神が与える試練とは
何年前か忘れたが、オリンピックだか世界陸上だかのマラソンだったか長距離走だったかで、一位だったかどうかは覚えてないが、前の方を走っていたブラジルだかアメリカだかの海外の選手が、レース中に街頭で一般人に抱きつかれて転倒し、最終何位だったかははっきりしないが順位を落としてフィニッシュした珍事は、当時のニュースでよく取り上げられていたので、昨日の事のように思い出される。
この珍事の後の選手のコメントが素晴らしく、無宗教の私でも神を頼るとはこういう事だったのかと、考えさせられた。
神が私に与えた試練である。
四年に一度や、仮に一年に一度の大会だったとしても、好きな漫画やジュースを我慢して、マックに行ってもフライドポテトは遠慮して、コーラでハンバーガーを流し込みたいところだが、ここはウーロン茶でと奥歯を噛み締め、寝る間を惜しんで金メダルだけを目指してトレーニングを積んだに違いない。
一瞬の出来事で訳が分からなかっただろうし、無駄になった時間と努力を考えれば、怒って当然、裁判沙汰でもおかしくはないと思うのは私だけなのだろうか。私ならレイ・セフォーばりのブーメランフックを1発、よろけたところをミルコのハイキック、倒れたところを長州力のサソリ固めで仕上げるところであるが、この選手にとっては試練、なのだ。詳しくは知らないがきっと抱きついて来た男は不問だったのではなかろうか。
器が違うから国を代表するアスリートになれたのか、はたまた、一流選手であるから器が育てられるのかはわからないが、私も自分に課した試練である、サウナと水風呂の修行へ行って来たいと思います。それでは。