立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

大音量で演説するわけ

昔住んでた4万円のアパートは外からも中からも声も音も筒抜けで、だから上空を飛行機が飛んでいくだけでお昼のタモさんの声がかき消され、バイクの音が目覚まし音となり、隣の部屋から夜な夜な聞こえるヒップホップに血で呪いの言葉を書き記したこともあった。


当時と比べればだが、静かなお部屋に住めるようにはなったし、窓さえ閉めておけば外からの音で夜中に目を覚ます事もほとんどない。そもそもうちは寂れた商店街内とあらば人通りも無ければあまり車も通らないし、うるさくなりようがないのである。


私の好きな静かな街を荒らされたとか、お昼寝の時間を邪魔されたとか、要約するとうるさいとか、そういうことを言うつもりはない。所謂衆議院選挙が始まったようだが、選挙カーについて、一石を投じるつもりもないし、やるならやればいいとは思うが、どうなのだろうか。大音量で演説しながら街を回るというやり方は賢い方法とはなかなか言えないのではないだろうか。


今は昔とは違い日本中のどこでもネット環境が整っているし、大きな音を出して遠くまで、なるべく多くの人の耳に、なんて方法をとっているのはいかがだろう。耳には届いたとしても心に届く前に耳を塞いでしまいそうなものである。揃いも揃って原始的なと言ったらこの貧相など素人がと、ももに膝を入れられそうであるが、あっちがあの方法ならこっちはこの方法でと、モウリーニョグアルディオラの戦術合戦のような名勝負があってもよさそうなものだが。


話は変わるが、飲みの席で政治の話はご法度であると聞いたことがある。思想は十人十色だし、答えは出ない、言い合いになる、と良いことが一つもなく、何より美味しいお酒が飲めなくなると。なるほどよくわかる、過去にそんな空気を感じたことがあるし、飲みの場に涙や怒りはいらない、笑顔があればそれでいいと思う私にとっては、やりたいなら外でやれよ、その辺歩いている何人か捕まえて聞いてもらえよという話である……。


政治関連の話をブログでやるつもりはなかったが、それだけネタに困っているということだけわかっていただけたら、今夜はゆっくり眠れるのですが。それでは。

水になりたい

死ぬ気で頑張りたい気持ちはあるが、あるのは気持ちだけで行動が伴った記憶はない。今の心境を言うならば水になりたい。働くことを止め、怠けに怠けてそのまま溶けて大河や大海の一滴に、などとおこがましい事は言うつもりはなく、日照りが5日も続けばすぐに干上がる田舎の小川の一滴にでもなりたいと常日頃思ってはいるが、社会人になって働き始めて、仮病を使った事は1度もないし、頑丈な身体のおかげで病欠したのも、記憶にあるのは盲腸になったときのただ一回だけ。サボりたい、あるのは強い気持ちだけで行動に移してはいない、と思う。


私が乗っているのは踏めば進む四輪駆動の自動車なんて立派なものではなく、漕ぐのを止めるとコケてしまう自転車で、それもギアは無く、漕ぐたびに異音を発する錆びかけたチェーンが印象に残るママチャリである。タイヤの空気だけはいつもパンパンではあるが。


ゆっくりでも漕げば漕いだだけ、遥か彼方のゴールに近づくものだと思っているし、ハンドル操作や道を間違う事はあれど、それでもコケてないだけ幾分かはマシ…と思ってはいたが、はっきり言ってこれではいかんなと、最近ほぼ毎回頭を悩ませる、その日のブログのテーマをどうしようかウンウン悩みながら、気付けばネット動画で麻雀番組を見ている時なんかにふと頭をよぎる。


睡眠時間が短くなったり、わかってるフリして読んでいた難しい本が面白く感じたり、小さな頃はお兄さんとおじさんの境界線だった28歳がただの若造に見えるようになったり。誰でも同じように過ごしているように見えても少しずつ、成長か退化を繰り返して変化していくものである。意識しなくても変わるものだから、変わろうと思えば良い方向に変われるはずだと、自分を鼓舞したのが連休前の金曜夜。


変わろうよ、ああ変わろうさ。この三連休は勝負だぞ、戦争だぞと一人気合いを入れた。ブログは最低500本は続けるとして、残り330本、24時間寝ずにやっても少なく見積もって20日くらいかかりそうだし、できるうちになるべくたくさん書き留めておこう。時間の貯金だ貯金、タイムイズマネーだと左手に缶ビール、右手に焼き鳥の缶詰持って嫁に決意を表明した。


ところまでは覚えているが、昨日までの3連休はまるで何にもやってない。土曜は早朝に起きて走って、嫁のチャリに捨てられてたゴミを処分して精神的にも肉体的にも疲れて眠って、日曜は美容室の予約が取れなかったし少し落ち込んで疲れて昼寝して、元気出すため漫画を読み始めたら気づくと夜だったので、この日は諦め飲みに行き、月曜は久しぶりにひどい二日酔い。どうしようもなく眠かったので少しだけ目を瞑ったらあっと言う間に寝る時間で、しょうがないのでベッドイン。


気づけば連休明けてまた仕事が始まってるじゃないか。何をやってたんだと聞かれたら、何もしてないと答える他ないのが、それがいよいよ恥ずかしくはあるけれど、うる覚えではあるが人生40からという言葉があった気がするのでまだまだ諦めずに、過ぎてしまったことは水に流してがんばりたいと思います。それでは。

インターホンに臆病

風で揺れるカーテンにくすぐられながら漫画を読んでいた時に襲ってきた睡魔と争う理由は何一つとして無いので、早々と白旗上げて心地良い睡眠をさあこれから貪り尽くそうかというまさにその時、テレテレンテレテレンテレテレンと、あっちが止めない限り永遠に大音量で鳴り続けるインターホンの音で現実の世界へ連れ戻された。


携帯電話が普及してからというもの知り合いの訪問者はまず連絡をくれるし、連絡をもらってないところをみると、可能性が高いのはヤマトか佐川か郵便か。もしかしたら、数年前に応募したイロドリヒムラのDVD全巻プレゼントが当選していたのかもとぼんやりした思考のまま下の階へ駆け下りてモニター覗くとラフな格好の知らないおじさんが立っていた。


配達屋さんでないとしたら、ネットの営業か保険の勧誘か、はたまた近頃めっきり減ったが新聞の営業だろうか。暇な休み、たまには知らないおじさんの相手でもしてやろうかと対応しようとした瞬間にテレテレンがちょうど切れた。


ほっと胸をなでおろし再びリビングへ戻り漫画を読み始めたのだが、何をそんなに躊躇する必要があったのだろうか。税金の類は給料からひかれているし、年金はどうせ返ってこないからと甘く考え滞納していた分も嫁にお説教くらって全部払ったし、取り立てられたり怒られたりすることは何もないはず。何を恐れていたのだろうか。


営業なら結構ですで済む話だし、このご時世しつこい営業もそうはいないだろう。半分寝起きで朦朧としていたとはいえ、堂々と対応すれば良かった話なのだが。


高校卒業までは実家の一軒家で暮らしていたし、初めてアパートで一人暮らしを始めた大学では、私の生活音が周りの住人の方々のお気に触ってないだろうかと、ビクビクしながら暮らしていたのは懐かしい。


卒業して実家へ戻って、京都に出てきてまた一人暮らしして、また気づけばアパートの方々に迷惑掛かっていないだろうかとビクつく日々を過ごしている。賃貸物件に住んだ場合、私は異常に他人のことを気にし苦手に思う癖がついているようで、戸建に住む時には訪問客にも堂々と対応できていたのに、アパートとなると臆病な飼われた猫のようになっている。


ペットは禁止なので不安ではあるが、なるべくオトナリさんに迷惑なオトがナリ響かないように気をつけようと思います。それでは。

 

モラル無き行動は人を二度傷つける

見つけたら一発か、いや二回分だから二発だ。確定している分の二発分は最低として、きつめにお見舞いしてやろうと思っている。もちろんグーやパーで痛い二発をお見舞いしたいが、それだとこっちが悪くなるし、こちらは完全被害者の立場で、柱谷哲二釜本邦茂レベルの、強くて怖そうな怒鳴るタイプの大人からきつーくきつーく、冷や汗がとまらないくらいに、一回分がきっちり二時間、二回分で計四時間、忙しい日のお昼時にこってりとしぼられて欲しい。こってりとしぼられヘトヘトになった後に、パーカーのフードの紐と靴の紐とが絡まって立てなくなるくらいのバチが当たって欲しい。


苦手な美容室に勇気振り絞って盛大に脇汗かきながら電話したのに予約が取れなかったし、通販専用のお気に入りでうまいピザを注文して、まだ届いてすらいないのに昨日から2日間限定で送料無料になっているのに気づいてしまって、ならばもう一枚買っちまえと注文しようとしたら、全部売り切れって、嘘でしょうよ、運悪すぎでしょうよ。


ただでさえ損した気になってがっくり肩を落としてんのに、誰だよ嫁の自転車のカゴに食べかけのお菓子を捨てていくバカは。この前はりんごジュースで今日はおっとっとだよ。しかも両方飲みかけの食べかけって、せめて全部食べなさいよ。食べ物粗末にするんじゃないよ。それに嫁の自転車のかごは網目が細かいからカスとるの大変なんだよ。こっちは三連休で穏やかな日々を過ごそうとしてたのに朝からしょうもないことでイライラっとさせんじゃないよ。


モラルの問題である。モラル低下は二足のわらじ政治よりも重大な日本の、日本人の危機だとも思う。日本人のモラルは、世界に誇るべき美徳だと思っているのは私だけではないはず。


コンビニや本屋に傘たてはあるが、あそこに傘をさすことに不安を感じるように育ったのはモラルの無い人間が少なからず存在するからである。傘たてに傘さしたのに、雨が降った時にはさせませんでしたって自虐的なギャグではクスりともされないし、結局二度傷つくのである。


このままでは本気の怒りに発展しそうなので、この話はこれでおしまい。もし明日からの更新が途絶えたら、グーかパーでバチンといっちゃったと思ってください。気分を変えて今日は久しぶりにうまいビールでも飲んで来るとします。皆様は良い秋を。それでは。

中秋の名月だった昨日

昨日は中秋の名月であった。少し寒い夜だったが、それでも年に一度のお月見をするにはいい気候で、ちょうど目の前には古い和菓子屋さんもあることだし、お団子用意して熱くて渋いお茶をベランダですするのも悪くはない。


悪くはないが、6月頃に買った、マニアには鼻で笑われそうだけど、10万もしないが私にとっては自慢の一眼レフをここ一ヶ月ほど触ってなかったし、夜の街を満月の明かりで散歩しながらカメラに収める、こんなお月見があってもいいんじゃなかろうか。


秋の風物詩の一つ、お月見が街を彩るのは今夜だけ。ならば洗濯やアイロン掛けをほっぽって、一歩外に出ようじゃないの。いい写真が撮れる度、月に手を振りウインクし投げキッスして…帰りに月見バーガー買ってベランダでちょっといい豆でいれたコーヒーをすすりながら食べようじゃないの。いいお月見ができそうだ。


お月見のスタイルは十人十色でいいと思うし、私に合いそうなのはどうやら後者である。日本っぽくないと言われそうだし、風流じゃないとも言われそうだ。だけど私はこれでいいと思う。月を楽しみ慈しむ心は同じなのだから。


と、ここまで語っといてごめんなさい、昨日は月を見ていない。いつもベランダで吸うタバコでさえも一本も吸わなかったし、夕方帰宅してシャワー浴びてから一歩どころか1ミリも外に出ていないからいい気候だったのか、晴れてたかどうかすらも知らない。


白状すると、終わったドラマの消化、おばさんから頂いた美味しいカレーの消化、嫌いな上司のなかなか飲み込めない一言の消化に忙しく、気づけばリビングでよだれ垂らしてウトウトしていて、目を覚ました頃には中秋の名月とやらはすっかり頭から抜け落ちていた。


肩を落とす程ではないが、年に一度のことだったと後から聞かされると何だか損をした気にはなる。だからと言ってどうしようもこうしようもないので、とりあえず今夜は油っこい食べ物を欲する夜食に月見バーガーでも頂くとします。それでは。

視野を広めに前向きに

ここのところ決まって明け方に目が覚める。ストレスによる不眠症でもショートスリーパーの才が開花し始めているわけでも、将来の不安に真正面から向き合って朝刊配達を始めたのでもなく、原因は尿意である。


寒くなる季節、布団を肩までしっぽり被ってはいるが、寝巻きは夏の思い出そのままに半袖半ズボンのままだからか、眠っている間に体が冷えているのだろう。布団を巻き込むように寝返りをうつ嫁の寝相にも原因はあるのだが、そんな事は口が裂けても言えない。


今朝も4時少し前に目が覚め尿意を解消してベッドに戻ると、隣で眠る嫁に大きい方じゃなくて良かったねと、寝言かどうか判断がつかない小声でむにゃむにゃ囁かれてからどうにも目が冴えてしまった。


こんな時は眠ろうとしてもなかなか寝付けない。起き出して仕度する時間には早すぎるし、ジョギングでもして一汗かけばまた一眠りできるのだろうが、体がそれを求めてはない。何よりこのままでは睡眠時間が不足してしまうので、やりようがなく目を閉じて静かに再び眠りにつくのを待つ他なく、妄想に耽るしかなかった。


今週はノーベル賞が発表されているが、私もノーベル賞には目が無い。名誉よりも副賞の1億と言われる賞金にではあるが。もしも、私が今ノーベル賞を狙うなら、それは文学賞である。


そのためにまずやらなくてはいけないのが、ジャスティンビーバーの目にこのブログを触れさせることから始まる。


ジャスティンのツイッターで紹介されれば、世界中から注目は浴びる。ノーベル賞選ぶ人の目にも入るわけだ。そこでようやくスタートライン、あとはひたすらファニーでキュートなセンテンスを更新するだけである。


文学賞というからには本の一冊も出しておきたい。タイトルはジャスティンオマージュの


「私にはペンさえあればそれで十分。リンゴやパイナップルはいらないんだ」


でいいだろう。ここまできたら見えてくる。意外と簡単なんじゃなかろうか。村上さんも実は獲る気はなく、周りが騒がしくなってくるのを面白おかしく眺めているのが好きでただ遊んでいるだけなんじゃないだろうか。きっと私ならそうする。


いいよ、やる気が出てきたし、やってやろうじゃないか、あのボブディランと同じ賞もらえるなんて光栄だ。だからお願い、まずはどなたかジャスティンのスマホを借りてきてくれないか。

 

結果オーライとはしたくない

正直言ってテーマに困っている。困り果てて昨日はルーニーに力を借りたし、一昨日はとりとめもない夢のお話。こんな所で躓いてられない、最後の一滴まで絞り出せと自分に喝を入れて、薄い絨毯の上にあぐらをかきピンと背中を伸ばし、パソコンの前にどでんと構えたはいいが、出てくるのは長い溜息ばかりでキーボードを叩く手は微動だにしない。


自由気ままに書けるから何とかなるだろうと両の手を広げて羽ばたくように始めたブログだが、縛りがなければないでどうしていいのか分からなくなるのは学校や会社と一緒である。


画面は真っ白のまま30分1時間と刻々と時間が過ぎていく。静かに目を閉じるとそのまま明日の朝になりそうで怖いので、少し小腹が空いたし散歩がてら徒歩5分のコンビニに向かった。ポテチでもつまみながらのんびり書けばどうにかなるさと、店に着く前には苦しく重い気持ちから解放された感じがしたし、ほんのわずかな気分転換で楽になれるなあと思っていい気分で入ったコンビニに、はっきり言うとどうしようもないバカ親子に遭遇した。


多分高校生と中学生くらいの男女の姉弟と、その父親と思われる浅黒い水牛のようなおっさんが目に入った。店内の客は私ともう1人OLさん、それとその家族である。


いい歳の男女の姉弟がキャッキャ言いながらじゃれ合ってるのはまあ、アレだからしょうがないとして、こちらに迷惑掛からなければどうでもいいやと思っていたが、突然弟が、今流行りのイエーーイって叫ぶ人様のギャグを全力でやったのである。そりゃ狭いコンビニだもの、OLさんビクッとしてたし、私もビクッとしてティラミス落としそうだったし。しかも1度でなく2度である。


さらに驚いたのが、親と思われる水牛のおっさんが腹抱えて笑っているのである。私は器の大きな男に憧れる小さな器の男だし、面白いものを面白くない加工をして見せられて正直イラっとは来たが、ここはコンビニ、私が出しゃばってもなんの得もない、むしろ無視だろ、反応したら負けだろと見向きもせずに買い物を続けた。


そいつらはレジに向かったのだが、店員さんは怒るでも笑うでもなく、まったくの無表情でレジ打ちし、水牛のすんまへんなあ、ガハハという下品な笑いに対しても、無表情の無反応、見事な無視をぶちかまし、金額だけ無愛想に告げていたのは自我を保つためのギリギリの対応だったのだろう。偉いと思う、場所が場所ならファッキンジャップ、ゲットアウトで硬くて重くてでかいゲンコツが鼻筋にゴツンでもおかしくない。最低限の仕事はしたし、迷惑ですよと暗に伝わるこの店員の対応は正解だったと思う。


センスがないならウチワだけで楽しみなさいよと思った出来事でした。明日は明日の風が吹きますように。それでは。