どこでもドアが好きである
本を片手に木陰でゆらゆらするハンモックに寝そべり、慣れないサングラスを掛けて、読書しているようなしてないような、蚊が増えてきそうな昼過ぎには蚊取り線香を近くで焚き、そのついでに冷凍みかんを3つ取り出し、水滴がたっぷりついたみかんをおでこに当てて気づけば陽が傾き1日が過ぎて行く。そんな時間の使い方をしたい。
美味しい桃だから、もう少しで食べ頃だからねと言われて、その食べ頃が見ても触っても押してもよくわからずに、いいのか、いいのか、食べていいのかと悩んでいるうちにネットに包まれている部分の色が変わり始めていて、見逃した食べ頃を悔やむでもなく残念がるでもなく、ほらやっぱりねとにやにやしながらかぶりつく、そんな余裕のある生活がしたい。
1日の始めがうまくいくことはとても大切なことだと思っている。験担ぎである。朝、信号をタイミングよく渡ることができ、そのまま長い赤信号の足止めをくらうことなく職場に着いたなら、1日がうまくいくような気がする。
1日3本しか吸わないタバコ、仕事の息抜きに必需品のフリスク、何となく元気になる気がするレッドブルを買いにコンビニに寄る時が最も気をつかうが、その分うまくいった時の喜びは倍である。どのコンビニに寄るのが一番ロスが少ないか、コンビニには他に客がたくさんいるか、店員はレジに何人スタンバイしているだろうか、コンビニ出た瞬間に信号が点滅したらどうしようか。
なんだかんだで信号のタイミングが良く(逆に悪く)、結局そのまま職場に着いてしまったなんてこともなくはないが、ストレスを和らげるためのものを買うために余計なストレスを溜め込むのはいかがなものかと思うのだが、私は昔から移動時間が一番勿体無いと考えてしまう。電車やバスや、たまに乗るタクシーなどについては話は別だが、自転車や車は運転に集中しなければならないし、睡眠時間に当てることも自己啓発本を読むことも、際どい水着の女子の画像で溢れるページをスマホで見ることもできない。そもそも移動時間が少なくなればすくなくなる程私はもっと幸せな気がするし、いつも私の幸せを願ってくれる可愛い嫁に、いっその事仕事辞めちゃえばいいんじゃないかとお伺いを立てたところ、目だけで殺されそうになったので、くだらないことを考えるのはやめて、早くどこでもドアができるのを願いながらさっさと眠るとします。それでは。