立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

コラム-人生設計

正月、ゴールデンウィーク、盆休みなどの大型連休は、普段から足を棒にして目ヤニを拭く暇もなく働く人々にとって、ご褒美である。と言いたいところだが、私はそうは思えない。休暇が長ければ長いほど仕事に戻るのが嫌になると言うのが人間というもの。実際、連休明けは数日間ノータッチだった仕事のリズムを取り戻すのに時間がかかるし、記憶力のない私にとっては、パソコンのパスワードを入力することすら危うくなる。


もっと均等になるよう各月に休日を振り分けるのが、森友学園の問題と並ぶほど重要度、緊急度が高いと思うのは私だけだろうか。


「山の日」なるものが数年前にできた時、増えた休日に素直に喜べなかった。なぜならお盆の連休につけて足したようなほとんど意味のないものだったから。それならば結婚式ばかりが行われ、金と休みが目減りする、祭日の無い6月に梅雨の日を設けるべきではないか。


仕事がしたくないというわけじゃない。私は死を迎える4年前、95歳まで仕事を続けたいと思っている。となると、ゴールテープを疾風の如く駆け抜ける短距離型と言うよりは、スタートからゴールまでの完走を目的としてホノルルマラソンに参加する定年間近60代のじーさんのような、線の細い長距離型。すなわち、ペースを乱すことなく日々のルーティンを守る必要がある。つまりは今後私に必要なのは一週間の大型連休より、息切れ前の二連休の方が望ましい。


話はそれるが、私が定年する95歳はワールドカップ開催の年である。よって命日の99歳も開催年。ならばワールドカップ決勝終わりのホイッスルを聞いてから、ふっと逝くのも悪くない。フットボールだけにね。


それでは。