立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

コラム-ドライノーズとオタク

お腹を空かせた子猫に、お刺身の、例えばハマチを一切れをあげたとする。それを嬉しそうにパクパクと食べ、ペロリペロリと舌舐めずりする姿は人の心を潤すことだろう。


ここでは人から子猫へ対価が支払われ、それに対するサービスが子猫から人へと提供されたと、そう言ってしまうと、塩を振っていないフライドポテトのように味気ない。子猫からしたら食料が降ってきてラッキーぐらいのことなのだが、生へのありのままの行動が人の心を癒し潤す。なんと美しいことだろうと思う。


人からすれば、かわいいという感情が大いに影響する、お腹を空かせて可哀想という理由か、もしかすると損得感情を含むまた別の理由によって、ハマチ一切れを譲ったわけだが、これはいつの頃か世間で広まった「かわいいは正義」をわかりやすく表現する一場面であり、例えるなら貢ぐ者貢がれる者の構図であると言えよう。


語弊はあれど、AKBやジャニーズに代表されるアイドルとオタクのような典型的な貢ぐ貢がれるという関係性を私は非常に羨ましく思うのだ。いつかは付き合えるんじゃなかろうかと思い握手会へ行ったり、手が届くとは思わぬまでも、できるだけ近くで応援したい、生で見てみたいとライブへ足繁く通ったり、写真集他グッズを手当たり次第購入したりするわけだが、一歩下がって見てみると茶番、カモ、時間・金の無駄と、その世界への一歩を踏み止まる障壁として十分なフレーズが頭を過ぎる。


だが、仕事が好きな人を除いて、職場と家との往復の日々を過ごしていると、なかなか全力で向き合えるものは見つからず、だから無我夢中にアイドルを追う人たちに羨ましさを感じるのだ。


きっと彼等彼女等はアイドルの一挙手一投足に心震わせ熱くたぎらせ、心の潤った豊かな人生を送っているのではないだろうか。


閑話休題、心に湿り気は大切であるが、鼻の中にも湿り気は重要である。なぜなら今私の鼻はドライノーズというものらしい。カリッカリのかさぶた混じりのハナクソを除去しようとすると、出血が伴い、鼻を摘むだけでも涙が出る程の痛みで、これが原因ではないかと思うのだが、朝は寝起きがシャキッとせず、何だかイライラするのである。フラストレーションが溜まっているのだろうか。


北陸のじめっぽい、いつもどんよりとして湿気の多い気候で育った私にとって京都のからっと乾燥した空気は合わないらしい。出て来た年に花粉症デビューし、毎年秋から冬にかけての謎の鼻炎、それがようやくマシになったと思ったら今度はドライノーズである。振り返ってみるとヤられているのは鼻ばかり。


湿り気に困る時期がもうしばらく続きそうだし、メガネの曇りを我慢してそろそろマスクに頼ろうかと思います。それでは。