立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

悩んでいる風ブログ

少なくとも私のメタボことメタボリックシンドロームはただの甘えの産物であるのは間違いない。シンドロームというネーミングはどことなく恐怖感を駆り立て、そう呼ばれると何か重大な病を背負ってしまったかのような危機感を抱くが、気がつけばメタボなんてケツにちゃんをつけたくなるような可愛らしい呼び名で世に広まったのがよろしくないのではないか。


チョコにポテチにアイスに柿の種に、歳をおうたび多様化していくおやつに私はメタボ街道まっしぐら、2年前の心配されるほど、10代20代にもつけられたことないガリという称号がつけられたのはもはやただの過去、もしかしたら記憶違いではないかとすら思っている。


遥か昔小学生だったころ、我が町に一つしかなかったコンビニで100円以内のお菓子を一つだけ買ってもらうのが最高の楽しみではあった。次回がいつになるかわからないから、買ってもらったポッキーやポテチをしけるほど大事に食べていたのは懐かしい。もちろんメタボという言葉は無縁。


中学校に上がって、月に使えるお小遣いは少し上がり、おやつに使えるお金の幅が広がったものの、本気でうまくなりたいと思ってサッカーをしていた私は、炭酸やお菓子の類を全て絶ち、母が作る晩御飯にも注文を入れるほど、食に関して減量中のOLよりはストイックな生活をしていた。


高校に上がると同時にストイックな生活は終焉を迎えはしたが、そこは放っておいても脂肪が勝手にエネルギーとなり体の外へ放出される魅惑の肉体の10代だったので、多分、人並みくらいおやつを食べはした。時には学校帰りにおやつとしてカツカレーを食べ、家で何食わぬ顔で晩御飯を食うという荒技を繰り出したこともあったが、メタボのめの字も知らなかった。


大学生になり、それはそれは不摂生を繰り返した。繰り返しはしたが、そこは暇な時間を持て余す大学生。週に3〜4日、ジョギング30分もしていたので、深夜日本酒片手にタバコ吸い、アテに鶏皮をカリカリに焼いたものを食べていても目も当てられないという事態になることは避けていた。それでも太りはしたが。


社会人になり、己で金を稼ぐようになったとたん、自由のきくお金が増えたこともあり、暴飲暴食がとまらなくなった。(一時期はお金が底をつき食うに困って前述のガリにはなったが)これが俗に言うストレスというやつだったのだろうか。自分で稼いで生活していく。結婚して所帯を持つのが良しとされる世の中とあらば、当時は彼女すらいない状態でも、将来に対する不安や仕事がストレスとなっていたに違いない。一応健康を意識した野菜中心の晩御飯を食べたあと、バラエティに富んだおやつの数々でお腹を満たす日々で、初めてメタボとなったぶよぶよのお腹に自己嫌悪を抱いたが、女子が私浮気するタイプだしと武勇伝のようによろしくないことを発言するかのように、俺こう見えてメタボちゃんだからと、ダメな感じで言えてしまう環境が育っている気がしてならない。


また、チョコはうまいしポテチもうまい、ふんわり名人シリーズにはアゴが外れるほどの衝撃をうけたし昔ながらのおかきも外せない。あらゆる角度から攻めて来るおやつ業界にあっぱれと言わざるを得ない。ジョギングを少しはしているが、それではおっついていないことが最近はっきりと目に見えてわかってきたけれど、天気が悪いとジョギングもできないし時間も限られるから数を増やすことはできず、まあ、ようは自分の甘えを何かのせいにして、なかなか抜け出せないメタボちゃんに悩んでいますって話です。それでは。