立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

とほほ

片道徒歩で15分自転車で5分の距離にあるスーパーまで自転車で行き、あれもこれもそうだそれもと手当たり次第に食品をカゴに入れ、レジを通すと大きな袋に2袋程度。しょうがないし、やむなく自転車置かせていただいて徒歩で一旦帰ってもう一度戻って来ることにした。

右手に米5キロが入った買い物袋、左手には2リットルのコーラが入った買い物袋は炎天下では思ったよりもハードな運動で、袋の取っ手部分がぐいぐい食い込みいつ引きちぎれるかわからない指のまま、歯を食いしばり、人混みの中、歩みを進めるたびに飛び出さんとする体内のガスを、肛門に力と気を集中させることで、街行くお父さんお母さんに不快な思いをさせてしまうのはどうにか回避。


滴る汗に悲鳴を上げ始める筋肉に、嗚呼、夏の部活ってこんなだったなあと、ほんとにこんなだったか? と、青春時代と現実の狭間をゆらゆらしているうちに何とか家に着いたのだが、私の住むマンションは入り口の扉がやけに分厚くやたらと重い。しかも手前に引いて開けるタイプであるとなると、一旦右手に荷物を持って左手でムンッとドアを開けた時にバッスンと肛門からガスが飛び出したことは内緒にしていただけるとありがたい。


部屋に入って冷蔵庫に物を詰めながら、そうかそうか、2回に分けて買い物すれば良かったと、その時にようやく気付いてしまい、これからまた、炎天下の元スーパーまで徒歩かと考えると途方もなくとほほである。


昨晩飲んだビールがまだしっかりと抜けていないようなので、本日はこのくらいにして、早々と眠ろうと思います。 それでは。

狼狽

ほんの20分前に家出る時は覚えていたし、途中コンビニ見かけるたびに頭をよぎっていた。お仕事のお供にもはや欠かせなくなりつつあるフリスクエナジーミントが残り少なくなっているにもかかわらず、職場に最も近いファミマに寄るのを綺麗さっぱり忘れさっていたのは、私がバカだからでも、いよいよいい歳だからでもなく、ただ単にひどく狼狽えていたからである。


普段から何事も気に留めず、京都で最も空気に近い男を目指しているので、冷静沈着、後ろからタックルされようが執拗にユニホームを引っ張られようが顔色変えずに寸分の狂いのないフリーキックが蹴れるピルロと同格、いやそれ以上だと自負しているのだが、本日ばかりは狼狽えざるを得なかった。


いつもは大通りを通ることが多いのだが、信号の関係や気分で、一本入った細い道を通ることがたまにある。今日もそのパターンで、何となく小道を走っていると、進行方向20mも離れた所だろうか、声がするから注目すると、男女が何やら喧嘩しているようだ。


朝から元気ですなフフフと、微笑ましく、見て見ぬ振りして、実はしっかりと野次馬しながら通り過ぎようとしたのだが、5m程に迫ったところで彼女が彼氏に思いっきりバヂンッとビンタした。例えるならば目の前に鬼が現れたとして、やらなきゃやられるという状況で鬼に喰らわすビンタ並であったのだが、喰らった彼氏はヨロヨロと私の自転車の前でへたり込んだのである。


彼女を見ると、すみませんと笑顔で言ってくれはしたが、笑っているのは口元だけで、邪魔するならあんたにも喰らわすよと確かに私にはそう聞こえたので、冷静装ってその場から猛然と自転車漕いで離れた。よくある事ではないが、あってもおかしくはないと思うし、そんなに狼狽えなくてもと思われそうなので言っとくが、その男女、おそらく50オーバーであった。


BARが閉店を迎える時間帯に差し掛かった繁華街の路地裏ならまだしも、通勤時間にオフィスビルが建ち並ぶあんな所であんな光景見せられて、狼狽えないやつなんていない。今日のコンビニウッカリ分はしょうがないし、明日補うとして、今夜は温かいスープとそれによく合う温まるお話が聞きたい、そんな気分なのでこの話はこれにておしまい。それでは。

 

濡れない雨はない

今かまだかと首を長くして待ち望んでいる夏休みがようやく秒読み段階に入ったところ、ノロノロと接近してくる台風のせいで朝からかかなくていい汗だらだらかきながら駅まで早歩きして、目の前で運良く二つ席が空き片方に腰掛けたのだが、もう片方に座った女子が、気持ち私から離れて座ったのはいいとして、その子のビショビショの傘が私のズボンにもたれかかっていたのを、ズボンがしっかり水を吸った後に気づいたのは、ミステイクと言うか、宮本武蔵なら修行不足と己のせいにして山にこもるのだろうが、私にはその子が悪いと思うし、どないしてくれはんねん、ほんまに、と慣れない関西弁を使ったところで、最初から濡れてた濡れてないの、雨だけに水掛け論になるし、濡れていなかったとどれだけ主張しようが、これだけの汗は、説得力を著しく低下させるため、気づかれないようにそーっと足をずらして、我慢した。


実は雨に濡れるのはそんなに嫌いではない。メガネの水滴が視界の邪魔になったり濡れてクーラーの効いた場所に立ち寄るとキンキンに手足が冷えると言った煩わしさはもちろんあるわけだが、雨のひどい日に自転車をやめてバスや電車に乗る理由は社会がそうさせているのである。ビショビショで会社に行くと、パソコンが仮に防水であっても、ネチネチの定年間近が、


キミキミ〜そんなんで仕事になるとでも思っているのかね。こんな身なりで何しようってのさ。仕事ができるできない以前なんだよ。そういやこの前飲みに行った時キミだけビール注ぎに来なかったね〜。そういう部分からして君は不合格なんだよね〜。ん? 今僕、間違ったこと言ってるかな〜。ん〜?


と終日、顔を合わす度に言われるのだろうが、どれだけ腹が立ってもこの場面で正しいのはネチネチの方であり、別にこれくらいパワハラだと騒ぐほどでもなく、それがきっと社会の常識と言うものなのだとも思うし、それでもネチネチは嫌いであるが、我慢一択の場面である。私の理想は、雨予報が出ても傘を持たずに外出し、そこそこ強い雨が降ったらパーカーのフードをザクッと被って走り出すわけでもなく、そのままのペースを守って歩き続けるスコットランド人(イメージ)のようなスタイルである。ああいうざっくりとしたスタイルを良しとする文化だけはもう少し真似てもいいような気がするわけだが、そもそもそう言えば一着もパーカー持ってないし、まずは安めのパーカー買って、コンタクトにして、緩めのパーマで金髪にして、腕に勉族という意味のない漢字のタトゥーを彫るところから始めるとします。それでは。

 

仕事についてのホンネ

たまには仕事についてのホンネを書こうと思う。


ただただ真面目な、飲み屋で夜中の3時に酔った勢いで話し始めると一斉に他のお客が船漕いで眠ってしまいそうなほどつまらないテーマではあると思う。


しかし、なぜそのつまらないテーマを、と聞かれれば理由は一つ、世間体である。特に、ネットのネの字とは一切縁がなさそうなお義父さんやお義母さんがお義姉さんの子供、つまりは孫の影響でネット始めてこのブログにたどり着かんとも限らないわけで、仕事ときちんと向き合っているアピールをしとこうかなと思った所存である。


いつもは思ったことをキーボードもしくはスマホのフリックで無闇矢鱈に書き殴っているだけなので、いざ仕事のこと、と狭くはないが決して広くもない制限を設けただけで、一行書いて、ピタッと手が止まった。


疲れたなでも難しいなでもなく、悩ましいなと大きめに独り言を言って、嫁にサボってるわけじゃない、考えているんだ、何も浮かばないわけじゃなく、たくさんある中からどれにしようか、どれがベストか悩んでいるんだぞアピールをして、そっとカチカチのリビングに横になり、少しだけ目を瞑っただけのつもりが時刻は1時に差し掛かろうとしている。


言いたいことが何もないわけじゃない。今回は世間体を考えた上で仕事について語るわけなのでつまらないことは言えない。お、と思わせ、なるほどな、と唸らせたいと考えると、手がピタッと止まり動かなくなる。ありふれたことは言いたくないし、だからと言って歴50年を超える職人さんのように深みがある言葉を並べることはできないし、訳あって昼はOL夜はコンビニで寝る間なく働くお母さんほどの苦労を語れるでもない。ならば哲学じみた事をそれっぽく言ってあいまいに事をはぐらかそうかと思ったが、そもそも仕事というテーマを設けたのは私自身だし、はぐらかすくらいなら別のことをテーマにしたらそれでこの問題は解決である。


さてさて、どうしようかとPCの前でぼんやり考え続けて時間はすでに2時を過ぎたところである。ここで諦めたら次のステップへは進めない。目標は達成するために設定するんだよと昔、専務かだれかが言っていたような気がするけど、仕事だとしても眠気には勝てないのでこの話はまた今度。それでは。

 

アバンチュール

あの女性からここ1〜2年、とんと電話もメールも来なくなった。恋愛対象であれば、きっと彼氏でもできたのだろうと納得ができるし、友達であれば嫁のいる私に気を使って遠慮しているのだろうと思うのだが、あの女性とはそんな関係ではないし、こちらから電話やメールするのもおかしな話である。


以前私のケータイに、〇〇体育館のプールの水の止め方がわからないので、そのままにして帰りますや、明日正午にお客さんの元に出向いてご飯を食べるから弁当無しでいいという類の、緊急を要しそうな事や、結構重要だなと思う要件が留守電に入れられていた。


それも、当時私の週一の楽しみである深酒をすると決めていた土曜の夜も10時を過ぎた頃に掛けてきていたので、気づかず昼過ぎまで放置という事ばかりであった。


日を空けずに、明日どうしても人手が足りないので半日でもいいから出勤してもらえませんか、とメールが一通。仕方ないので、番号違ってませんかと返信すると、そこから一切連絡がなくなったのである。器が大きい私でもさすがに、ごめんやありがとうの一言が無いことにイラっとはしたが、今後電話の前でかけ直そうかどうか悩むこともなくなるし、ということでとりあえずは良しとした。


つい先週のことである。久しぶりに留守電にメッセージ。見覚えある番号だなあと思った瞬間一瞬にして全てを思い出した。あの彼女、過去の女である。


久しぶり。声が聞きたくなって。


そんなドラマティックな留守電ならば、夏より熱く、ブラジル人より激しい情熱がメラメラと燃え上がるかも知れない。可能性にして1パーセントは無く、というか0パーセントではあるが、期待して妄想して少し心踊らすくらいならバチは当たらんだろう。さてさて今回は何と入っているだろう、少しだけワクワクしながら聞くとまさかの、


お久しぶりです。


これはもしかしたらもしかする。8月の休みの確認くらいはしといた方がいいだろうか。間違い電話から始まる恋があってもいいじゃないか。冗談が本当になる気がして胸が高まった次の瞬間、


念のためプールの水止めました。


水の止め方がわかって良かったと喜ぶべきか、アバンチュールのお誘いではない事を悔しがるべきか、また間違わぬようにメール一本入れとくべきか悩ましいのだが、そんなことはさて置き、録り貯めたドラマの消化に忙しいので、本日はこの辺りで失礼します。それでは。

シャツが好きなので

ファッションに関しては全くとは言わないが、同年代が使う平均金額の恐らくは半分には遠く及ばないほど興味は薄い。散髪同様、あまりにひどくなければそれでいいという考えである。そりゃあ、良ければ良いにこしたことはないのだが、オシャレだねという言葉がこそばく感じるし、恥ずかしくなるし、居ても立っても居られなくなる。


言いたいのなら直接言わずに影で噂して欲しいと思うし、どんどん噂が噂を呼んで、知らないところでファッションリーダーと呼ばれるのも悪い気はしないのだが、そもそもファッションに気を使わない人間がオシャレと言われるわけがない。


過去を振り返ってもファッション系で褒められたことは、記憶にすらないわけだが(きっと記憶力が残念なだけであると信じて)、それでも実は私はシャツが好きなのだ。Tシャツやポロシャツではなくて、前に付いた5〜6個のボタンで開け閉めできて、襟のついたあのタイプのシャツのことである。


シャツだけは手に取った感触、シルエット、色味、サイズにややルーズなフィット感にと、値札を二の次三の次として決めることが少なくない。しかも買うときはまとめて数着買って、以降数年、半袖を欲する夏以外、秋から春まで着れなくなるまで着続けるのである。


シャツが着れなくなる瞬間は、ファッションにうるさい人達ならば、流行に合わなくなったり、単純に飽きた時が着納めなのだろうが私は違う。


選ぶ段階で既に違う。まずシャツに流行は必要ない。昔から愛された形でシンプルであればあるほど私の中の評価は高くなる。シャツの選定理由はだいたいそんなだし、よって流行や飽きることによる着納めはほとんどない。


したがって、着納めはエリの、首と擦れて夏場でなくとも茶色くなって来るあの部分が摩耗して破れてきたらである。


他の部分が破れる場合についてであるが、普通に着ていればそんな事はまず起こらないと言っておきたい。事実私は皆無だし、例えば肘が破れるのは頬杖ついて物思いに耽りすぎだし、脇がほつれるのは何がどうなってそうなるのか想像に苦しむのだが、サイズが合ってないのに突っ張る脇部分を無視して腕をグルングルン回しているとしか思えない。


だが襟の部分はどうだろう。ひどく落ち込んで肩を落とした時以外、だいたい接触しているし、必然的に生地が消耗し破れるのは避けられない。なのでどう考えても最初にほつれる部分と考えて間違いはなさそうだ。


今年の夏前にお気に入りだった、8年程前に買ったシャツを上記の理由で手放さざるを得なくなった。雨の日も風の日も、小脇にパソコン抱え、2時間満員電車に立ったまま揺られ、右手でチケットを持っていられないほどプルプルし、改札抜けた時に充電器がないことに絶望したあの日も一緒だったシャツに別れを告げた。しかも一挙3着、全部理由は同じである。


と言う訳で秋に着る服を探さないといけないので(できればボタンダウンを)、今夜は宴もたけなわですがおいとまします。それでは。

何かのせいにはしたくない

このうだるような暑さのせいではなく、その夕方に突如降り出す土砂降りのような極端な天気のせいでも、食べても食べてもおさまらない底なしの食欲のせいでもないし、おさまったかと思ったら突如襲い来る衝撃的な睡魔のせいでもない。


ましてや最近ではおならが無意識でパンという音と共に出るようになってしまったせいでもなければ、朝起きた時の顔の表面5mmを覆う中年の油のせいでも、28度では少し汗ばむからと言って27度にすると今度は肌寒くなる、調整が思春期の女の子よりデリケートなクーラーのせいでもなく、はたまた6時に炊飯ジャーのタイマーをセットしたつもりで16時になっていたことに感じた、我ながらのおっちょこのせいでもない。


喜ばしくないことが起これば、本心は誰か(何か)のせいにして逃げてしまいたくなるものである。それが一番楽だし、精神を正常に保つならそれも正しい、そんな気がするし、少しずれるが、ミスは部下のせい、手柄は自分のものとしてしまう上司はきっとこの世の中にごまんと居るだろう。それが正しいか間違いか、出世に影響あるのかどうかは知らないが、そんなもんなのだろう。


格好付けるワケではないし、声を大にできるワケでも胸をはれるワケでもないが、私のポリシーで、何かのせいにするのはナシ。大ナシ! 全部自分が蒔いた種だと、そう思うようにしている。


閑話休題、お盆や正月の里帰りで久しぶりに同級生と会う度、年々増えていると思うのは、結婚の話題や子供の話題よりも体調不良、健康状態、体の衰えの話題が圧倒的に多くなる。酒も飯も上手くなるどころか不味くなるのだが、みんな話さずにはいられないのだろう。


事実私も気づけば、先日腰が〜や段差につまづいて〜など、なんとも情けないワードが次々と口から飛び出し、悲しいかな話題には事欠かなくなる。まだ笑って話せるうちは救いなのだろうが、いよいよ笑えなくなる日が来ると思うと、やれやれ、とため息しかつけなくなってしまう。


ため息を吹き飛ばすような、目の前に光がスッとさして希望に満ちる話題は探しても探しても見つからないし、仮にあったとしても、気づけば最終的に健康関連の暗い話しし出すのは、それもこれも全部加齢のせいである。


残りの人生華麗に舞いたい、それくらい口走っても怒られないと思うので、明日はカレーでも作ろうと思います。それでは。