立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-老いを追う

2018年はあと20日ほど。決して長くはないが、いい事、悪い事、あと1波2波くらいはあるかも知れない。大波までいかなくとも中波くらいならまだ全然ありえる。用心深く慎重派な私はここで気を抜く男じゃないのは、自分自身がよく知っている。会社の面倒で気が重いクソなイベントごとのほとんどを消化し終えたからといって浮かれてはいないが、油断していなかったと言えば嘘になる。

 


まだ東から昇りかけの朝日を浴びながら、100円自販機でbossの缶コーヒーを買い、近くの公園で趣味の写真を撮りながら小一時間ほどウロウロして、近所に住むと思われるじいさん、ばあさんのウォーキングを眺めながら石の冷たいベンチに座りコーヒーをすする。休日の度、歳にして倍以上程離れた老人たちとほとんど変わらない行動範囲だということに気づき、どこか自分の未来が見えた気がしたら、なぜか読書がしたくなったので家に帰った。

 


読書には欠かせないやや深煎りの苦めのコーヒーを淹れている最中、骨盤のやや右辺りが痛むことに気づいた。ほっときゃ治るだろうと意にも介せず、コーヒーを淹れ終えソファに腰掛け、読書前にネットサーフィンしようと思い、金儲け、楽、安全、とキーボードで入力していたが、どうも痛みは良くなるどころか酷くなっているようで、座るのもやっと横になるのもやっとならば、起き上がるのは至難であるほどに痛み出した。

 


これは一大事、これがギックリ腰なのか。仕事が出来なくなるのは全然構わないが、二連休が台無しになるのは死んでも避けたいと、イブ飲んでロキソニンの湿布貼ってもすぐに効果が出るわけもなく、結局午後からは寝て過ごし、お風呂に入って眠る頃には少しはマシになって、朝起きたらすっかり良くなっていた。一体何が原因だったのか。一抹の気持ち悪さを残しながら、何となく老いを体感した気がした。歳をとるにつれて原因の分からない不調が増える。これをひっくるめて老いというのだろう。

 


明日死んでもいいように、パンケーキが食べたい。美味しくて腰が砕けるほどの。