立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

小学校の頃の音楽室のトラウマ

小学校の頃、音楽の授業で1人ずつ歌を歌うテストがあった。その時隣に座った女子に、歌うまくないねと囁かれたのが、信憑性に欠ける新撰組の刀傷のように心に残り、今でも特定の人以外とでカラオケに行くと、上着すら脱ぐことなく部屋の隅で足組んで、好きなだけ歌いなよ俺ここで聞いてるから、あいつがギターにいないと俺歌えねーんだわ、みたいなエセバンドマンを装うことも無きにしもあらず。


ドラマや漫画のように、その女子が初恋の人となり追って追われての恋愛ゲームに発展したならば、そんなこともありましたなぁと、加齢と健康の話題ばかりが際立ち灰色の空気に染まりがちな同窓会で、色づいた思い出話もできるのだろうが、そんなうまい話があるわけもなく、恋の端っこにもひっかからない、むしろ、所謂トラウマとなっている。


思い返せば私にとって音楽の授業はいい思い出がほとんどない。うちの小学校だけではないと思うのだが、音楽室と図書室だけ絨毯が敷かれていた。上履き脱いで授業を受ける事になるのだが、当然靴下を人目に晒すことになる。物心ついた頃から女子は男子よりも綺麗だとか汚いだとかには敏感で、私は男子の中でもその辺無頓着な部類だった。無頓着ではあったが、人から笑われていると感じる空気には敏感だった。


そんなある日、いつものように音楽の授業を受けていたのだが、女子数人の様子がおかしく、しかも私に視線が注がれているようだった。皆が静かにしているときも、プスプスと笑いが漏れかけているし、銃口突きつけられながらくすぐられているような、嫌な気分で授業を受けていたのだが、どうやらその原因は私の靴下のかかと部分がすり減ってガーゼの如くスケルトンになっていたことのようだ。


その時からである。靴下の破れやスケルトンに敏感になったのは。


サッカーをしているとどうしてもつま先部分が破れがちになるが、暇さえあればチェックしてどんな小さな破れでも即縫うようになったし、普段はく靴下はどれだけ新しくとも破れてしまえばゴミ箱にインである。


幼き日の思い出に振り回されながら、今はそんなこと、大して気にもされないと思うのだが、それでも悪い習慣ではないし20年以上もそうやって生きてきたから易々とやめれるわけもない。


それなのにどうして今日、靴下の親指部分に穴が空いていたのだろうか。神のいたずらか嫁の仕業か。見つけた時は我が目を疑い自己嫌悪に陥ったし、親指がメーデーメーデー、SOS SOSと頻りに訴えているようにすら見えた。


何てかわいそうな親指や、今すぐ何とかしてやりたい。してやりたいがここは会社、始業時間回ったばかりの会社である。昼まで待てばコンビニで買えるし、その時を待とう。親指と強い誓いを交わして、できるだけ席を立たぬようその時を待った。


で、その時を迎えはしたが、結局帰宅までそのままでした、昼休みにコンビニ行くと雨で親指が濡れそうだったので。それでは。