立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

逃した魚は大きいような、意外とそうでもなかったり

何かコンビニに大事な用事があったような気がして仕事帰りにコンビニに寄ったが、それが何だったかを思い出せなかった。


ごみ袋や洗剤ではないし、必要な時にいつも見当たらないくせに、どうでもいい時にガバッと束になって出てくる封筒でもない。そもそも家庭で使うものはコンビニでは買わないのでそういう類のものではないのだが、店内をぐるりぐるりと何周しようと一向に思い出せない。仕方がないのでファッション雑誌、週刊誌、ラーメン本と目に付いたものを片っ端から立ち読みし、安定安心の刃牙に手を伸ばしかけて、こんなことしている場合ではないと我に返り、読むのをやめた。


再び店内をぐるりとしたが、どうやら脳内から完全に消えたらしく、ここまで思い出せないなら大したものじゃなかったんだろうと、肉まんとコーヒー買って店を後にしたのだが。


逃した魚は大きい理論に似ていると思う。思い出せなければ出せないほど、時間が経てば経つほど己の中での重要度は上がるものである。


家族との絆に傷が付くか、それとも利息分の支払いで精一杯の払えども払えども元金が全然減らぬ借金を抱えてしまうのか、何をきっかけで人生がグルンと変わってしまわんともわからない。得もいえぬ不安感と引っかかって取れない気持ち悪さを引きずりながら帰宅した。


家では特に変わったこともなく、いつも通りご飯を食べてお風呂に入って、マンガアプリでサラリーマン金太郎を4話だけ読んで、夜の12時ちょい過ぎにはしっかりとベッドイン。その頃には何が必要だったか忘れたことをすっかりと忘れて、むしろいつも以上に深い眠りについた。


朝もいつも通りかそれ以上に目がパチっと覚めて、ご飯食べてうんこして家を出て、重要なことを忘れたことを忘れているので、コンビニに寄ろうという気持ちすら無く会社に着いて、昼休みになり、ようやくである。ようやっとで詰まっていたものが全て抜けるかのように、全部を思い出した。


フリスクだ。


仕事中のリフレッシュと暇な時の眠気覚ましには欠かせないフリスクがもうないので買わないとと思っていたのをすっかり失念していたのである。重要だったわ、二日がかりで悩むだけあって重要なことだったわーと胸を撫で下ろしたのだった。おしまい。

ファンとしての責任感

一度好きになると、全盛期を過ぎたからと言って簡単には嫌いになれない。


何も中学校時代に片思いした女子のことを言っているのではない。スポーツ選手のことだ。カズこと三浦知良は、小学校時代に憧れたスーパースターだし、今尚50を超えてもプロとして活躍しているのは当時からすると想像すらできなかったこと。もちろん遠に全盛期は過ぎ去ったし、華麗なステップとフェイントでディフェンダーを置き去りにするのは難しいとしても、それでも当時の面影を重ねながら応援してしまう。ファンとはそういうものだろうし、一度ファンとなったら簡単に辞めるものではないと思う。少なくとも引退するまで温かく見守ろうやというのが私の考えである。


久しぶりに飲み交わした知人と、一ファンの在り方について議論した。日本人のほとんどの人が知っているアスリートと言えば、王貞治長嶋茂雄松井秀喜イチローアントニオ猪木ジャイアント馬場ケインコスギ池谷直樹と言うところだろうか。


すでに天寿を全うされた馬場さんはじめ既に引退していた元アスリートにも、私たちは一ファンであり続けているし、当時の姿がまだまだ記憶に鮮明に残る。


知人と私はサッカー好き。日本での歴史は野球ほど長くはないが、プロリーグ設立、ワールドカップ出場など話のネタには困らない。ここで毎回話題となるのが、名を残す選手は多かれど、世界でトップをとった選手がいないのは悲しいということ。酒量が増え夜も更けてくると決まって海外で活躍していた選手の話題となる。


「松井は好きだった。やっぱり日本に誇る名選手だ」


松井大輔。アフリカワールドカップで日本屈指のテクニシャンとして、ドリブルで相手チームを切り裂き、日本の初ゴールのアシストをしたのは記憶に新しい。トリッキーかつスピーディーなテクニシャンは、ゼクシィのCMで私の心を撃ち抜いた加藤ローサと結婚し、私の恋心を打ち砕いたのにも納得である。


「やっぱりバッティングには定評がある。日本のスケールは松井には小さ過ぎた」


松井は松井でもゴジラ松井であった。サッカーと思いきや野球なのね、いやはや酔っ払うとこんな感じのグズグズなところも楽しいのだが。松井秀樹の出身地は石川県である。野球だけでなく人間性にも優れているところが同郷として誇らしい。


「二刀流の大谷も凄いが俺には松井のようなスイッチヒッターにも魅力を感じるね」


松井は松井でも松井稼頭央であった。私は彼のことはあんまり知らないのです。確かに世界に名を残す名選手ではあるが、まさかそこが出てくるとは。意外だったので、酔いに任せて聞こえないフリをするのだった。

何をしなくても感じるストレスって?

年末年始の休みに加えて成人の日を絡めた3連休で、寝ぐせすら気にしなくていい約10日間のおかげで心のコリはキレイにほぐれ、心身共にストレス貯金はすっかりなくなったはず…なのに、まぶたがピクピクするのが治らない。別にだからと言って仕事に支障をきたすとか、美味しいうどんが不味くなるとか、7時間睡眠が6時間に減ったなどということは無いのだが、ふとした瞬間、煩わしいのだ。


まぶたのピクピク、これを誰かに相談すると口を揃えて皆ストレスからだわ、と言う。溶けて流れて海に漂うほどグッタリとして休んだし、ストレスってことはないんじゃないかと訴えるがそれでも、知らぬうちに溜まったストレスによるものだわと言って聞かない。仮にそうだとして、もう結構ですとウップウップしながらお断りするほどの長期休みでですら知らぬうちにストレスが溜まるのであれば、ストレスからの解放はまず無理な話となる。となれば何のための休みだったか、何故休みをとるのか分からなくもなる。その答えがストレスだわ、と言わざるを得ない。


閑話休題、数少ない好きなテレビ番組が批判の的にさらされている。批判の記事の見出しからは、う○この匂いしか香ってこなかった。しかもできるだけ近づいてよくよく嗅がないと、う○こなのかもよく分からないような、あまりに安っぽ〜いネタなのでスルーしたいほどだったが、仕事中の暇な時間にうっかりとその記事を読んでしまった。


その記事に追随するように、今度は別の記事でその番組に出たタレントの扱い方、そのタレントのコメントがまた批判の的となっている。やはり読まなきゃ良かったと仕事中に黒ずんだ、生臭さが半径50センチに漂う程度の毒の溜息をついた。朝から部屋に1人取り残され、年末から続いている、手持ち無沙汰感、要するに暇すぎる仕事のせいにしたくもなった。


好きな番組だからと擁護するつもりはないが、全くもって的外れ、あまりに浅はかなネタである。そのネタにごく一部だとは思うが反応し盛り上がっているのが、平和で羨ましいという嫌味に加えて、妬みと僻みの合わせ技が謗りとなりそうだわーなどと読めそうで読めない漢字にやたらとストレスを感じ始めたので今日はこの辺で。それでは。

カレーのトッピングとか、試さないと分からないこともある、という話

英会話教室のお試し価格の約2万円にお得感を感じるかどうかは人それぞれだが、私のように英語ができなくても特に困らず、決して富んでいると言えぬ人の財布の紐を緩めることは到底できないお試し価格である。


中には無料お試しセットを提供しているコスメがあるくらいなのに、この2万円という価格設定は強気であると言わざるを得ない。それだけの価値があるという自信の表れか、それともこれくらいの金額が払えぬ人間は本契約の金額が払えないという、センター試験で言う足切り的なものなのか、はたまた興味のある人間しかこちとら興味はないという意思表示なのかはわからない。


ただお試ししてみないと分からぬことはある。はるかむかし、私の通っていた高校の側にたこ焼き屋さんがあった。安いうまいで高校生だけでなく、近所のおじさんおばさんも足繁く通う常連の多い人気店であった。


そこで私が最も愛して止まなかった食べ方は、塩である。節粉に混ぜた塩をたこ焼きにかける食べ方は、当時ソースとマヨネーズでしか食べたことがなかった私の選択肢にはなかったが、何度か通ううち、友人のススメにより試しに食べてみて、そのうまさに新たな世界が見えたのである。それ以降、どんな店でも塩があればとにかく塩である。


試さなければわからないと言って、もっと安ければ試しに行くし…、などという可能性もやや低め、狭くはないストライクゾーンで、見逃せばボール球にわざわざバットを振るのは見当違いというものである。


だから関係はないが、カレーマニアの心を鷲掴みにしているが、未だ試したことのない未知のトッピング、納豆を今度試したいと思います。うまかったらペヤングのカレー焼きそばプラス納豆にもチャレンジしようと思います。それでは。

すごく有意義なお正月の過ごし方

クリスマスでは、きれいな夜景が見え、座るときにウェイターが椅子を引いてくれるレストランで食事して、帰りに嫁にブランド物のバッグかアクセサリーでもサプライズっぽく、だけども照れを隠しながらササっと渡し、さあ年末までに大掃除だと、やる気になったが窓を拭き終わっただけで、部屋中が綺麗になった気分で年を越す。


お正月には朝から実家へ挨拶に行き、帰りにようやく人の波が途切れ始めた神社で初詣。とりあえず正月だしという事で引いたおみくじは見事に中吉で、大吉の次にランクインしそうな中吉が実は吉より下だとメガネ上げながら嫁にウンチクたれる。家で小腹が空いたと朝の残りの雑煮を食べようと提案し、2つにするか、それともここは思い切って3つだろうかと餅の個数を決めきれぬままどうでもいい時間を浪費する。夢と現実の世界を半分半分で行き交い、まどろみ覚めぬままのまったりと過ごす年末年始で英気を養い、さあまた1年間がんばろうというので、いいじゃないか。


クリスマスの妄想はやり過ぎだとしても、正月くらい餅で悩む時間があってもいいってのに、今年の私の正月は寝正月であった。寝正月は寝正月でも、こたつに首まで突っ込んで、テレビ見てみかん食べてそのまま夜を明かすような、格調は決して高くはないがだからこそ甘美で有意義な寝正月でなく、熱と鼻水と節々の痛みと共にベッドの上でウンウンうなされる風邪にに伏した寝正月だった。


風邪くらいは気合でどうにかなる、というのは若さが私の体を一重にも二重にも覆っていた時だと、youtube観ながら寝落ちしてまた巻き戻して寝落ちを繰り返す、途切れ途切れの記憶の中でそれに気づいて、今年はさらに歳をとるから気を引き締めとけという暗示なのかしら、逆にラッキーだったと、すっかりお年玉を渡す立場になった歳にそう思ったのだ。


ということで今年もどうぞよろしくお願いいたします。それでは。

大人気ない大人と若い大人の会

飲み会では私の場合、ビールがあればそれでいい。たまに強いお酒をという時にはウイスキーがあれば文句はない。長くはないが、今までのお酒人生でたどり着いたのはそこだった。若い頃は、勢いに任せてウォッカテキーラをショットで飲んだりしたが、テキーラは時間をかけてチビチビ飲むのがいいんだよと、白髪混じりのダンディーなメキシコ人ハーフの紳士にそう教えられてからは、何だかとても子供な気がして居たたまれなくなった。


もしかするとそういう経験が大人への成長につながっているのかも知れない。その頃から飲み会で騒ぐようなノリはしなくなったし、甘いお酒もとんと飲まなくなった。夜が更けて朝が近づき始めると社員100人を背中に背負って疲れきった中小企業社長のようなオーラを出しながらギネスを飲んだりもした。人はお酒の席でこそ大人のステップを踏めるのかもしれない。


私は大人になれたのだろうか。大人の景色を見れているのだろうか。


つい最近、一回り以上歳が離れて結婚した友人夫妻と中華でご飯を食べる機会があった。友人は私より8つ上、その奥方は私より5つ下。別に珍しい年の差でもないとは思うが、やけにその会が新鮮だった。5つ下の女子となると、ピチピチしてるとか、動きがキビキビしているとか、若さによる違いはあるものの、何より気になったのがSNSリテラシーである。事あるごとに写真を撮ってインスタに上げる様を見ていると、こうまで文化や生きている場所が違うのかと、唸るように溜めた息を吐いてしまう。


私が言いたいのは、美味しい美味しい麻婆豆腐や小籠包はやはり熱々じゃないとダメだということ。インスタ用にとスマホ取り出して撮影が始まってかれこれ1分は経過したし、熱さが一秒毎に失われてんぞと強めに言いたいが、私は大人である。少々冷めたとて怒り狂うのも大人気ない。


お説教始めるにも乾杯の一杯を飲んだだけとあってはお酒の量が足りてない。旦那に任せておけばいいかと友人を見やるとおじさん、一緒になって写真撮影をお楽しみ中だった。心の中でズッコケ、突っ込んだのだが、こんな事で動揺しているようなら私もまだまだ子供である。

時間といい感じに噛み合わない

桜の花びらが散るように、ひらり、またひらりと京を舞う雪に冬を感じる今日この頃、などと季節憂いた書き出しを考えている場合ではない。


午前中に欲しいと言われていた資料をメールで送信したのが11時30分。英語のみで書かれていて、中身がちっとも理解できぬが、おそらく容量とかの都合で遅れてませんよという主旨のメールが届いているのに気づいたのが13時30分。データ容量を、便利になった世の中の力の一部を借りて小さくして、容量多くて送れてなかったみたいなの、すいやせんテヘッ☆と、母性くすぐるキュートな一文と共に送信し直したのが14時で、こんなこともあるよねドンマイ、おっちょこちょいな君へ☆、に類した内容の返事が待てど暮らせど届かないのは、また相手に届いていないのだろうか、はたまた怒らせてしまったのだろうか、それとも違う電波に乗ってカナダの金髪美男子の元に飛んで行ってしまったのかはわからない。


朝来社するとき仕事用パンツではいつも使わぬ後ろポケットに何の気なしに手をやると、何かがかさかさっと指先にあたり、取り出してみるとどこぞの居酒屋のショップカード。そういや年始の仕事始めに仲良い者数人だけで新年会やろうと誘っていただき、なら僕が予約とっときますよと身の丈に合わぬ大仕事を引き受けたのが悪かった。それがかれこれ2週間前だろうか。ここらじゃ安く飲めて食べれる人気店。今から電話して年明け最初の週末に予約がとれるのだろうか。そこそこ箱が大きいからとれるよね、大丈夫だよねと、そわそわしているのが今日日中である。電話電話と、忘れぬように手の平に何度もなぞって飲み込んだのに、ふと思い出した時にはもうこんな時間。店はまだ開いているから今から電話すればいいのだけれど、知らない誰かと話すのがひどく面倒に感じるので明日に掛けることにしようと、たった今決めた。


リズムが狂っているのか時間と波長がうまく噛み合っていない気がするので、今からきっちり8時間眠ろうかと思います。それでは。