タクシーのタイミング
いっぱいいっぱいまで自分を追い込んで、出せるものは雑巾を絞るが如く最後の一滴まで絞り出す。漢たるもの大人になるに従って勝負をかけなければならない時が、望まずして幾度となく訪れるものだと思っていた。
運がいいのか悪いのか、はたまたその時期に気づかぬままに過ごしてきた鈍感バカなだけなのか。本気や努力という言葉からは程遠く、いつもそこそこにあらゆる試練をどうにかこうにかゆらりゆらりとやり過ごし、後回しにしてきたしわ寄せが来ているに違いない。
幾度となく勝負をかけるチャンスはあった。ここぞという時に天に向かって拳を高らかに突き上げたラオウのようにと言わずとも、居酒屋の閉店間際にハイボールを頼む時の申し訳程度のアピールでも十分であったはず。
引っ越しでヘトヘトのままレンタカーを返却し、家まで片道20分のタクシーの中、賛同できるともできないとも言えない、京都の花見に持論を展開する話に、桜よりも早く満開の花を咲かせる運ちゃんへ、すみませんの一言がどうしても言えなかった。
行き先告げた途端に、いい天気ですなが一分咲き、観光客が多すぎますなが三分咲き、去年は娘と桜を見に行きましてなが七分咲き、そこから満開になるまではあっと言う間。文字通り口を挟む間がなくなったのだが、花見より何より私は一刻も早く、行き先に旧住所を伝えてしまった事を詫びて訂正しなければならないのである。
チャンスは逃すものじゃなく、掴むものなんだなあなんて事を考えながら、明日になれば花粉症は治っていると思い込んで眠るとします。それでは。