立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

塾の先生の夢と広告

中学生の時に通っていた塾が今は公文式の看板を掲げていると知った時、得もいえぬ気持ちになった。


当時、1人で塾を経営していたその先生のことは全然好きにはなれなかったが、通えば伸びる成績に学に少しでも興味のある親たちは、塾ならここ、と口を揃えて言うほどの知名度と実績はあった。


今と昔、先生生徒の関係性は違えど、学習の根本は変わらず、「覚える」である。その塾も例に漏れず覚えることに重きを置いていたのだが、方法はというと体に染み込ませるが如く、とにかく反復練習。そこにスパルタというスパイスを加えることで集中力が増し、テストではスパイクを打つように解答がスパッと導きだされる、簡単にいえば、集中力を高めに高めた状態で反復練習する、超がつくほどシンプルな学習法であった。


体罰は年に一回くらいはあったが、殴る時はスクールウォーズよろしく、今から殴ると言って殴り、親御さんにも事後報告をする、男らしいと言えば男らしい先生ではあった。


コンビニならば3店舗は共存できそうな広大な土地に、10畳ほどの部屋が3部屋あるだけの小さな施設を建てたのが、確か私が2年に上がった夏だったように記憶している。その夏のある日の講義、いつものように私を含めた生徒が集まった後、酒に酔っていたのか何か悪いものでも食べたのか、その先生は静かに椅子に座り、部屋の電気を消し暗闇の中ポツリポツリと話を始めた。


・この施設を建てるため、土地代含めて4億程の借金をした。
・俺はこの土地を、この塾を日本一輝く場所にする。
・やる気のある生徒しか取りたくないから広告や看板は出さない。
・俺の志は半端じゃない。
・(慶応大出身というのが誇りらしく)教え子が後輩になってくれるのを願っている。


などなど、熱く熱く語り、最後は美空ひばりを熱唱して解散、という中学生にとっては過激で刺激的でメンタルの弱い子ならばトラウマにすらなり兼ねない夜を過ごしたのは懐かしい。


どうでも良かったが熱い想いだけは分かりましたよと、何となく頭の片隅に置いていた。私が高校に上がった時には、そこまでの大きさは日本一になるのに必要ないと睨んだのか、広大な土地の3分の2程が売られて眼鏡屋となった。残りの3分の1程の小さな建物に、デカデカと生徒募集の看板を見た時には、近道を選んだのだと思うことにしたが、またしばらくすると、その看板が外されて今度はスナックと書かれた小さな看板。大人が夢を諦めたその場所が場末のスナックになるとは、予想はできなかったが、この結末にもがき苦しんだ姿と現実を見たのは確かである。


それがまた数年経った数ヶ月前のこと、久しぶりに実家に帰省し、たまたまその場所を通りかかると、今度は公文式の看板が掲げてあった。


まだその人の物件かはわからないし、その人の始めた公文かどうかもわからない。だけどもどこかで夢を追いかけ再び歩き始めたと信じたい自分がいるのである。


どうでもいいけども。それでは。