立ち聞きweblog

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コラム-スマホとパソコンを使いこなす世代

パソコンと1万足らずのプリンターがあれば思い出の画像を簡単に写真に印刷ができる。中学時代や高校時代、インスタントカメラで撮った写真を現像するのにドラッグストア(我が町のドラッグストアでは安く現像してくれた)か昔ながらの写真屋さんに出して2〜3日。それが今ではマウスをクリックするどけで綺麗な写真が出てくるものだから大したもんである。


ワンクリックで欲しいものが買えて家に届いたり、話題の仮想通貨とやらで一生分の財産を築いたり、動画を見れたり、やや無理を承知で言うならノートパソコンならまな板にもなるし、モニターの薄さが自慢のやつなら包丁にもなる。シュークリームを焼いたりピザを焼いたり、コーンポタージュを作ろうとするのは無理があるとしても、もはやパソコンでできないことを探す方が難しい。


これからの時代にはパソコンは必須、と言われて20年以上は経つだろう。予言通りに必須となった今、次世代の若者はスマホタブレットの普及によりパソコンは不要になりつつあるという。それを聞いて少しばかり寂しくも感じるが、コストパフォーマンスを考えるならそれも頷ける2018年の春うらら。パソコンにできてスマホにできないことは現時点ではまだあるが、足りない能力をアプリで補い、パソコンを超える時代がすぐそこに来ている気がしてならない。


かく言う私はパソコン世代でありながら、スムーズにスマホの使い方を覚えることができた。つまりはサッカー界で言うところの、グティオーウェン・ハーグリーブスセルヒオ・ラモスのようなユーティリティプレーヤーなのだ。スマホが出来ない上の世代からは重宝がられ、パソコンの出来ない下の世代からは尊敬の眼差しで憧れられているはず。言わばちょうど我々が黄金世代と呼ばれるに値する。


肩書きに負けないように時代の波に飲まれないよう、出来ることを広げて深めていかねばと思っているのだが、私の愛用するEvernoteにだけはここ数日で何度も手を焼いている。


Evernoteにメモや文を書いてから、場所を入れ替えたりしたいとしたら、他の文章作成と同様にカットしてペーストするのがオーソドックスな方法だろう。何もおかしいことはやっていないはずだが、私のiPhoneからこの操作を行うと、なぜだか貼り付けた文章が超巨大化してしまう。そんなに強調したくない、まだ老眼じゃない、と深夜に涙目で欠伸を堪えて修復しようとするが、何をどうしても直らない。何度一から書き換えたのかは分からない。バグか新たな仕様か使い方かは分からないが、同じ状態を繰り返す私の脳もそろそろバージョンアップの時期に来ているのだろう。


それでは。