立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

秋の夜長メガネ

昨日夜にシャワーをした後くらいからだろうか。左の目頭から1cmほど中へ寄ったところに違和感はあったが、気にせず触らずが信条の私なので寝る前にポテチを数枚パリポリいただいて、グッスリ眠って朝起きると、そこにはしっかりとした吹き出物ができた。(青春真っ盛りの若い男女が洗顔フォームにこだわり始めるきっかけとなるニキビと主張するには少しばかり窮屈な思いがするし、この歳を考えると吹き出物と言った方がしっくりくる)


顔が見えぬブログの向こう側で何が起きていようと、読者の人達には1ミリたりとも関係ないし興味も無かろうが、実は私、メガネを掛けているのである。感の良い方やメガネの方はすでにお気づきかと思うのだが、メガネは本来、耳で引っ掛け鼻で支えるのである。メガネの鼻の部分を組体操の扇で例えると、真ん中の人である。無ければバランス崩してメガネとして役割を果たすことができず、つまりはこの部分はメガネの重みがズッシリ伝わる重要な部分なのである。


メガネを外せば生活に支障はでるからコンタクトをとも思うのだが、私は近視に加えて極度のドライアイ。コンタクトをつけるとしばらくの間は良く見えるかも知れないが、2〜3時間も経てば視界がボヤけ、その頃には目薬点すも焼け石に水状態と化してしまうのは目に見えて明らかである。本当の意味では見えないのだが。


デスクワークでお給金をいただいている限り、視力矯正は必須である。レーシックする程の勇気はないし、コンタクトは例の件で無理となればほとんど一択でメガネが必須である。メガネが無ければ安全面も金銭面も生活すらも危ぶまれるという中、この吹き出物はほとんど拷問に近い。乗せるだけで鈍い痛みが生じるし、メガネの位置を調整しても、いつもの癖で考えるときにメガネを触ってもピリリと刺激的でただただ煩わしい。さらに加えてこれだけ刺激を与え続ければ、明日にはさらに巨大化しそうだし、だけどもメガネを外せない。悪循環の波にゆらゆらと流され抵抗できずにいる秋の夜長である。