しょうがなくない
突如訪れる夕立の始まりを予感させるメガネに当たる数滴に焦って飛び込んだ、カフェではなく喫茶店で、思ったよりも長い雨に足止め食らって、だからと言って焦っているわけでもこのあと予定があるわけでもないしと、食べたくもないまずいカツのカツサンド、つまりはまずいカツサンドを食べてコーヒー飲んでタバコを吸って、目の前にあった雑誌を読みながら少しうつらうつらしていると、BGMが流れるが如く入ってきた会話がやけに耳に障り、なんとなくそちらに目をやった。
だってしょうがないじゃない。
かれこれ30分で10回はくだらない。往年のえなりの代表的なそのセリフは今や若いカップルの間では、流行は過ぎたが、飽きられることなく、それどころか定番となっているようである。
几帳面そうな彼氏が彼女の遅刻の理由をふんわりと聞いたことから始まった痴話喧嘩は、口調は優しい彼氏はきっと内心相当に怒ってそうだし、その根本の理由がそれなんじゃないのと言いたくなるように、ゆらりゆらりと物陰に隠れるよう、全てを何かのせいにしてしまうのは、彼女が女子だからと言う理由では無さそうである。
だってしょうがないじゃない。
好きな女子を落とすためなら奥歯を食いしばるまでもなくさらりと飲み込めたそのセリフも、時間がたてばたつほど、慣れれば慣れるほど滑りが悪くなり、簡単には飲み込めなくなる。ここの落とし所をどうするかで二人の将来が変わると私は思うのである。
いや、違うんですよ。
何を言っても否定から入る人間を私は3人ほど知っている。くだらない冗談、仕事の話、ほっぺが薄く色付くような甘くて酸っぱい恋の話、ジャンル問わずどんな話でも全て否定し、自分論を投げかけてくるその様が私には可笑しくて仕方がないのだが、中にはピリッとする人も少なからずいる。
楽しく始まった部長と平の飲み会も、部長がいや、違うんですよにピリつくタイプだと知っていたら参加はしたくなかった。気づけば部長から否定癖平社員へのお説教でその日は幕を閉じた。
言葉は簡単に武器になる。知らぬうちに人を攻撃し、傷つけるし反撃にも合う。できるなら傷つけるより傷つけられたいと願いはするが、旅行中の若い女子に、
おじさん、〇〇ってこっちであってますか?
と言われた時には、静かに深く、確実に私の心は傷ついたのである。来る来ると思っていたがやはりこの時が来たかと実感した34歳の夏はまだまだ暑い。皆様お体にお気を付けてお過ごしください。それでは。