立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

なんかいいヤツだと思った

きっといいヤツなんだろうとその場の全員が思った。


今日も今日とて京都には観光客が溢れている。日本人だけでなく、韓国人や中国人のようなアジア人から、小学生くらいの女の子を小鳥の如く肩に乗せて歩いている大柄の黒人まで、何処もかしこも辺りを見渡せば観光客だらけである。


ゲストハウスと呼ばれる簡易宿所の数が増えているのは増えすぎた旅行客にゆっくり休んでもらおうという日本人の優しさなんかではなく、単に儲かるからと気づくのにそんなに時間はかからない。行政に関わる大人達が、増えて欲しくないのに1人でも多くの観光客を呼ぼうとするのは、街が潤うから、ただこれしか理由はないのだろう。


観光客増大の余波は、安さと早さだけが売りのうまくない蕎麦屋にまで及んでいて、箸の使えない外国人がグッド、ナイス、ワンダフルと私でも分かるような褒めちぎる単語を呟きながら、蕎麦を不器用にすすっていることも珍しくはない。


街の中心地から少し外れた小さなバーでも、外国人のお客さんは増えているようで、先日も白人男性が数人で飲みに来ていた。


英語ができるマスター曰くオーストラリア出身で、仕事仲間と来ているらしく、その日で京都は3日目で明日には博多へ向かうらしい。3日間で十分京都を堪能し、最終日くらいはゆっくり飲もうと、それでたまたま目に付いたお店に入ったようである。幸い、テキーラで肩組んでというノリには発展せず、終始静かにビールを嗜んでいた。


そのうちの一人がトイレに立ち、なかなか戻って来ず、ようやく戻って来たと思ったらトイレが流れないシットと頭抱えてやってきた。その時たまたま居合わせた工務店勤務のお客さんの応急処置で事なきを得たのではあるが、オーストラリア人は終始申し訳なさそうにまゆがへの字である。なぜに外国人はあれほど表情豊かなのだろうか。この世の終わりのような、今にも泣き出しそうな顔でソーリーソーリーと肩を落として店を後にする彼を見て、きっといいやつなんだなとみんなでほっこりできたので、次来た時にはビールの一杯でもおごってやろうと思います。思い出しただけでほっこりできたので、今夜はそうめんをひとすすりして眠ろうと思います。それでは。

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