立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

神様はいるかいないか

神とはかつて世界を創造した、唯一無二の絶対的なものであったはずだが、現代の、特にインターネットが世に広まって以降、どうもその力が希薄になりつつあるように思えてならない。命を救うお医者さん、予想だにせずに起きた笑いや、二日連続で山田邦子を見た時、ワールドカップの決勝戦でなど、あらゆる場面で神が降臨する。


私は無宗教信者だが、最近の神の大安売りの乱発には流石に目に余る。都合よく使い過ぎなのではないだろうか。


インターネットの掲示板でも毎日、毎時、毎分、文字に化けて多くの人が降臨させているし、もはや神は絶対的な存在ではない。つい最近まで日本中を席巻していたアイドルグループ内の人気者7人が神と呼ばれてしまっている次第である。ただの可愛らしい女子というだけで神となれれば地球はきっとハート型にでもなってしまっているだろう。


例えば、古くからある銭湯のサウナで目の前が霞み歪むほどに熱の神と対峙した後、今度は水の神の世話になろうと水風呂に向かっている時に落ちている固形石鹸に足を滑らせてその場に尻餅、固形石鹸が勢いよく背中一面に仏様をあしらえた人目掛けて一直線。その瞬間きっと多くの人は祈るだろう。どうか助けてください、時間を巻き戻してください、命だけは助けて下さいと心の中で何度も何度も神に願いを捧げる。この場面では本当なら命を与えてくれて、今までありがとうが正解、神が決めた運命に逆らうべきではないはず。


ここで横から石鹸をはたき落としてくれる爽やかな青年が現れたなら、今度はこの人が神となるだろう。都合のいいことが起これば神と言い、悪いことが起これば神はいないと言う。結局神は絶対的なものではなく、人それぞれの中に存在するものとなってしまった。


忘年会の終了間際にほとんどしゃべったことのない社員の人にこれ飲んどけと差し出された、コップ一杯の日本酒をぐいっと空けたのがいけなかったか、降りる駅の改札で切符を紛失しているのを気づいた時には忘年会には神はいないと確信したが、もうすぐクリスマス。せめて今年の残りくらいは少しくらいいいことがありますようにと神の生誕をお祝いしたいと思います。それでは。