心の中で唱えているのに、なかなか止まらないってどういうことなのかを神に問いたい、場所が場所なら笑い者となることでしょう。


例えば白を基調とした壁に北欧家具が揃ったカフェは、きっと色白で少しだけ病弱な、か弱い綺麗な読書好きな女性が常連なのでしょうが、こんな空間に私のような汗だくメタボリック男子が入れると思いますか。答えはノーです。


お店も客は選びたいでしょうし、私も私できちんと手入れしてある家具に大量の汗で水たまりを作るのには抵抗があります。迷惑をかけぬよう、人様の怒りに触れぬよう細心の注意を払ってはいますが、この汗だけはどうにもこうにも。仮に汗染みがおしゃれだね、なんて世の中が来ますよう、少し遅いですが七夕にお願いしながら、本日も夜空見上げて眠るとします。それでは。

 

 

備えあれば憂いなし

甘く見ていたつもりはないし、むしろ予定通りだったと強がりたい。ほとんどの場合うまくいかないことの方が多く、だからしっかり準備をして不測の事態に備えるのが、経験を積んだ大人というものである。


カレールウとジャガイモと肉がない。嫁に何食べたいかと聞かれたから、なぜか日曜に異常に欲するカレーと答えたところ、冷蔵庫の前でそう呟いた。独り言だなと思いそっとしておいたのだが、カレールウとジャガイモと肉がないと、今度は少しだけ強めの声質で呟いたので、新品のビルケンを履きたかったのもあるし、俺買ってくるね〜とエロいことがあるのかないのかわからない曖昧なマッサージ屋をネットで探すのをやめ、出かける準備をした。夕立くるかもよ、傘もっていったらと言われたのだが、自転車で行くし10分くらいで帰れるから多分大丈夫と言い残して家を飛び出し、黒い雲を確認しながら、間に合う間に合うと気軽な気分で自転車飛ばした。近くの八百屋は、無農薬、美味しい、健康の文字に加えて、野菜を作った農家の名前と写真が並ぶ、今どきの意識高い系御用達店舗である。


店舗に着くと、前でジャガイモの詰め放題をやっていて、これはラッキー、でもそんなにたくさん詰め込んでもなと、袋をしばれる程度に詰めレジに向かったのだが、20代と見える可愛らしい男子がレジ番をしており、その周りを外国人マダム達が囲い談笑していた。はじめは若いのに英語喋ってきちんとコミュニケーションとって偉いなあと思っていた。素敵なことだと思うし、マダムたちの表情を見ると好印象を抱いているようなのだが、しかし、しかしである、話がまあまあ長いのである。すごいすごいよ、レジの人。君はすごい、英語で受け答えしてしかも、マダム達が爆笑じゃないの。でもね、後ろに中学レベルのイングリッシュで精一杯だけど、何度もマニーをこの店に落としているジャパニーズマンが並んでいるのはわかっているよね、何度か目が合っているよね、談笑もいいが、まずは手を動かして清算しなさいよ、レジ終わってから話しなさいよと、心で怒鳴って目で訴えて、ようやく私の番になったのはそこから15分もたった時だったろうか。本当に美味しい野菜が並ぶし、近所だし助かっていたのだが、多分もう来ないよと心の中で言い残して店を出た。


土砂降りである。


幸い肉屋も近いのでとりあえずはなるべく濡れないように肉を買い、コンビニまで自転車飛ばしたが、夕立は思ったよりも強く激しく、一瞬でパンツのなかまでびしょ濡れになった。もしも、日曜の夕方、全身ビショビショの曇ったメガネでカレールウを買って、400円出したつもりが301円で、コンビニの店員さんと変な感じになっている人を見かけたなら、きっとそれは私である。


濡れてしまったものはしょうがないし、カレーも美味しく作ってくれたし、まあいいのではあるが、ビルケンは新品だったのだ。いつか汚れるし、サンダルだから濡れることくらいはどうってことはないはずなのだが、昼間に購入し、今年は三本ラインを楽しもうと、ウキウキで家の中で試しばきまでしたビルケン、その3時間後にはビッチョビチョ。全然良い全然良いと思い込んでいるだけで本心は全然良くないと気づいてしまった時の怒りの矛先は、やはり長話の彼にいってしまうのだが、彼も仕事していただけと、なるべく寛容な心でリラックスして眠ろうと思います。それでは。

体のダルさとストイックな自分

いつだったか、何かの集まりかで会長が、仕事は掃除に始まり掃除で終わる、と言っていたのを聞いて、素直に素晴らしいなと思ったし、めんとくせーなとも思った。


気がつけば、というか最初から私しかしていない朝の掃除は梅雨のせいか週が始まったばかりだからか、はたまた前日に喰らった夕立の後遺症なのかはわからないが、やけに体が重く感じた。やる気のやの字も出ず、だけども下の階の人たちに、掃除してるなと思わせるためとりあえず掃除機の電源を入れ、か弱い女子の甘い吐息が漏れる部分を優しく撫でるように、おんなじ箇所を何度も何度も掃除機で撫でていた。

 

掃除そこそこにデスクに戻り通常業務を始めても体の怠さが抜けるわけはなく、今日はこんな日なんだなとなんとなく力抜いた時に限って面倒な仕事をどんどん言われるのが会社である。どうにかこうにか1日乗り切ったのだが、こんな時には汗と共に体の中の毒素を排出するしかない。週の初めだからこそ明日への活力が必要である。


いつもなら一択、サウナに直行するところなのだが、今日は以前から、正確に言うと年明けからやるやると言ってできていないジョギングをする絶好のチャンスではないだろうかと思うのである。昔、週に5日間ジョギングをしないと気が済まないほど、日課となっていたことがあった。その時のことを思い出せば、きついのは最初だけで10日ほど頑張って続けると走りたくて仕方がなくなることもわかってはいるが、なかなか重い腰が上がらない。


今日は嫁の帰りも遅いので食事の時間を気にしなくてもいいし、夕立も無さそうだ。きっかけなんて必要ない、やろうと思った時がその時である。さあ、今こそスタートラインに立つんだ。帰り道、自転車のペダルを気持ち強めに踏んで、帰り道を急ぎ、その甲斐あって家に着く頃には汗だくであった。普通ならばここで満足、十分に毒素は抜けたとシャワー浴びて終わりであるが、今日は一味、いや三味は違う。この程度では満足できないもう一人の、かつて友にストイックと言わしめた自分が、背中をグイグイッと押している。ようしわかった、こんな自分は見たことがない、やってやろう走ろうじゃないか、ジョギング用にとっておいたゲームシャツ、一回しか履いていない昔のトレシュ、運動ように買ったハーフパン…ツ、そういえば前の引越しで盛大に汚れたからと言って捨てていたのを忘れていたので、やはり今日はこんなもんだよねと、弱いもう一人の自分が一番強くなってしまったので、やはりシャワーを浴びて、テレビでも見て過ごそうと思います。それでは。

 

立ち飲み屋

年端もいかない頃の曖昧な記憶ではあるが、テレビに映るへべれけのスーツ着た酔っ払いの映像を見て幼いながらに何やってんだよ、恥ずかしくないのかよと思ったし、酔っ払うという行為をなぜ大人達は好むのか理解ができなかった。それが、気づくとお酒に頼る人生が始まっていた。とにかく酔うことが楽しくて仕方なかった20代を経て、30代、スーツ姿で酔う人の気持ちが少しはわかるようになったと思うと同時に、実は私もそちら側の人間だと気付いた。


社会に出るとやってられないと思うことが9割で、残りの1割に希望、夢を託すのも疲れてしまう。心の疲れを忘れるのは酔い、脳が体がそれを求めるのである。


先日最近増えてきた立ち飲み屋に酔いを求めに行った。店の中はすでに人がいっぱい、陽気な人で埋め尽くされた満員電車と例えたくなるような空間だった。何とか場所を確保して、さて始めますかととりあえずの生を注文し、壁に貼られたメニューに目をやる。しめ鯖に秋刀魚の塩焼きにお造りに、なるほどお魚が強いお店なのね、いいじゃないかと、ビール飲みながら大将と軽く話し、私が北陸出身だと告げると、


兄ちゃん、北陸かい。なら舌が肥えてるね。うちの魚はうまいぞ。ブリもホタルイカもやっぱり富山のが絶品だね。こんな商売してるからね、お客様に少しでもいいものをって思うから全国いろんなところに食べに行って、こいつ食べるならここってのをがんばって探してね。できるだけいいものをいい状態で仕入れるんだよ。だから自信持ってうまいから食べてってって言えるんだな。でもごめんね、今日ほとんど出ちゃって穴子ときゅうりしかないんだよ。ははは。


と言いながら厨房に消えて行った。いいよいいよ、大将の心意気聞けただけでビールがうまくなる。きゅうりと穴子あれば十分じゃないの、


きゅうりと穴子ください。


すいません、たった今キュウリも切れちゃいまして。すんまへん、へへへ。


ヘラヘラしたバイトのお兄ちゃんに少しだけ絡んで、煮アナゴ3匹をたいらげてから店を後にした。うまいこといかないなあとも思いつつも、穴子は本当に美味しかったのでまあ良しとします。それでは。