立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

スウェーデン人のナンパの仕方

夕方まで続いていた二日酔いも、少し熱めのお風呂に小一時間浸かれば、汗が吹き出すにつれて少しずつ和らいでいく。いつものパターンは、行きつけの銭湯でサウナ水風呂を3ローテーションもすれば、毒素も抜けて、お風呂上がりにビールを欲するコンディションまで回復するし、この日もそうするはずだったが、天気があまりにも怪しいなと空見上げた瞬間に大粒の雨が降ってきた。ならばしょうがなしと家のお風呂に湯をためて、自慢の防水携帯持ち込んで息を吸うくらい当たり前になっているネットサーフィンを始めれば、時間が経つのも汗が吹き出すのもあっという間であった。


銭湯を好きな外国人は多いらしく、行きつけの銭湯でも、身長2mを越えようかという大柄の白人とよく一緒になる。始めてその外国人を見たときは、銭湯の仕組みがよくわからずにオロオロしていたのを覚えているが、通い始めて1年も経てば、常連のおじいさんにも負けず劣らず堂々としたもの。男同士、裸の付き合いともなれば、意識したくなくとも意識してしまうのは、少しでも外国人には負けてはならないと思ってしまうのは、島国だった頃の考え方が薄れながらもわずかにDNAに刻まれているからか、敗戦国だからだろうか。もちろん、だからと言って敵意をむき出しにする訳ではないのだが、身長2m、外国人、この時点で銭湯における勝ち負けは、言わずもがな外国人の彼。


久しぶりに行ったバーで、マスターと談笑していると、最近よく来るというスウェーデン人が訪れた。マスター、スウェーデン人、私と全員30代ではあるが、男3人、お酒で酔いが回り始めると話題は自然に女子の話になるのもまだ不自然ではないだろう。ただ文化の違いか人間性の違いかはわからぬが、そのスウェーデン人の性に対する執着がやはりと言うべきか我々とは比にならなかった。このスウェーデン人、最近失恋で傷心気味だったようだがようやく元気になってきたらしいのだが、とにかくナンパはバス停が良いと力説された。近所でバスを待つ間手持ち無沙汰と言うこともあり、バス停で30代のナンパしているスウェーデン人を見かけたらきっとそれは私の知り合いである。


好きな女性のタイプは、性に対してとにかく先手を取って来る女性で、日本人女性にはそれが足りない、スウェーデンは性に対してオープンなんだ、妹は彼氏がいるが、お互いがお互いに認めるセックスフレンドもいるんだよ、どうにかならんかねと言われたが、そんなこと言われても、俺、男子だし、奥手だしと笑って答えていたが、今度時間できた時にバス停行くと帰り際に言ったのを聞いて、何となく日本人が敗戦した理由がチラついた気がしました。それでは。

ブドウとノルマ

夏の風物詩を果物で言えばほとんどの人がスイカと答えると思うのだが、私はブドウである。と言うのも、私の出身地はブドウの産地で、幼い頃からこの時期になると冷蔵庫がブドウの箱で埋め尽くされていたものである。


だから、夏は飽きるほどブドウを食べてきたし、たまにスイカが食卓に並ぶと、まるで学校帰りに神社の裏でタバコを吸うような、もしくは人妻をデートに誘うような、少しイケナイことをしている心地にもなった、と言うのは流石に言い過ぎではあるが、それだけブドウが好きだし慣れ親しんでいたのである。


今年もその季節がやってきて、ありがたいことに実家からブドウが2箱送られてきた。我が家は嫁と二人暮らしである。きっと一箱ではブドウの良さを堪能しきる前になくなる気がして、足りないくらいならと2箱送ってくれたのだろうが、蓋を開けてびっくりである。


隙間なくミッチミチに詰め込まれたブドウは20房はゆうに超えそうである。仮に20だとして、それが二箱、1人20房を消費しなければなくならない計算である。消費期限は冷蔵庫に入れて10日前後らしいので、ノルマは1人1日2房。食べ物を粗末にすることが甘い卵焼きより嫌いな貧乏性の私にとってそのハードルはあまりに高い。


ゲームをやめない子供にゲームをやめさせる方法を聞いたことがある。1日1時間までと制限するのではなく、例えば1日3時間以上は必ずプレイすることと、ノルマを課すとすぐに飽きてやめてしまうという。もしかするとそれになるのではと危惧している。


燃えるような暑さの日も、雨で肌寒い日も、いつも私に栄養をと水分の補給をしてくれた、甘く、時に酸っぱい成長期と思春期を共にしたブドウを嫌いになってしまうのではないか。


お金のように何かのためにと貯めておけるならいいが、ブドウはそうはいかないし、いつか芽が出て花となり、また実をつけるまで育てられるほど甘くはないし、仮に実をつけたとしてもきっとそれは甘くない。これは試練である。


秋になるとブドウを名残惜しんで冬にはその姿を夢にまで見て、春には今か今かと待ちわびる、そんなブドウとのいい距離感を保ち続けるにはどうしたらいいか、そればかり考えながら、本日もブドウ1房食べて横になりたいと思います。それでは。

すっかり夏ですね

青と言えば何をイメージするだろう。夏であれば海や空が真っ先に浮かび、子供や大人関係なく砂浜ではしゃぐ姿が浮かぶ。他には、サッカー日本代表のユニフォームや、寒空の下、半袖半ズボンで遊んでいた近所の幼馴染の唇、乗り物酔いしてウップウップと何かを我慢している嫁の顔色が思いつく。そして、今まさに私のパソコンの画面は真っ青である。


明日の朝一で持って行くから仕上げよろしくね〜。


最近流行りの軽い口当たりのカキ氷のようにそう告げられたのは、既に就業時間を回った後で、パソコンの電源も落とした後であった。本当ならばその場にある一番固くて重いものを手に取って足の甲にドシンである。だが私も歳を取って角が取れたし、すぐに人と会う約束があったので、


明日朝一でやりますね〜。


こちらも軽い口調でそう返し、スタコラサッサと帰ったのが昨日。定期的に出る「更新してシャットダウン」を何も考えずクリックしたのが少しだけ引っかかりはしたが、意識の高い私は、いつも始業の30分前に会社に着くし、そこからやれば十分に間に合う、はずである。


朝、PCの電源を入れて、冷たいお茶をマグカップに注いでクイっと飲み干し、二杯目を注いだあたりで違和感を感じる。PCの画面が青一色。更新中である。はいはい、昨日のやつねと、仕上げとけよと言われた資料に一通り目を通したが、待てど暮らせど更新が終わらない。真ん中でぐるぐるしている白いやつは一体なんなんだと苛立ち始め、始業時間まで10分切ったところで、30%完了。なかなか増えないパーセンテージ。おいおい、完全に間に合わないじゃないの、これじゃ朝一どころか昼一になるんじゃないの。終業後に仕事押し付ける人が悪いとどこかで思いつつも、少し青ざめながら他の人パソコン借りて、見事にギリギリ間に合わず、軽く小言言われたのはきっと私は悪くはないと、そう思いたい。


真っ赤になった上司とは対照的にPCの画面はまだまだ青一色のままである。それでは。

 

ゲスとハウス

珍しく熱を出した。夏の熱は厄介である。寒気はするが止めどなく汗は流れて、最弱にしたエアコンの風でさえも肌に触れると、例えるならば痛みのような、鈍い不快感。だからと言ってエアコン切ると多分熱中症で死ぬだろうし、水やポカリを暇ありゃ飲んで冷えピタがピタッとできないほどにひたすら汗かいて。ようやく落ち着いた頃、眠りについて夢をみた。


夢の中では友達ではなく、かろうじて知り合いと呼べる程度の、お互いがお互いに遠慮し合うレベルの人たちと大きなテーブルを囲んでいた。テーブルには8番ラーメン(石川にあるラーメン屋。石川の人は全員知っている。マツヤの味噌やゴーゴーカレーより有名。)のメニュー。早く注文したいのだが、多分邪険に扱ってはいけない部類の知らないおっさんのおしゃべりが長く注文出来ずにいたら、睡魔に襲われ船を漕いでいた。という夢である。


フッと目を覚まし時計を見ると夜の10時を回ったところ。無性にラーメンが食べたくなったので、ややボーっとしながら近くのコンビニでカップ麺買って、念のためにもう一つ買って、帰路に着いた。まだ熱が完全に下がってないらしく、少し朦朧とながら夜道をトボトボ歩いていると、向こうから数人の外国人。嫌な予感がしますね〜、と俯き加減ですれ違おうとしたが、互いの距離2mほどのところで、


スミマセン


ほれ来たな。わかってくれとは言わないが、1人くらいあのマンは体調がバッドなんじゃないか、と言える奴はおらんのか。断るときはアイムソーリーでいいのかとか、熱って何ていうんだろう、ヒートアップで通じるのかと考え巡らしていると、見た目にも若いとわかる男女4人が英語で描かれた地図出して、ここへ行きたいと指を指す。


えっと、ゴーストレート、えっと、エンドー、ザットコーナーライト…オッケー、カモン。


いいんだよ、知らぬ地で迷うことほど不安な事はないし、それが他国で言葉が通じなければ尚更である。もしかすると、熱で困った友達のために解熱剤を買いに行った帰りに迷っているのかもしれないし、そうでなくとも、今日の寝床があるか分からぬ男子女子はきっとママ、ママと心の中で涙しているに違いない。


家から少し離れた方向に歩を進め、彼らの寝床となるゲストハウスを見つけて、見送って、サンキューを背中で受けながら家に向かった。ようやく家に着き、ほぼ1日何も食べていないのもあるのか、食欲もあり、とりあえず一つ食べようとお湯沸かしている間に、気づけばテーブルの上で肘つきながら、船を漕いでいた。


これが正夢なのかどうかはわからないが、また熱が出ると無駄に出来ない毎日に支障が出るため、今夜は冷房無しで眠るとします。それでは。

スマホとお年寄り

まるで熱帯地方のスコールのように短時間にザッバーンと降るのが最近のトレンドのようである。恋人同様、予期せぬ時にフラれるもんだから対応のしようがない。いや、こっちもバカじゃない、本当は暗雲立ち込めてくるのはうすうす気づいているし、めんどくさいので大丈夫だろうと高を括てしまい、ひどい目に合ってヒーヒー言うのはダメな男である。


もうiPhoneにしてかれこれ7年目、3台目だっただろうか。完全に使いこなしているわけではないのだが、それでもGoogleマップにネット検索にブログの更新にと、どちらかと言えば「扱えている」方であると思う。もし年齢が10も若ければ、さかりのついた高校生よりも朝から晩まで弄り倒しただろうし、もちろん今よりも「扱える」ようになっているだろう。


スマホはもはや若い人だけでなく、お年寄りでも持つ時代である。偉そうにするつもりは決してないが、それでもお年寄りよりは使いこなせているとは思うし、スマホ片手にまごまごしているお年寄りを見るとなんだか微笑ましく、心の中で応援してしまう。そんなもんではないのだろうか。私は自他共に認めるおじいちゃん子で、だからお年寄りは大切にすべきであると常々思っているし、本当なら道を歩くお年寄りは全員おぶって目的地まで送り届けたいと思っている。


駅のホームではしゃぐ子供の横でスマホのゲームに夢中になる父親に対して、またやってんの、異常だよ! と怒鳴り散らす母親の気持ちはわかるけど、異常なのは電車通過中でもはっきり聞き取れるほどのボリューム、声量であった。だが、このケースではお父さん怒られて当然である。息子ビビって当たり前である。


夕方にスコール同然で降り出す雨が止むのをのんびり待とうと、デパートのベンチに座り、買ったばかりの一眼レフカメラで鳩撮ったり、別の角度から鳩撮ったり、鳩が糞落とすのを撮ったりと弄り遊んでいたのだが、隣でお姉さんが老夫婦に、恐らくは父母に強めに当たっていた。何で電話出ないのよ、ここに印ついてたら着信があったってことだって教えたでしょ! と。


そんなことでそんなに怒鳴ってやるのはお年寄りには酷ですよと隣で思い、スマホの扱いよりもお年寄りの扱いをもっと勉強しなさいよと言いたかったが、それは言えるはずもなく、気づけば空が明るく雲の切れ間がやけに霞んで見えた連休の終わりでした。スマホを巡って怒鳴る女性は結構多いのかもと思ったのですが、とにかくお年寄りは大事にしましょう。それでは。

一石を投ずる

もうすぐお盆である。


恥ずかしくて目を見ることすらできなかった初恋、泥の味を初めて知った部活動、ややこしい粘り気のあるおっさんに絡まれたり、良い思い出も悪い思い出も時が経てば血となり肉となる。


たくさんの思い出と共に幼き日に過ごした、今の自分を育ててくれた故郷から離れて暮らす人にとって、お盆の里帰りは重要なイベントである。親の顔を見るのはもちろん、懐かしい面々と顔を合わせるいい機会ではあるし、実家で仕事忘れてゆったりとした時間を過ごすこともできる。


のではあるが、その前に大きな大きな難所が待ち構えているのである。(以前にブログで書いたかも知れないし、書いてないかもしれないが)国が全く動かず、状況の改善が全く見られないので、私が一石を投じよう。この一石が、大河の始まりの湧き水の一滴のように、いつかは大きな岩を、そして日本を動かすと信じて言わせていただく。


電車は立ち乗り券を作るべき、そして全席指定にすべきである。


文字通りだが、立ち乗り券の人は座っちゃダメで、自由席を廃止してはいかがだろう。


ピーク時の乗車率は軽く100%超えますよね。150%って事もありますよね。200%もあるんじゃないですかね。いや、指定席に座っている人はわかります。高い金額払ったんですもの、当然です。問題は自由席である。


自由席は椅子取りゲームよろしく早いもん勝ち座ったもん勝ちのむちゃくちゃなルールが採用されているようだが、場所が場所なら、時代が時代なら、殴り合いからの殺し合い奪い合いが始まってもおかしくはない。なぜ同じ金額払っている人に同じサービスを提供できないのか。運が悪ければ、身動きが取れぬギュウギュウの満員電車、事あるごとにケツバットしてくる先輩に呼び出された野球部の1年生のように額から汗して直立不動で数時間なんてこともあり得るのだ。なぜ同じチケットで立っている人と座っている人がいるのだろうか。


であるなら、全席指定席にすべきではなかろうか。指定席が無くなったら、もしくは希望者には割安の立ち乗り券を販売すべきである。


値段設定はどうするの、シート埋まらず立ち乗りばかり売れたらどうするの、そもそも立ち乗りの人と指定席の人はどう見分けるのよという声が聞こえてきそうだが、そんなもんは知るか、である。一石は投じた、後は企業努力でなんとかしろやというところで、このお話は、はい、おしまい。それでは。

遅めの七夕

毎年のことではありますが、雲がある時はまだマシで、ひとたび太陽が顔を出せば、日差しがミリミリと肌に食い込んでくるような、暑さもさることながら痛さまで感じるような季節になりました。


車を所持せず、京都市内ならどこへ行くにも基本は自転車なので、夏の暑さや冬の寒さはなかなかに堪えます。冬の寒さはヒートテックに毛糸のパンツに夜なべして編んだ手袋にと、関節が曲がらなくならない程度にどんどん着込めばそれで何とか乗り切れますが、問題は夏です。


暑ければ暑いほど肌を空気に晒したくなるものですが、私の裸は京都の定める許容の範囲内で収まるとは思い難いし、そもそもマナーやモラルは大切にと、品のある人間になるように育てられたので、ギリギリのラインは自分では超えないとは思いながらも、妖艶で正誤を惑わす春の陽気とはまた違った、ナイフひと突きで息の根とめてきそうな過激な夏の陽気で頭がヤられることも可能性として留めておかねばと、そう思っている次第です。


皆様も経験があるかと思うのですが、自転車で目的地に着き、冷房効いた場所に入った途端に流れる滝のような汗。この汗について一言言いたいのですが、出てくるのが遅すぎやしませんか。


いや、きっと自転車で風に吹かれるから出ては蒸発、出ては蒸発を繰り返しているのだとも思います。しかし、涼しい場所でそんなに汗かくと、そりゃ風邪もひきますし、もう十分冷えた、うん、ありがとう、もう十分冷えたよ〜大丈夫なんだよ〜と、何度も心の中で唱えているのに、なかなか止まらないってどういうことなのかを神に問いたい、場所が場所なら笑い者となることでしょう。


例えば白を基調とした壁に北欧家具が揃ったカフェは、きっと色白で少しだけ病弱な、か弱い綺麗な読書好きな女性が常連なのでしょうが、こんな空間に私のような汗だくメタボリック男子が入れると思いますか。答えはノーです。


お店も客は選びたいでしょうし、私も私できちんと手入れしてある家具に大量の汗で水たまりを作るのには抵抗があります。迷惑をかけぬよう、人様の怒りに触れぬよう細心の注意を払ってはいますが、この汗だけはどうにもこうにも。仮に汗染みがおしゃれだね、なんて世の中が来ますよう、少し遅いですが七夕にお願いしながら、本日も夜空見上げて眠るとします。それでは。