雑記-結局楽しめない
スタッフ同士は中良さげに話しているのに、私がレジに商品を持っていくと、わざとらしいくらい無愛想で、温めを聞いてもらえず、敬語は当然使ってもらえるわけもなく、ありがとうもまた来てねの一言もない、50歳前後のくそババア店員が家から1番近いコンビニにいることがわかった。
それからというもの2番目に近くはあるが、距離は倍ほど離れたコンビニに行くことが増えた。正直面倒な時もある。そこのコンビニでは、オーナーと、その娘と思われる女子がレジをしていることがある。その女子はレジが慣れていないと見えて、真横のオーナーに聞きながらレジをすることがあるが、オーナーへはドブの水で傷口を洗うような冷酷なほど無愛想に、客の私には頑固な油汚れも恋に落ちそうなほどの笑顔で対応してくれる。大切なのは物理的な距離よりも心の距離だと知ってからまだ日は浅く、あの系列のコンビニは店員の質がよろしくないと思わずにはいられない日曜夕暮れ、慰安旅行とは何なのかを考えてしまうのだ。
私の勤める会社の場合、休みは隔週土曜と日・祝日である。年に一度、慰安旅行とやらが、貴重な休みの土曜に食い込むようにスケジューリングされるのだが、これは一体いかがなものかと経営陣に聞きたいのだ。
「いつもお仕事ご苦労様。今日は慰安旅行です。仕事のことは忘れて楽しみましょう。」
毎年同じような挨拶から始まる休日の社員旅行は、慰安とは言えなくはないか。少なくとも偉い人が指定した行き先に連絡入れて、何日も前から料理やバス、タイムスケジュールを手配して、飲み物とったりゴミ片付けたりする社員達からしたなら、給料の出ないサービス休日出勤である。楽しいのは結局のところトップだけ。となるとそれは慰安旅行ではない。
だから本気で慰安旅行をやるなら出勤日だろう。仕事1日をオフにして、動物園なり水族館なりに連れて行けば、そこがどれだけショボくても近場でも誰も文句はない。大事な休みを会社として出かけることほど嫌なことはない。社員のモチベーションを上げるのが目的なら休みを奪うのは良くないし、長い連休はいらないが、休みは多ければ多いほど良いと私は思う。