立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-笑われても関係はない

雨上がりでアスファルトの水たまりに反射する夕焼けが日の終わりを告げる頃、自転車でペダルを踏み外してハンドルから手を滑らせアスファルトに四肢を打ち付け出血する絵が頭をよぎったが、近くの電柱とハグをする形で、事無きを得た。予感した出血は免れ、自転車にぶつけた脛、膝、二の腕の打身による青々とした痣が残っただけで済んだのは良かったのか悪かったのかは分からない。

 


もしも、知らない人が目の前で自転車でヨロけたら、…ヨロけるくらいでは声はかけないか。どうなるかを見届けて体勢を持ち直したなら温かい目で見送って、2秒後にはそのことすら忘れるだろう。もしも、すってんころりんコケて尻餅でもついてしまったなら、大丈夫ですかと手を差し伸べる。それは老若男女問わずである。綺麗な女性なら尚更である。
(差別ではない。デフォルトで全員には手を貸すが、手を貸す時のモチベーションはそりゃ違う、要は本当なら付かないオプションがサービスで付いただけ、サービスするのは差別じゃないから、と声を大にしたいが、内容とは関係がないので逆に小声で括弧の中だけで囁いて、このお話は機会があればするということで。)
じゃあヨロけとコケの間、電柱とハグはどうだろうか。目を閉じてよくよくイメージして欲しい。自転車にまたがり、さあ行くぞとペダルを漕ぎ始めようとするおじさんが、足踏み外し手を滑らせ、コケるかと思いきや電柱にしがみつく後ろ姿。悲しくはないだろうか、切なくはないだろうか、涙が出そうにはならないだろうか。つまり大丈夫かいの一言がそのおじさんへの愛じゃないかと思うのだ。

 


すぐ後ろを歩く若い女性二人の必死に堪える笑い声が聞こえたから、手足の傷はすぐにでも消えてしまいそうだけど、心の傷はしばらくは残りそうである。