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立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

少年時代の床屋では

小学校の時に行っていた、どこにでもある昔ながらの床屋では、どう頼んでも帰る時には角刈りにされた。

 


いつも母親に1500円だったか2000円だったかを持たされて、行ってこい、予約してあると、ぐいぐい背中を押されて重い足取りで向かった記憶が蘇る。それが低学年の頃なら足取りもまだ軽かったが、高学年になると女子を意識しだし、少しは髪を伸ばしてオシャレがしたくなった。角刈りではオシャレのオの字も出てこないし、厳しかった校則のギリギリを攻めるような、憧れの少しアバンギャルドでワイルドで、女子の話題の的となるような髪型は、ブラジルどころじゃなく、月より遠い叶わぬ夢だった。

 


髪を伸ばしたいと世間話がてら遠回しに伝えてみても角刈り、裾を少し切るだけでいいのでとお願いしても角刈り、今日は長めでとしつこく強めに頼んで、ようやく少し長めの角刈りとなった時には、見えない所で大人の力が働いていると感じたし、一世一代の長い戦いに終止符がうたれ、初めての挫折を味わった気がした。

 


それはそれは髪を切るのが嫌で嫌で、次の日学校に行くのも嫌になるのは当然の論理であることを、世のお母ちゃん達に伝えたい。散髪は嫌だと駄々をこね、お腹が痛い、学校休みたいと言うその子は、周りの異性の目を気にしている、おしゃれに目覚めたのだなと温かく見守ってやって欲しいと思う。今は生きることで精一杯な戦後ではなく、不景気だと嘆くことが出来るくらい豊かな時代になった。子供だから見た目なんてどうでもいいと言うのは論外、短ければそれで良しとし、本人の意向を無視した「とにかく短く」で予約してしまうのは、あまりにもかわいそうな、悲惨な事をしてることに気づいてほしいと切に願う。

 


本来なら今回はクラシックシェービングについて語りたかったのだが、クラシックシェービングとの初めての出会いはその床屋で、当時は産毛を剃っていただけだったと思うのだが、その瞬間だけは好きだったなと考えているうちに話が髭剃りだけに ソレ てしまったので、この話はまた今度にするとして、今夜はキンキンに冷えたビール片手にうたた寝したいと思います。それでは。