立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-武器で使うか防具で使うか

人は怒る(いかる)。我を忘れて怒れば、そりゃ後先考えずに手が出ることもあれば、命を奪うこともあるだろう。どうして怒るという感情があるのか考えたると、「怒り」は自分や周りの大切な人、あるいは物を守るためのいわゆる、盾のようなものである、という答えに、確定ではないが着地した、今のところ。

 


私は人に対して怒るということは、恐らく一般人の平均よりもずっと少ないし、鬼軍曹と比べたら、石コロと地球を比べるのと同じで、ほとんどゼロになるくらいだと思う。ムカつく、頭きた、許さねえ、と怒りを表す表現を口に出すことは少なくはないが、そのほとんどの出来事について、心の中では実は冷静で、特に自分に対しての不誠実や理不尽には、いつか殺すとその時は頭に浮かぶが、どこかにしまい込んだまま忘れることは多い。むしろ大切な人が傷つけられたときの方が怒りの炎は大きく、そしてなかなか消えにくい。

 


怒りという感情のコントロールは難しい。時として関係のない人を巻き込む槍にもなりかねないということを肝に銘じておかなければ法的にも知らぬうちに加害者ともなりうると思う。

 


例えばであるが、最近流行りの煽り運転するバカは、問答無用で逮捕されて残りの人生、自我を見失うほど心病むまで反省しろと思うのだが、クラクションを必要以上に鳴らすやつはどんな神経してるんだろうか。

 


もちろん、危険を知らせるために使用するのはいいし、一方通行の道を曲がろうとするおじさんにそれとなくププッと知らせてあげる優しいものもいい。友人を家まで送って見送る友に向かっての挨拶がわりのプも、まあ、良かろう。

 


問題はたまにどころかしょっちゅういる、直進車が向こうから来た曲がり始めた右折車に、直進車優先だろうこの野郎と威嚇するようにビーーーーーと長時間鳴らし続けたり、タイミングがうまく図れず交差点で四苦八苦する車に容赦なく邪魔だろどけよコラとビーーーーー、細い道で荷物を家に運ぶために少しばかり停めただけでもビーーーーー。

 


攻撃的で暴力的である。あのビーーーーーは傷害罪か過失致傷で捕まらないだろうか。現に音に敏感な私はあの攻撃的クラクションによって耳が痛くなりそのせいで頭痛を誘発されたことがある。歩道を歩いていただけで無関係なのに。

 


ラクションは武器ではない。防具だ。怒りも武器ではなく防具として扱うべきだ。