立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-面倒な習慣を無くすには

やらなきゃいいと言われたらそれまでではあるが、日本(だけではなくおそらく世界中)には面倒臭いしきたりや行事がやまほどにある。年賀状やお中元、お歳暮、忘年会に新年会パッと思いつくだけでもご覧の通り、紙面を埋めつくさん勢いである。もしも、今サラリと挙げたイベントだけでもこの世からなくなったとして、喜ぶ人はいて、困る人はいるのだろうか。

 


確かにお中元、お歳暮時期のハム屋、酒屋の売り上げは多少下がるだろうが、だからなんだ、企業努力でどうにかしてもらうとして、これらの習慣は普通に過ごすためにはいらない。本当に忘年会、新年会は必要だろうか。事あるごとに理由をつけてビールにハイボールに焼酎、日本酒を嗜んでいるだろう。やれ接待だ、先輩の誘いだなどとうんざり顔を奥さんに見せながら、サンバ踊るくらい楽しんでる人も中にはいるはず。年が暮れます、年が明けますなんて毎年わかっていることなのに、なぜにわざわざ集まり酒を飲むのか。年末年始はだれもが忙しいだろうに。はっきり言って不要だろう。そして忘年会と新年会の合間に行き交う年賀状こそ不要なことこの上なし。今は連絡取り合うのはラインかメールが主。ならばそれらで十分である。フェイスブックツイッターなどのSNSを活用している人なら、それらを使えばいいし、年賀状の必要性がまるでわからない。いや、あれもこれもやりたい人はやればいい。ただ、やらなければ失礼に当たるとか、一般常識から逸しているという風潮に我慢ならんのだ。

 


無駄なものをなくそうとする世の中なのに、どうしてなくならないのかと私なりに考えてみた。これらはどれも謂わばかしこまった挨拶。かしこまった挨拶の価値を下げることができたならこういう面倒なことはなくなるのではないかと思っている。仮説があっているとして、ならばどうしたらいいかだが、普段のおはよう、こんにちは、おやすみ、さようなら、いただきます、ごちそうさま、お疲れ様、ありがとうなどなどをまずは一種類のみにしてみてはどうだろう。例えば「ういっす」が全てに共通する挨拶にしてみると。朝起きた時、道で会った時、夜寝るときにごはんを食べる時、どんな時もういっす一つで済ませられるなら、挨拶の文化が衰退するものと思われる。普段の挨拶の水準がさがれば、きっと年末年始などのあいさつの水準も下げざるをえないと思うのだがどうだろう。文化の衰退…個人的には悲しいことだと思うのだが、面倒なことを無くすためにはいたしかたない。ハイリスクではあるが、リターンは大きい。まずはすべての挨拶を「ういっす」に統一でいかがでしょうか。