立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

きっとキャパオーバーである

今の京都は観光客が増え過ぎできっとキャパオーバーなのではないかと思うのである。森山直太朗さんの歌詞を借りれば、どこもかしこも駐車場ならぬどこもかしこもゲストハウスである。今現在京都に住んでいるとは言え、出身は小京都と呼ばれる金沢のある石川で、なぜにわざわざやってきたのと言われても仕方はないし、京都の人口を増やしている一人ではあるのだが、少しばかり言わせて欲しい。宿を少しでも増やそうとあの手この手でなんとかしようとしているのだろうが、観光名所付近の交通機関ももう少しどうにかならないかと思うのである。


車を持たず、基本は自転車もしくは公共の乗り物に頼っているのだが、公共の乗り物、特にバスで観光客と鉢合わせると、つり革確保もままならず、頼れるものは衰え弱っている自分の足腰だけで、前後左右に揺られながら不意のブレーキに耐えに耐え、パソコン入ったトートバックを左手に持ち替えることもままならず、息も絶え絶え汗だくだくでようやくようやく目的地。降りるのも一苦労で、私にとっては最も精神的に辛いのだが、言葉がわからぬ団体さんの間を、蚊の泣くようなすいません、ソーリー、エクスキューズミーで、運転手さんの干し芋ができあがりそうな乾いた、降りる人いますか? の問いかけに精一杯の上ずったおりまーすでようやっとゴールである。降りた時の疲労感、特に右腕の痺れ具合はこれから乗る自転車に不安を感じるレベルで、公共の乗り物に乗る正しい方法がわからない。決して旅行客のせいと言いたいわけではない、わけではないが、どうにかならないかと説に願うのである。


昔、旅行シーズンは飛行機の金額が大きく上がるから帰省できないという事を沖縄出身の人に聞いたことがある。故郷に好きな時に帰れないのはいかがなものかと、若さもありその人と共に嘆いたのではあるが、大きな組織に立ち向かう術と勇気と根性が足りない私にできることは何もないと早々と沖縄にもつながっている天を仰いだ記憶がある。


当事者にならないと本当の痛みはわからないもので、生活に必要な手段が旅行者などに奪われているケースは恐らくはよくあるのだろうと思うし、いかがだろうか。1時間に1本でいいので、住んでいる人専用車両を設けてみてはいかがだろう。わかっている、わかっています、考え浅はか、言うは易し行うは難しであることは。ただ弱者を守る社会であれば少しくらいは考える余地はあるのではと思った次第で、ひとりよがりの独り言である。予想通り、右腕に筋肉痛の予兆があるので、もっと軽いパソコンを探しながら眠ろうと思います。それでは。