立ち聞きweblog

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雑記-サザエさんは人として嫌いだけどアニメは心のチューナーである

日曜夕方はちびまる子ちゃんを見てその後はサザエさん、と決まっている家庭も少なくはないだろう。我が家もそうである。


継ぎ足し受け継いで味を変えぬまま続いていく、老舗の鰻屋のタレの如く、何も変わらない世界観は、目まぐるしく変化する日本人の心のチューナーであると私は思う。


時には翌日から始まる仕事を思い出し、憂鬱スイッチを押すきっかけとなることもあるだろう。だけどもいつも変わらずそこにあるということに価値を感じる。毎週見ていないという人の心にも、日曜夕方にはまる子サザエがいるだろう。


全国民が知っていると言っても言い過ぎではない、国民的アニメのサザエさんに今日は一言言わせていただきたい。野良猫を裸足で追っかけたり、買い物するのに財布忘れたり、間違い電話をかけてきた人と盛り上がったりと、まるで良くない見本である。ドジっ子なところを愛してねと作者は言うかもしれない。が、「こんな姉さんは嫌だシリーズ」、もしくは「こんな嫁は嫌だシリーズ」を永遠と流すアニメではないのか。


私はサザエさんが嫌いなのだ。傍若無人でデリカシーのない女性を好きな、マスオさんのような腰が低く穏やかな男性は存在するのだろうか。


…いや待てよ、サザエさんが始まったのはもう50年ちかくも前だという。日本の高度経済成長の頃か。今でこそ強い女性は珍しくはないが、当時の時代背景を考えれば、亭主関白が普通だったろう。尻に敷かれる男性というのは滑稽に映ったのかもしれない。それがウケて人気が出たとして、だが今では日本の昔ながらの家庭像と比喩されることも少なくはない。


となると、50年前のアニメに時代がようやく追いついたということになるのだろうか。


私もまだまだである。日曜夕方お世話になっているサザエさんを嫌いな女性として受け入れられないのは、きっと男としての器がマスオさんよりもずっと小さいからだろう。今度サザエのつぼ焼きを食べる時はありがたくいただくとします。それでは。