立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-評価と合っていないお店

ざっくりと数えると片手、見栄を張っても両手あれば余りが出る。多くもなければ少なくもないと思っているこの数字は、私が緊張することなく連絡がとれる友人の数である。


待ち合わせが必ずセブンイレブンでという友人や、お酒の席でしか目を見て話してくれない友人、奥さんに絶対に会わせてくれない友人など、多種多様な友人たちを見た私の嫁にどの人もガラスのハート、もしくはブロークンハートの持ち主ばかりだと言われたことがある。なるほど確かに皆そう思われる節もなくはない。


先日京都へ遊びに来てくれた友人も、大学時代、日本に嫌気がさしてストレスで腸に穴をあけ、大学を辞めそのままイギリスへ飛び立ち、数年間の生活を謳歌して体調万全になって帰国するという、繊細でいて規格外、そして日本の空気が合っていない日本人である。


この友人と会うときのご飯は暗黙の了解で「飲み」ということになるのだが、リクエストを聞いて何でもいいと言う割に、例えばチェーンのような安い居酒屋ならば、あからさまに肩を落とすし、かと言って美味いお店で調子付いて飲ませると道端で眠りに落ちるので面倒。ちょうど良い塩梅のお店探しに難儀している。


最近ではお酒は二軒まで、そこで余力があるようならカラオケで消耗して帰宅というの流れなので、二軒目は行きつけのバーがあるからそこで決まりで、カラオケは別にどこでもよい。となれば一軒目のチョイスに私から彼へのもてなしの全てを注ぎ込むのだけれど、情報がネットで簡単に入手できるようになったのに、逆に選択の自由は今までよりも利かなくなったように思えてならない。


私がよく利用するのは、星の数でそのお店の評価をしているお馴染みのサービスだが、3.5を上回ると混雑が予想され、早めの予約が必要となる高評価。よっぽど悪い評価がちらほら見受けられてだいたい3.0が普通くらいなので、この友人を連れて行くには、まあまあ良い評価の3.3あたりが妥当と目安を付ける。


それで選べば済むのに、今度はレビューが気になりだす。料理は美味いが店員の対応が最悪だった、という意見があると、もしも高圧的な対応の店員ならばガラスのハートの私たちでは美味しくご飯を楽しめる気がしないので敷居が高すぎる。逆に店員さんが気さくに話しかけてくれて楽しかった、というレビューがあると、ガラスのハートの私たちの恐る恐る相手の様子を観察しながら話すコミュニケーション能力では敷居が高く感じてしまう。


今回も上記のような理由で候補を見つけては却下してを2日繰り返してようやく決まった、鴨が美味しいお店の評価は3.2。身の丈に合った程よいお店のはずだったのに、嬉しい誤算であった。割り当てられた座席は2人に関わらず個室で、酒は美味しく料理も格別。お腹いっぱい食べて飲んで1万円とは、これはなかなかいい店だったと。採点するなら星5つ付けたいのだけれども、店員さんが私のサンダルを踏み付けて座敷に上がっているのを2度みてしまったのでやっぱり星3.0で。