立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

辛さへの挑戦は人生のメタファーである、かもしれないのである

後悔するかも知れないが、むしろ後悔を承知で、どこかで望みながらココイチでは5辛を頼んでみたくなる。辛いのが得意な人にとっては何て事ない数字だろう。かつては私も、得意とは言わずとも好きだったので、2辛から3辛、4辛へと階段を一段づつ登っていたのだが、5辛でスプーンが止まった。


別世界じゃないか。


5辛は食べられない、つまり限界は4辛か、頑張ればどうにかなると思って生きてきたし、事実どうにかなってきたことの方が多かった。辛さなんて我慢さえすれば、いつかは天に手がとどくと思っていたのは間違いだったとその時に気付かされた。嘆かざるを得なかった私を尻目に、一緒にいた友人は痛い、辛い、美味いと汗と涙と鼻水をバッシャバシャこぼしながら、私にとっては夢にすら見ないココイチのキングオブキング、10辛をペロリと平らげた。


ここで終わりにしよう。


才能の違いをまざまざと見せつけられ、(外でいろんな水分を顔中から溢れ出させるのもどうかと思うし)私は階段を登るのをやめた。


3辛くらいが丁度いい。


この頃から上に上にと、より高みを目指しての挑戦はしなくなった。家にハバネロパウダーを常駐することはなくなったし、納豆にコチュジャンを入れることも、うどんに一味唐辛子を大量に振りかけることもなくなった。戦わないことに慣れ、ぬるま湯に浸かっているのが心地良くなってしまったのである。


むしろ辛過ぎたら味わからんし、美味しくないよね。ほどほどでいいんだよね。


聞かれてもない理由がすらすら口をついて出て、本心を心の底に隠すようにしまいこみ、今の自分を正当化している。言い訳だろうと言う奴にはそう言わせておけばいいし、負け犬の遠吠えだと言う奴は放っておけばいいと、精一杯の強がりをのたまったところで、この歳において挫折からグレていたことに気づいてしまった。恥ずべきはなりふり構わずてっぺんをみた彼の様ではなく、チャレンジしなくなった私である。


もっと真正面からぶつかろう、当たって砕けるのを恐れるのはもうよそう。若さや老いなんて関係ない。生きていればややこしいことばかりだし、上等だよ、両の手を広げて向かって来るものを避けることなく全身で受けてやる。次回ココイチでは5辛にチャレンジするし、嫌なことも喜んで受け入れる。だからお願いだ。少しエクセルができるからって起動しなくなったパソコンを直せるとは思わないで欲しいのである。


不可能なことは不可能で、できないことはできないと言うことはきっと逃げじゃないよねとそう思うのであるが、これも甘えと言われたらそうなのかも知れないなあと思いながら湿度のやけに高い夜をなんとか凌いで眠ろうと思います。それでは。