立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

何かのせいにはしたくない

このうだるような暑さのせいではなく、その夕方に突如降り出す土砂降りのような極端な天気のせいでも、食べても食べてもおさまらない底なしの食欲のせいでもないし、おさまったかと思ったら突如襲い来る衝撃的な睡魔のせいでもない。


ましてや最近ではおならが無意識でパンという音と共に出るようになってしまったせいでもなければ、朝起きた時の顔の表面5mmを覆う中年の油のせいでも、28度では少し汗ばむからと言って27度にすると今度は肌寒くなる、調整が思春期の女の子よりデリケートなクーラーのせいでもなく、はたまた6時に炊飯ジャーのタイマーをセットしたつもりで16時になっていたことに感じた、我ながらのおっちょこのせいでもない。


喜ばしくないことが起これば、本心は誰か(何か)のせいにして逃げてしまいたくなるものである。それが一番楽だし、精神を正常に保つならそれも正しい、そんな気がするし、少しずれるが、ミスは部下のせい、手柄は自分のものとしてしまう上司はきっとこの世の中にごまんと居るだろう。それが正しいか間違いか、出世に影響あるのかどうかは知らないが、そんなもんなのだろう。


格好付けるワケではないし、声を大にできるワケでも胸をはれるワケでもないが、私のポリシーで、何かのせいにするのはナシ。大ナシ! 全部自分が蒔いた種だと、そう思うようにしている。


閑話休題、お盆や正月の里帰りで久しぶりに同級生と会う度、年々増えていると思うのは、結婚の話題や子供の話題よりも体調不良、健康状態、体の衰えの話題が圧倒的に多くなる。酒も飯も上手くなるどころか不味くなるのだが、みんな話さずにはいられないのだろう。


事実私も気づけば、先日腰が〜や段差につまづいて〜など、なんとも情けないワードが次々と口から飛び出し、悲しいかな話題には事欠かなくなる。まだ笑って話せるうちは救いなのだろうが、いよいよ笑えなくなる日が来ると思うと、やれやれ、とため息しかつけなくなってしまう。


ため息を吹き飛ばすような、目の前に光がスッとさして希望に満ちる話題は探しても探しても見つからないし、仮にあったとしても、気づけば最終的に健康関連の暗い話しし出すのは、それもこれも全部加齢のせいである。


残りの人生華麗に舞いたい、それくらい口走っても怒られないと思うので、明日はカレーでも作ろうと思います。それでは。

白のブラウス

普段から移動はもっぱら自転車なので、大雨の日以外自転車に乗らない日はほとんどなく、それならという理由で自分にとって値段的な意味で随分背伸びして(値段聞かれて答えると相手はだいたい拍子抜けした顔になるので、多分相当安い)買った、乗り心地のいいスポーティーな自転車は、控えめに言ってもママチャリよりはよく走る。はずである。


朝の自転車通勤でよく会うあの子にじつは夢中なのである。腰の上辺りまである長い髪を一つに束ね、いつも背筋をピンとのばして白いママチャリを漕ぐ姿は、いい意味で昭和美人。清純を絵に描いたような、白のブラウスがよく似合う、小学校の先生をイメージしていただけたら、当てはまる部分は多いように思う。


「みなさん、おはようございます。あと少しで夏休みですが、その前に、一学期でどれだけ勉強ができるようになったのか、これから試験をしたいと思います。ええーじゃない。はい、静かにしなさい。そこリコーダー振り回さない! 山下先生とは付き合ってません。大人をからかわないの! ほら早く始めるわよ。田中くん座りなさい。教科書を机の中にしまって下さい。こらっ、スポンジ食べない! しまいなさい。机の上は筆箱だけ。」


“生徒たちは言う事聞かないし、ネットの影響で変な知識もついてきてて、知らなくていい事聞いてくる。手を出そうなんてもっての他、少し強く叱るだけで親が出てくるし、高橋先生(お局)におべっか使うのももう大変。毎日がヘトヘトで綺麗にお化粧やお洒落をする暇もないし、大学時代から2年間付き合ってる彼氏とは2週間に1度会えたらいい方だけど、それでも私、がんばってます! 今すっごく輝いてるの!”


というイメージがぴったりなこの女子は、白いママチャリを、立ち漕ぎするでもなく、汗ひとつかかずに平然と漕いでいるのだが、すっごく速いのである。当然電気自転車でもない。すっごく速いのである。ついて行こうと思ったら太ももがそこそこぱんぱんになると言えば少しは伝わるだろうか。とにかく速いのはママチャリの天才か原チャリの生まれ変わりか、彼女の正体に興味津々である。


今日はいつもより暑い気がするのでブドウを食べて元気に寝ます。それでは。

せめぎ合いの負け戦

己の中にこそ敵はいて、日々そいつとせめぎ合いながら、勝った負けたを繰り返している。


例えるならば、修行僧(※注 イメージ)にとってはお金や性なんかの欲を己の中から追い出そうと滝行や断食などそこまでしなくてもと言いたくなるような厳しい修行をしているが、行動や体調、気分によって油断すると誘発される甘い誘惑はまさに敵。


修行中と言えど年頃の男子はいい飯食っていい女抱いてと、冷めきった衣厚めの天ぷらよりも胃もたれしそうなギッラギラの大きな野望や、ネットで拾ったセクシーな画像のフォルダをこっそり作りたいという小さな欲望くらいは心の奥底に秘めていても不思議ではなく、明日の仕事を出てない熱のせいにして休もうか休まざるかの狭間でゆらゆら揺らいでいるのは、がんばってサラリーマンやっている私である。


ダイエット中であれば隣のおうちの綺麗なお姉さんの作りすぎちゃってと持ってきてくれるシュークリームや、漫画喫茶でフリードリンクの隣においてある無料のソフトクリーム、ラーメン屋のおかわり無料のライスには手を出してはいけないのだが、その分どこかで運動すれば大丈夫、ジョギング始めるきったけ探してたしと、皮算用始めた時点で負け戦である。


本日昼までの締め切りの、仕事とも言えないが頼まれ了承した案件があるからすぐに帰るつもりで、本当に一杯だけのつもりだったのに意外と早く飲み終わり、ならもう一杯いけるだろうとおかわりして、酔いが回り始めたなと思って気づけば6杯。お店の閉店後に締めのラーメンまで行くおまけ付きで、時間は薄明るくなり始める4時過ぎ、酔いと疲労からくる眠気という強めの誘惑が私を布団へ布団へと誘うのであるが、今日はすでに何度も負けているので、もう負けるわけにはいかんと抗おうとしたということだけ、せめてそれだけでもわかってほしかったのである。


気づけばパソコンの前で締め切り目前の11時。結構寝たなとスッキリ起きた私の頰を、誰かお願い、目の覚める一発でバチンとくれてやって欲しいのである。だからと言って過ぎたことはどうしようもないので反省はするが後悔はしないし、でもきっとまた同じ過ちを犯すのだろうなと思いながら、小雨そぼ降る中クーラーのタイマーを長めにセットして眠りたいと思います。それでは。

男女間の値段の差

興味はないし、関係もないし、ネットオークションで釣り上がる人気アイドルのコンサートチケットくらいどうでもいいのだが、今流行りのナイトプールに少しばかり引っかかる。なぜ今までなかったのか、それともできなかったのか。


風営法とか条例とかがややこしいのかなと、そういうことにはなるべく関わらずのスタンスは頑なに守っているので、その手の類は何が良くて何がダメかが全くわからぬのだが、なぜ今になって夜にプールと思うのである。私が知らないだけで既にあったのかも知れないが。本当は無理やりこの話題を出したのは、価格設定について苦言を呈したかったのである。


何度も言うが興味ないし関係ないし行くこともないしどうでもいいのだが、一部ナイトプールの入場料は、何故にメンの方が2000円ほど高いのか。例えばビュッフェのように食べ放題飲み放題なら、おおよそ女子より男子の方が量を食べるし飲むし、値段に差があるのに理解はできる。


プールで価格差を設ける意図は一体どんな理由があるのだろうか。食べ放題付きなはずはないし、もちろん飲み放題付きでもないだろう。プールの水をたくさん飲むのは男子だからという理由はもっと違うだろう。


むしろSNS映えするとかなんとかで写真バッシャバシャ撮って楽しんでるのは圧倒的に女子ではないだろうか。


…なるほど、そういうことか、SNSにあげる→人が見る→宣伝になると、この効果を狙っているのかと思えば少しはわかるが、それでも納得できるほどの金額差ではない。ナンパありきでそれ狙いの女子ばかりならむしろ安いくらいだとも思うのだが、きっとナンパ禁止となっているだろう。なっていなければ価格差よりもどうかしている。


どちらにしてもやはり価格差を設けた時点でおかしいと感じるべきだと思うし、男子も男子なら女子も女子、価値を下げられて喜んでじゃないよと、相席居酒屋しかり、奢られて喜んでんじゃないよというお話である。


と言いつつも、きっとお金と元気と若さがあれば、だいたいの女子のご飯は私は奢りはするのだが、今そんなことをすればいつもそばにいる嫁に夫婦間の格差が生まれるほど怒られそうなので、この話はこれくらいにしたいと思います。それでは。

どこでもドアが好きである

本を片手に木陰でゆらゆらするハンモックに寝そべり、慣れないサングラスを掛けて、読書しているようなしてないような、蚊が増えてきそうな昼過ぎには蚊取り線香を近くで焚き、そのついでに冷凍みかんを3つ取り出し、水滴がたっぷりついたみかんをおでこに当てて気づけば陽が傾き1日が過ぎて行く。そんな時間の使い方をしたい。


美味しい桃だから、もう少しで食べ頃だからねと言われて、その食べ頃が見ても触っても押してもよくわからずに、いいのか、いいのか、食べていいのかと悩んでいるうちにネットに包まれている部分の色が変わり始めていて、見逃した食べ頃を悔やむでもなく残念がるでもなく、ほらやっぱりねとにやにやしながらかぶりつく、そんな余裕のある生活がしたい。


1日の始めがうまくいくことはとても大切なことだと思っている。験担ぎである。朝、信号をタイミングよく渡ることができ、そのまま長い赤信号の足止めをくらうことなく職場に着いたなら、1日がうまくいくような気がする。


1日3本しか吸わないタバコ、仕事の息抜きに必需品のフリスク、何となく元気になる気がするレッドブルを買いにコンビニに寄る時が最も気をつかうが、その分うまくいった時の喜びは倍である。どのコンビニに寄るのが一番ロスが少ないか、コンビニには他に客がたくさんいるか、店員はレジに何人スタンバイしているだろうか、コンビニ出た瞬間に信号が点滅したらどうしようか。


なんだかんだで信号のタイミングが良く(逆に悪く)、結局そのまま職場に着いてしまったなんてこともなくはないが、ストレスを和らげるためのものを買うために余計なストレスを溜め込むのはいかがなものかと思うのだが、私は昔から移動時間が一番勿体無いと考えてしまう。電車やバスや、たまに乗るタクシーなどについては話は別だが、自転車や車は運転に集中しなければならないし、睡眠時間に当てることも自己啓発本を読むことも、際どい水着の女子の画像で溢れるページをスマホで見ることもできない。そもそも移動時間が少なくなればすくなくなる程私はもっと幸せな気がするし、いつも私の幸せを願ってくれる可愛い嫁に、いっその事仕事辞めちゃえばいいんじゃないかとお伺いを立てたところ、目だけで殺されそうになったので、くだらないことを考えるのはやめて、早くどこでもドアができるのを願いながらさっさと眠るとします。それでは。

 

 

辛さへの挑戦は人生のメタファーである、かもしれないのである

後悔するかも知れないが、むしろ後悔を承知で、どこかで望みながらココイチでは5辛を頼んでみたくなる。辛いのが得意な人にとっては何て事ない数字だろう。かつては私も、得意とは言わずとも好きだったので、2辛から3辛、4辛へと階段を一段づつ登っていたのだが、5辛でスプーンが止まった。


別世界じゃないか。


5辛は食べられない、つまり限界は4辛か、頑張ればどうにかなると思って生きてきたし、事実どうにかなってきたことの方が多かった。辛さなんて我慢さえすれば、いつかは天に手がとどくと思っていたのは間違いだったとその時に気付かされた。嘆かざるを得なかった私を尻目に、一緒にいた友人は痛い、辛い、美味いと汗と涙と鼻水をバッシャバシャこぼしながら、私にとっては夢にすら見ないココイチのキングオブキング、10辛をペロリと平らげた。


ここで終わりにしよう。


才能の違いをまざまざと見せつけられ、(外でいろんな水分を顔中から溢れ出させるのもどうかと思うし)私は階段を登るのをやめた。


3辛くらいが丁度いい。


この頃から上に上にと、より高みを目指しての挑戦はしなくなった。家にハバネロパウダーを常駐することはなくなったし、納豆にコチュジャンを入れることも、うどんに一味唐辛子を大量に振りかけることもなくなった。戦わないことに慣れ、ぬるま湯に浸かっているのが心地良くなってしまったのである。


むしろ辛過ぎたら味わからんし、美味しくないよね。ほどほどでいいんだよね。


聞かれてもない理由がすらすら口をついて出て、本心を心の底に隠すようにしまいこみ、今の自分を正当化している。言い訳だろうと言う奴にはそう言わせておけばいいし、負け犬の遠吠えだと言う奴は放っておけばいいと、精一杯の強がりをのたまったところで、この歳において挫折からグレていたことに気づいてしまった。恥ずべきはなりふり構わずてっぺんをみた彼の様ではなく、チャレンジしなくなった私である。


もっと真正面からぶつかろう、当たって砕けるのを恐れるのはもうよそう。若さや老いなんて関係ない。生きていればややこしいことばかりだし、上等だよ、両の手を広げて向かって来るものを避けることなく全身で受けてやる。次回ココイチでは5辛にチャレンジするし、嫌なことも喜んで受け入れる。だからお願いだ。少しエクセルができるからって起動しなくなったパソコンを直せるとは思わないで欲しいのである。


不可能なことは不可能で、できないことはできないと言うことはきっと逃げじゃないよねとそう思うのであるが、これも甘えと言われたらそうなのかも知れないなあと思いながら湿度のやけに高い夜をなんとか凌いで眠ろうと思います。それでは。

記憶力と記録

妻の変則的な出勤時間に合わせていつもよりも45分早く起き、朝食のベーコンエッグをご飯に無造作に乗っけてプチトマトと一緒にかき込んだ。妻を見送って一服して、めざましテレビを眺めていたあたりから、違和感を感じている。


何か忘れている。


別に何てこともないことだったような気がするけれど、意外と大切なことのようにも思えるし、それが何だか全く思い出せない。変な事はしっかり覚えているけど、肝心な事ほど忘れるのねと、記憶力に自信があった若い頃に言われ自信ではなくただの過信だったと反省した時から、自分の記憶力の頼りなさは誰よりもわかっているつもりである。


その日からなるべくメモを取ったりスマホに記録したりしているのではあるが、最近、メモしたことすら忘れ、そもそもメモしようと思うことすら忘れている。夏の暑さか加齢か病気の類か気の緩みか、はたまたそれら全部かはわからないが、とにかく、何かを忘れていることだけを残して、肝心な部分が私の記憶から消え去った。


白のブラウスが眩しい可憐な女性からお手紙をもらったなら、それを忘れることなどまずないし、嫁の誕生日は何もせずに過ぎてしまったが、別に忘れていたわけではない。山積みのしょうもない仕事の締め切りを忘れたとしても、これほどもやもやするわけもなく、むしろスッキリと晴れ晴れするはずなのでこれも違うとなると一体何を気にしているのだろう。思い出せないものはしょうがないので、いつも通りに会社に行き、いつも通りに仕事した。


仕事中に鳴ったアラームは、確かに私が何かを忘れないようにと設定したわけだが、それが何かを思い出せないとなると、その設定も無意味で無駄となる。そのまま1日も過ぎて、定時帰宅主義の私は、拭い切れないメガネの汚れのような気持ち悪さを胸にひめたまま、夕立に怯えながら急いで自転車漕いで汗だくだくで家に着き、シャワーをサッと浴びたところでようやくそれが何かを思い出した。


嫁の帰りが遅くなるからご飯は適当に食べてねってそりゃどうでもいいわ。帰りに弁当買って来ようのアラームだったわけだが、絶対に忘れるとふんだ昨日の私は今日の私よりも私のことをよくわかっている。だが、君が思ったよりもずっと重症だったねと、過去の自分にそう語りかけるうちにだんだんと夜は更けはしたけれど、まだまだ蒸し暑いので皆様お体を大切に。それでは。