読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

小学校の頃の理不尽と

小学校上がりたての時の事である。今の標準は分からないが、あの頃の座席は机を二つずつくっつけてペアで授業を受けていた。初めて隣になった岡田くんはもの静かな少年だったのだが、ある日の授業中何やら様子がおかしい。もそもそとして挙動不審だったので、どうした? と聞いてもはっきりした答えが返ってこない。小学生ながらそういう感だけは働く私は、ははん、うんこしたいんだなと察知した、が、その頃の私には岡田くんのためにしてあげられる知恵はなく、その様子を静観するしかなかったのである。


すぐに先生が私の横に立ちどうした、と聞いて来た時に気づいたのだが、うんこではなくおしっこだったらしく、すでに机の下に水たまりができてきたのである。あららーなんて思っていると、先生にゲンコツされた。何が起こったかわからずにいると、


こういう場合はお前が代わりに言ってやるもんだ。


どうして怒られるのかわからず、泣きながらとりあえずごめんなさいと言ったあの日、本能的に理不尽というものが存在するということを学び始めたように思える。小学校3年になり、月に150円のお小遣いがもらえるようになった時、駄菓子屋でお買い物をするのを覚えた。毎月1日が楽しみで楽しみで、当時は10円や20円で買えるラムネやガムをお小遣いの半分ほどを費やして、1ヶ月もたせるように、ちびちびと食べていた。ある日、お小遣いをもらったその日、いつもの通り、るんるんで近くのおばさんがやっていた小さな駄菓子屋に行き、お菓子を選びさて支払い。全部で70円だか80円だったと思うのだが、50円玉と残りは10円玉で出したのだが、50円足りないと言われ、あわあわしたが、ただ10円玉に隠れていただけだった。その時言われたのが、


そんな出し方するから分からなかったじゃないか。


その頃からお金の出し方を気をつけるようになったし、お客様は神様ですという言葉が私の中に存在したことはなく、大人の顔色は伺うためにあるのだと分かったし、自分が悪くなくても(悪くないと思っても)、ひょんなことから悪に仕立て上げられる事があるから気をつけるようにはなった。理不尽なこととわかって行動に移すのはどうかと思うのだが、される事で学べる事は意外と多いかもしれないと思ったのです。


今日はつらい事が多い1日で、なんだか全く楽しい事が浮かばないので、今夜はこの辺にして、勢いで買った鼻セレブで鶴を折りながら朝日を待つとします。それでは。