立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

日本人の本質に合わないクリスマスとのうまい付き合い方

近所のゲストハウスの客だろう、揃いも揃ってサンタの帽子をかぶっている外国人数人とすれ違ったときに、ああ、クリスマスなんだなと思ったし、やはりクリスマスは日本のものではないなとも思った。


「古来から日本人は感情を表に出さず、控えめであるものなり。」


多分、何千何万とある文献を探せば一つくらいはこう書いてあるに違いないし、さらにはこうも付け加えてあるはずだ。


「欧米人が好むような、大勢の人を招いての立食タイプのホームパーティーは昨今の日本人にも浸透しており、やりたい人はやればいいのだが、本来の日本人の気質には向かない。2人か3人広さによって多くて4人を、茶室と呼ばれる狭く低く質素な部屋で、主人に作っていただいた茶をすすりながら、美味いか不味いかは二の次三の次、例え苦すぎ渋すぎで、本能的に不味いと、この場面では禁句のその言葉ばっかりが頭に浮かんだとしても、『結構なお点前で』や、『大変美味しゅうございました』と相手を褒め讃えるのが日本人流なのだ。ここでは例えその日が12月24日と言えどもメリー、やクリから始まる合言葉を口にしてはならないのである。ここで口にできるのは、渋く苦いお茶にもかかわらず、もてなしてくれたものへの愛言葉、せいぜい『良いお年をお迎えください』で、それ以外は『無粋』という単語一つにまとめられ、俗にいう空気の読めないや、滑っているというレッテルが貼られよう。」


と。さらに、


「今現代、趣味を書く欄に乱発されている、『インスタ映え』なる単語を創造し、前に述べた、日本人が本質を忘れ、立食タイプのホームパーティーを開催、それもあろうことか、ほとんど多くがサンタさんの帽子をかぶり、何人かに1人がとぼけたトナカイや、似ても似つかぬカーネルサンダースの格好をしているのを見ると、日本が戦争に負けた事実が思い出されて、悲しみのクリスマスイブとなる。中には、パーティーに参加したとしても、帽子をかぶらなければ、トナカイにもならない、まるで無理矢理連れてこられましたという雰囲気を全面に押す、空気の読めない者が何人かは見受けられるが、日本人の本質という面から言えば、まだ遅くない、こっち戻って来いと誘いたくなるのはこういう者達である。」


と続いていくだろう。こんな文献が本当にあれば読んでみたいが、ただ私は、クリスマスを否定しているわけではない。どちらかと言えば好きではあるが、特にこれと言ったホームパーティーはしない。今夜も今夜で、うちは家族分だけ定番のショートケーキではなく、モンブランを準備しました。クリスマスだけに、栗で済ますと、お後がよろしいのではないかと思いまして。それでは。