立ち聞きweblog

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雑記-気づいて欲しかった

そういえば私は昔貧血だった。集会中にぶっ倒れたり、気持ちが悪いと体育祭で座り込んだりとかはなかったけれど、とにかく体力が続かなかった。

 


当時サッカー部(エース)だったので毎日のように練習があるわけだが、とにかく走れなかった。正確に言うと走れないわけじゃなく、100メートルくらいのダッシュはできるが続けて走ることができず、だけども少し休めばまたダッシュができると。普通よりも疲労が溜まりやすく回復が遅い状態と言えばイメージしやすいだろうか。だから長距離ではいつも最後尾。

 


入学当初は長距離も短距離も早かったのに、気づけばまるで走れない状態になっていたのに、どうして親やサッカー部の顧問は気づいてくれなかったのか。だれでもいい。気づいて欲しかった。医者に行けと一言言って欲しかった。中学生にとって医者に行くという考えは大人よりも希薄。選択肢にない場合が少なからずある。異変に気付きながら、それを誤魔化しほっときゃ治ると暗示をかけながら日常をやり過ごすのだ。

 


今はまた違うかも知らないが、それは私に限らず多くの子が同じだと思う。私が貧血に気づいたのが中学3年間で、一度だけ行われる血液検査の結果でだった。その時に気付くまで、記憶にある限り1年くらいはその状態で誤魔化しながら部活をしていた。もしも発症がもっと遅かったら、原因がわからないまま走れないサッカー部(エース)としてその後の人生を歩んでいたかと思うと、あの時検査で見つかって良かったと思っている。とはいえ、高校に上がる時に一度サッカー(エース)は辞めたけど結局再開したが。

 


子どもの異変には周りの大人が気づきケアをする。その時の辛い思いがあるから歳をとった私は子どもたちに優しくできると思うのだ。

 


今嫁の姉の子供がバスケでいい感じらしい。何かの大会でMVPを獲ったり、プロチームの世代別代表に選ばれたりと、その青春を謳歌している。行きたかった学校への進学もバスケの功績で内々定。個人的に推薦とか甘々だとは思うが、私たちの頃とはまるで時代が違うしそれもいいんだろう。

 


嫁の姉も、嫁も、義理の父母も喜んでいる。

 


部屋と部屋の間の段差で思いっきり足の人差し指と中指をうって青くなった挙句、靴を履くと涙が溢れるほど痛いし、足を引きずって歩いている私の事など誰も気にも留めまい。