立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-ネットバンキングからの営業電話にイライラしない方法

私がメインで使っている銀行はインターネットバンキングである。今でこそ当たり前になったが、使い始めた当時はそこまで認知度はなく、大丈夫かそれ、安全なのか、試しに1万円振り込んでみてよと、心配1割興味無し9割がひしひしと伝わる忠告を、友人からされたものである。


お金をおろすのが9割型コンビニだった私は、24時間、365日某コンビニATMの手数料無料という謳い文句は、目の前で手招きする裸の女性と同等の魅力があった。これを使わない理由はない。と、早速口座を作ったのも、かれこれ10年近くも前だろうか。


この10年、これと言ったトラブルもなく、コンビニでの手数料は無料だし、私からしたら95点の銀行口座である。ただ5点分注文を付けるとしたら、1〜2月に1度程、金融商品の勧誘の電話があるのだが、これは一体どういうことか。口座を見ればすぐわかる。月々もらう給料から年金や保険料をごっさりと引かれて、余った微々たるお金のほとんどを家の通帳へ振り込んで、哀しくなる程の残高に明るい明日への希望を吸い取られているっていうのに、投資やら住宅ローンのご提案って、相手を間違うにも程があるだろうと思うのだ。


仕事だからというのはわかる。新入社員あたりはひたすらに電話させられるのもよく分かるが、口座の詳細をみたら営業が無駄かどうかなんて一目瞭然…と思ったが、もしかしたら期待されているのか。私のお金の引き落とし、振込の仕方、全て分析したうえでこいつは将来金を手にすると、そういうことなのか。


そうかそうか、そういうことなら仕方ない、バンバン電話してもらっても構わない。まず電話には出ないがこれまで通り留守電に入れておいてくれたら、いつか必要な時にこちらからご連絡さしあげますよ。と煩わしいものにイライラせず心を鎮められるのであれば、まるでバカな妄想するのも悪くないよね。

雑記-風邪と花粉症の鼻詰まりは別物である

花粉症のピークは過ぎた模様。最近は体に合った薬を見つけたおかげで 、垂れる鼻水、詰まる鼻、乾く喉に苛まれて眠れぬ夜を過ごす日はほとんどない。 花粉症に関してはそうなのだ。だが、どうやら風邪の鼻水は別物らしい。


数日前から一緒に暮らす嫁が1日あればティッシュ一箱を使い切る勢いで鼻をかんでいる。かんでもかんでも出続ける鼻水に、一青窈ハナミズキを歌って励まそうとするも、何事も無かったかのようにスルー。俗に言う無視である。


それどころか毛布にくるまり動こうとしない嫁を見てこれはよっぽど辛いんだと、鼻水によく効くという謳い文句の風邪用の薬を買って来てやった。従来嫁は市販の薬嫌いである。市販の薬に頼るならお医者にかかるタイプではあるが、時間は夜に向かおうというところ。怠さとよっぽどの煩わしさに負けてこれを試してみた結果、ようやく症状が落ち着いたようだ。本来の顔色に戻りつつあり、良かったねとお祝いに軽めにハナミズキを歌ってあげたが、これはやはり無視された。


名曲ハナミズキと鼻水を掛けている渾身のジョークだとは言うまでもないと思うが、どうやらこれが鼻の神の怒りに触れたようである。


一夜明け今度は、花粉のピークを過ぎ今年は楽勝だったわーと余裕をぶっこいていた私の鼻が塞がった。通常の鼻風邪程度の鼻水ならば、鼻が詰まると言っても多少の通り道はある。酸欠になるにしても死なぬ程度に片方の穴くらいはかすかに空気の通り道はあるものだが、見事なまでに塞がった。


まるで花粉症の薬を嘲笑うかのように、アスファルトが穴を埋める如く固まったかのように鼻の機能を奪われた。吸おうとするのは以ての外、無理にかもうとしても脳の血管が切れそうになるだけ。押してダメなら引いてもダメで、しょうがないので口呼吸になったところで今度は案の定、喉をやられた。


怠くて痛い、けれど寝込むほどじゃない最も鬱陶しい状態なので、時が過ぎるのを静かに待っていたいのに、横で嫁がハナミズキを歌っている。

雑記-絵葉書を出す機会

保育園の時の青木先生からお祝いいただいた。お返しどうする?


母親から届いたメールに戸惑いを隠せなかった。30年余り記憶を遡り、うんうん唸って絞り出してようやく名前までは思い出せた。顔も当時の年齢もいつ担任になったのか、そもそも担任ではなかったのか。名前以外の記憶に黒いモヤがかかっているようである。なんで? という疑問を返信メールに書こうとしたがヤメ、こっちから送っとく、そう返信した。きっとクエスチョンのメールを送ると、電話が掛かってくる。ちょうどユーチューブで何を見ようか悩んでいた大事なタイミングだった。要領の得ない長話を聞いているほどこちとら暇じゃないのだ。子供の知らんところで親が年賀状程度のやりとりをずっとしていた、くらいのお話だろう。


たとえ頭のメモリーからデリートしていた人からのお祝いと言えど、貰いっぱなしというわけにはいかない。今はわざわざ店頭に出向かぬとも、ネットからピッピッピの三拍子で熨斗付き名入りでお返しが送れる便利な時代。すぐに手配してホッと胸を撫で下ろし、またユーチューブで何を見ようか心置きなく悩んでいたところ、今度は横から嫁にお礼の電話しなくていいのと言われた。確かに、お礼する以上、物のやりとり以上に大事なのが、言葉でありがとうを伝えることだと、マナー知らずの私でも想像に容易い。


確かに大切やねと、電話番号を入力仕掛けて手が止まった。一体何を話すべきだろうか。30年前、恋に落ちたが離れ離れになった2人なら、頰を赤らめ額をジンワリと滲ませ、方向定まらぬ震える指先で発信ボタンを押すのも悪くは無いが、知り合いと言えども他人と言えなくもないほど薄まった間柄、人見知り、喋りの苦手な私には少々ハードルが高すぎないか。お祝いありがとうではそっけないし、かと言って京都に来た経緯、嫁との馴れ初めなど話し始めると、45分は軽く超える。内容も覚悟も決まらぬまま途方にくれていると、また嫁が絵葉書でも送ったらと助け舟を出してくれた。


そうそう、それだ、それ、それがいいんじゃないですか、粋じゃないですか、とさっそく京都っぽい絵葉書を近くの本屋で買ってきた。さあ一言挨拶だけ書いたし、後は出すだけと、ようやくユーチューブに戻れたのが一週間前の日曜日だったが、葉書はまだ手元。投函したが、切手を貼り忘れていて戻って来たという完全なるミステイク。大切なのは気持ちだからとは言うけれど、伝わるはずの想いの濃さが時間で薄まらないとも限らない。今更電話などできるわけもなし、遅くなってすみません。葉書に一言付け足しての投函したので、ここはどうにか穏便に。

 

雑記-御告げ

予報に反して雨が降ったり止んだりしている小寒い、嫁の出掛けた休日の、夕方の謎解きアニメが終わった後で左手の甲がベタつくのに気がついた。乾きかけのシロップのような、カラメルのような、心当たりのないベタつきが気持ち悪くシャワーを浴びた。


シャワーの後、嫁に食事の偏りを注意されることが多いので、嫁の居ぬ間にと、とって置いたとっておきのカップ焼きそばを晩御飯に食べるため水を火にかけ、お湯が沸く間に、シンクに溜まった洗い物を片付けようと思ってスポンジを持った後で、食器用洗剤を切らしていることに気づいた時に、今朝見た夢を思い出していた。


息を切らして自転車こいで、ようやく峠を越えて下り坂に差し掛かると、そこは見たこともないほど綺麗なオーシャンビューが広がっていた。なんて綺麗なのか、これまでの疲れを忘れ、自転車を降りてその景色を堪能していたその時、前触れもなく訪れた吐き気に戸惑う間も無く目が覚めた。


うっすらと明けかけた爽やかな朝、小鳥のさえずりの声をかき消すようにトイレに駆け込み、胃袋に確かにあるように思えた、異物を吐き出そうとしたが、ゲップが2度ほど出ておさまった。


夢は深層心理を表していると言うし、毎日夢を見てきた中でも美しい夢に吐き気を伴ったのは初めてということもあり、何かを暗示しているような気がして今だに引っかかっているのだ。


ゆっくり景色楽しむ暇なんてないだろうという自分への戒めか、それとも海の見えぬ京都に越して早5年、約30年、海の見える地域で暮らして来た体が海を求め始めたのかわからない。もしも神がいるなら、その神からの何かの知らせに違いない。


おそらくは寝る前に食べた残り物のカツのせいだろうが、油に負ける歳になったと思われたくないので、何でもいいけど、神のせいということで。

 

雑記-麺類はうまい、辛い日も楽しい日も

休日昼間は麺類で程よく満腹感を堪能したいもの。ラーメン、蕎麦、うどんにパスタ。休日ランチを彩る選択肢は多い。ラーメンでは友人とゆっくりとおしゃべりするには適さない。かと言って、蕎麦屋で落ち着いてとなると敷居が高いなと感じる日もある。ならばうどんかパスタで悩むところだが、お洒落な女子を目の保養にしたいのであれば、そりゃパスタをチョイスしておけば、まあ、間違うことはかなり減らせるだろう。


暑い日に袖まくりするため、わざわざ長袖のシャツを着て、そんなに眩しくもないのにサングラスを掛け、片っ端から女性に声をかけることで有名なイタリア人だけのものではもはやない。パスタは庶民から皇族まで全ての人の胃袋を満たす料理として世界で愛されている。ここ日本でも、小麦粉や卵アレルギーの方を除いて、パスタを嫌いな人を私はほとんど知らない。


お店でプロの味を楽しむも良し、家で調理するも良し。かつて家庭の味として一世を風靡したおにぎりやお味噌汁を今や抜かんとする、は言い過ぎでも、パスタはママの味と言うお子さんも少なくはないはずだ。


かねてから、パスタのレトルトソースのレベル、クオリティが一段、また一段と、経る期間と共に確実に上がってきていると最近よく思うようになった。とはいえ、何か物足りなさを感じることがあるのもレトルトである。ならばアレンジすればいい。


最近のお気にはバターの香りが効いたタラコスパに香り付け程度の醤油とマヨネーズである。マヨとタラコは言うまでも無い。抜群の相性である。そこに和のテイストの醤油を塩っぱくならない程度に垂らすと。そこに生まれるのは、海、牧場、山が織りなす、コクと香りのお手軽マスターピースである。想像するだけでお腹が減ってきた。


夜も11時をまわったところ。偶然ではあるが、ちょうど夜食の時間である。パスタを茹でようとしたが、パスタが見当たらない。仕方がないので湯気を温泉と見立てて眠ろうかと思います。スパ ゲッティだけにね。


それでは。

雑記-見た目と人間性

店から飛び出してきた男性を自転車の前輪で踏み潰しそうになり強めの急ブレーキをかけた。アホンッダラッ、喉まで出かけたその言葉をグッと飲み込んだ。日本の交通ルールは歩行者が最も強い。次いで自転車、バイク、自動車と出せる速度が早くなればなるほど弱くなる。


相手をふと見ると、ラグビー選手と見紛うほどの身体に、右半分は肩まで伸びた、血を思い起こす綺麗な赤い髪、左半分はスキンに近い坊主であった。すみません、非を認める言葉がスッと口から出た。


次の瞬間、相手からもこちらこそすみませんと返ってきた。ぶつかったわけではないが交通ルールに従えば非があるのは私なのに、身なりからは想像できないお返事が返って来た時、もう一度謝りたい気持ちでいっぱいになった。


身なりで人を判断するのは難しいが、見た目で損をしたり得をしたりがあるのも事実。彼はもしかしたら損をするタイプなのではと思い出てきた建物を見上げると、そこはドラムのお店であった。


バンドマン、か。一昔前まで、ロックやパンクは不良がやる音楽のような風潮であったが、今はそこまで不良の音楽ではないと思う。ならばどうしてと彼の髪型へのチョイスに疑問が浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返した。


真面目な人の髪は黒というのは今や古い常識であると言われて長い。それでもサラリーマンに奇抜な髪型が増えないのは根底に「真面目は黒」がまだまだ根付いているからだろう。


平穏な日々を送ってはいるが新しい刺激を求めていないわけじゃない。もしも、もしも明日から金髪にして会社に出社したらどうなるだろう。怒られるようならまだまだそんな時代ではないということ。ならば認められるまで自分を貫き通すまでと積極的に行動に移したくはあるが、そんな体力も勇気もお金もないので下の世代の動向を見守って楽しもうと思います。それでは。

雑記-決断と真理

時折、決断を迫られる場面に立たされることは、生きていればしょっちゅうある。


子供…できたみたい…、そっと下を向きながら、薄い飴細工を何枚も重ねるような、繊細でありながら確かなトーンで、気持ちが固まるよりも前に流れのまま、付き合って3ヶ月も経たぬ彼女に言われたならどうだろう。パッと曇天が晴れるような一言があなたには言えるだろうか。成立するかどうかは置いておくとして、結婚しよう、産んでくれ、一生守る、など、男性側のポジティブな返答は、彼女に安心感を与える意味でも圧倒的に重要である。


考える時間も短ければ短いほど良いが、即答では浅はかととられかねない。従って5秒ほどの沈黙は必要だろうか。つまりは5秒で、数十年を左右する答えを出さないといけないのである。彼女の曇天を晴らす決断を一瞬でできる男になりたいものである。


今私は迷っている。深夜の1時少し前、夜10時から減り始めたお腹のピークを今迎えている。カップ焼きそばとカップラーメンの買い置きはある。言うまでもなく、それを食せば問題解決とはなるが、衝動買いに近い形で買った3冊の本に目を通さねばならない。もうしばらく起きておきたいのだが、カップ麺を食すとなると、きっとそれは難しい。だからと言って空腹の我慢も限界である。食べて寝るか、我慢して読むか、二つに一つではあるが、もしも私の意思が断固たれば三つ目の選択肢、食べて読むの選択が可能となるのだが。


今回下す決断と結果は、根底にあるものが真理であるように思えてならないし、本当の自分を見つけるために、今夜は焼きそばをいただくとしよう。それでは皆様お休みなさい。