立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

来年は戌年で、私は犬好きの猫派である

この季節の夕方の寒さが当時の記憶を呼び覚ます。あれは確か秋から冬へ入れ替わるくらいの季節だったように思う。


犬は好きだしかわいいと思うが、私は断然猫派である。実家で猫を飼い始めてからなので十数年間猫派だということになるが、幼い頃はどちらかと言えば犬好きだったと記憶している。


まだ私がランドセルを背負っていた頃、子犬が我が家の庭に迷い込んで来たことがあった。餌を持たぬ私にもよく鼻を鳴らしてすり寄って来た。私の家は両親共働きで祖父母も離れて暮らすため、世話できないという理由から、成人して家を出るまでペットを飼ったことはなく、だからなおさらなのだとは思うが、動物を飼いたいという欲求は常にあった。


そこにきてこの迷い犬。キャントヘルプフォーリングインラブ、愛さずにはいられないのである。


いつも玄関横の植え込みをベッド代わりにしていて、駆け足で小学校から帰ると首をもたげて尻尾を振っていた。もちろん飼っていたわけではないので鎖に繋がれてはいないが、それでも毎日同じ場所で偽の飼い主を待つかわいいヤツだった。が、2〜3日後のこと、その日もいつも通り学校から帰ると、植え込みに居たという形跡だけ残して居なくなった。短い間だったが楽しかった分、相対的に迫ってくる悲しみと寂しさで涙をこらえきれず流した記憶がある。


それからというもの、幾度となく両親にペットへの想いを姉と共にプレゼンしてきたが、想い届かずついにはペットと暮らすことなく高校卒業し、家を出た。それが何の因果か、それから数年後に今度はおそらく生まれたての猫が二匹家の庭に住み着き、今度は両親に受け入れられて飼うこととなったようだ。要はあれか、私がペットのようなものだったから面倒みきれないとかそういうことなのかと、今なら聞ける気がするが、それはまあどうでもいいので置いておくとして、それからである。猫に心を持って行かれて私が断固猫派となったのは。


閑話休題、今年の終わりがチラチラ見え始めているが、そろそろ意識しなければならない日本の面倒な風習と言えば年賀状である。会社の年賀状のデザインを偉そうな人から打診され、他の仕事やるよりは断然ありがたいと二つ返事でOKしたはいいが、ヘタに他所のデザインを真似てしまうと会社の名を落とすし、完全オリジナリティで進行することにした。来年は戌年。ならばまずは犬の画像だろうと、犬好きの友人に会社のメアドを教えて数枚送ってくれよとお願いすると、いいよの返事。


数時間後に送られてきたファイルにウイルスの文字。いやいや友人よ、そんなしょうもないいたずらに誰がビビるかよ…無いとはわかっているが、それでも会社のパソコンとなるとクリックする手が固まってしまった。念のため友人に尋ねると、


それ犬の名前、俺ブルース・ウイルス好きだから。


紛らわしいが名前なら仕方がないが、多分ウィリスが正解なんだよと残酷なお知らせはできずにいるのは、まあ名前だし間違いとかいうことでは別にないと思うからなのである。風邪引いてネコむなんてことがあるかも知れないので、皆さんも年賀状は早めに準備するのをお勧めします。それでは。