立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

キャパオーバー

わかりやすい物でいうとグラスや、わかりにくい物でいうと人の心など、ありとあらゆるものにはキャパシティが決まっていて、キャパを超えるほど何かを受け入れるとキャパオーバーになる。私は出身地の石川が最も好きだし、石川を離れて4年たった今でも、たまにホームシックならぬカントリーシックに陥る事があるのだが、新幹線の駅ができた今、観光客でキャパオーバーである。観光客だらけの石川、想像したくないものである。


これは弱音ととられても構わない。構わないから誰か助けてくれとまではいわないが、どうか静かに話しを聞いてくれまいか。最近の私は明らかなキャパオーバーである。昼の仕事はがんばればがんばった分だけ給料は増えずに仕事量は爆発的に増加傾向で、さらにそろそろ次の仕事を探せねばならぬ時期に差し掛かっているし、人の反感を買うことから消化しなければならぬ事や、自分に与えたノルマのために時間がタイトにタイトにきつきつになっている。


キャパオーバーを自覚し始めたのが3月入ってからで、いよいよボロが出始めた。今日は少し気温も上がり、一つ薄手のコートで自転車で仕事に向かい、なんだかすごく寒い気がすると思うと同時に気づいたのだが、コートの下にジャケットを着て来るのを忘れていて、寒がりの私が暑いフリをして仕事をこなし、お昼にお弁当を食べようとしたら箸を持って来るのを忘れているし、今日は花粉がひどいななんて鼻をかんで気づいたのだが、寝る前に花粉症の薬を飲むのを忘れているし、仕事帰りでタバコを買おうとしたら、財布を忘れていたしで忘れ物づくしの1日を送ってしまった。


私のキャパが小さいのが悪いのか、キャパオーバーまで追い込んでいる私が悪いのか、どちらにしても私が悪いのには変わりないのでそれを嘆くのではなく受け入れたいのであるが、同居人彼女がそばにいるのをすっかり忘れ、けたたましい音とともに私の体内の悪臭を放ってしまうしまつである。


明日は週末、忘れ物はしたくないので、一番新しい心の傷が癒えるのを願って5分でも早くベッドに入ろうと思います。それでは。

小学校の頃の理不尽と

小学校上がりたての時の事である。今の標準は分からないが、あの頃の座席は机を二つずつくっつけてペアで授業を受けていた。初めて隣になった岡田くんはもの静かな少年だったのだが、ある日の授業中何やら様子がおかしい。もそもそとして挙動不審だったので、どうした? と聞いてもはっきりした答えが返ってこない。小学生ながらそういう感だけは働く私は、ははん、うんこしたいんだなと察知した、が、その頃の私には岡田くんのためにしてあげられる知恵はなく、その様子を静観するしかなかったのである。


すぐに先生が私の横に立ちどうした、と聞いて来た時に気づいたのだが、うんこではなくおしっこだったらしく、すでに机の下に水たまりができてきたのである。あららーなんて思っていると、先生にゲンコツされた。何が起こったかわからずにいると、


こういう場合はお前が代わりに言ってやるもんだ。


どうして怒られるのかわからず、泣きながらとりあえずごめんなさいと言ったあの日、本能的に理不尽というものが存在するということを学び始めたように思える。小学校3年になり、月に150円のお小遣いがもらえるようになった時、駄菓子屋でお買い物をするのを覚えた。毎月1日が楽しみで楽しみで、当時は10円や20円で買えるラムネやガムをお小遣いの半分ほどを費やして、1ヶ月もたせるように、ちびちびと食べていた。ある日、お小遣いをもらったその日、いつもの通り、るんるんで近くのおばさんがやっていた小さな駄菓子屋に行き、お菓子を選びさて支払い。全部で70円だか80円だったと思うのだが、50円玉と残りは10円玉で出したのだが、50円足りないと言われ、あわあわしたが、ただ10円玉に隠れていただけだった。その時言われたのが、


そんな出し方するから分からなかったじゃないか。


その頃からお金の出し方を気をつけるようになったし、お客様は神様ですという言葉が私の中に存在したことはなく、大人の顔色は伺うためにあるのだと分かったし、自分が悪くなくても(悪くないと思っても)、ひょんなことから悪に仕立て上げられる事があるから気をつけるようにはなった。理不尽なこととわかって行動に移すのはどうかと思うのだが、される事で学べる事は意外と多いかもしれないと思ったのです。


今日はつらい事が多い1日で、なんだか全く楽しい事が浮かばないので、今夜はこの辺にして、勢いで買った鼻セレブで鶴を折りながら朝日を待つとします。それでは。

おかまのお話

20代の後半に差し掛かったある日、公私ともにうまく行かず酒で酔うことで現実から目を逸らしていたことがあった。元気出せよと友人が連れて来てくれたのがおかまのいるバー? スナック? だった。おかまが私の隣に座り、例のごとく下ネタ中心の馬鹿話で私も心底笑ったし、楽しめた。店も閉店に近づき、蛍の光が流れ始めた時、そのおかまが静かな声で話し始めた。


「こんなお店に来る人はね、訳ありの人が多いのよ。不倫中のカップル、ギャンブルにハマって嫁、子供、住む家全てを失った男、借金で首が回らなくなって都会から逃げて来た女。心にも体にも傷がある人が集まって、でもほんの一瞬かもしれないけど、笑顔になって帰っていくのよ。いろんな人を見ているから、なんとなくわかるの。あなたも辛い思いして、今ここに座ってるんでしょう。お酒に逃げているんでしょう。」


見透かされているようなそれでいて、幼き日に母親に抱かれているような心地よさの中、深くタバコを吸い込んだ。もしかしたら、泣きそうになるのを堪えていたのかもしれない。


「まだ会ってすぐだけど、あなたのように優しい雰囲気を持った人はなかなかいないわ。この世の中はそんな人たちが住みにくいようにできているのよ。」


この時点で少し泣いていたかもしれない。このママ? パパ? の言う言葉が酔いの中で一言一言が沁みて、心の芯から温め癒してくれるようだった。震える手でもう一度タバコを深く吸った。


「辛い時は逃げてもいい。限界だと思ったら全てを捨てなさい。あなたが知らないことは山ほどある。」


…。


「良かったら新しい世界を見せてあげるわよ。」


口説かれていた。勘弁してくれよが9割だが、1割は一緒に帰ってもあるいは…だった。それは出鱈目に飲んだ焼酎の酔いのせいか、ママ? パパ? のテクニックのせいかはわからないが、あの時1割を選択していたら今頃どうなっていたんだろうと、ふと昔の思い出が頭をよぎったのであった。


桜の蕾が開く今日この頃、私の頭にもお花が咲きそうなので、今夜はドリカムの曲を100曲口ずさみながら夜明けを待つといたします。それでは。

時間に寛容、カーテン来ず

はるか昔、保育園に通っていた頃、夕方に迎えが来て帰っていく友達を横目に、私はお気にのブロックを組み立てていた。ほとんど毎日、親の仕事が終わって迎えにきてもらえたのは最後の最後、辺りが闇につつまれた完全に夜だったし、小学校の頃は鍵っ子で、親の帰りをお腹すかせて待っていた。思えばその頃、待つのに慣れたせいか、人を待たせるくらいなら自分が待ちたい、喜ばしいことかどうなのかはわからないが、そんな大人になった。


なので基本的に待ち合わせで友人が遅れて来ても特には怒ったりはしたことないし、適当に入ったうどん屋で、カレーうどんを頼んで10分経ち20分経ち、私の15分後に同じくカレーうどんを頼んだ人と同時に運ばれて来た時にも嫌な顔せず美味しくいただいた。多分怒るか、まだですかと声をかけてもいい場面なんだろうなと思いつつも、ま、いいか、がまさってしまうのである。


そんな私も今日という今日は怒りの練炭に着火剤をセットし、いつでも火をつけられる状態にいる。


新居に越して来て、窓のサイズを測ったら特注らしく、既製品で合うカーテンが無かったため、サイズをオーダーで注文したが、最短でお届けに2週間。平日でも構いません、できるだけ早くとお願いしたら、月曜の夜7〜9時に有名な配送業者さんから届くこととなった。やっと外を気にせず、リビングでくつろげると喜んでいたが、待てど暮らせど一向にピンポンがならず、現在すでに10時を回っている。春休みで引越しシーズンであることを鑑みても忙しいのはわかっているし、多少時間がずれたとしても、1時間遅れたとしても、私ならクレームのクの字も出さなず、むしろ遅くまでご苦労様ですと、つむじまで見せつけたお辞儀と、疲れて乾いた心を潤すためハンドドリップで淹れたコーヒーを差し入れしたいところである。


しかし、昨日一昨日と諸事情で外出しっぱなしで、心身ともに疲労した状態で週が始まり、カーテン来たら即睡眠の準備を万全にしていたのである。わかっている、わかっている、こっちの事情だもの。眠いのなんて、疲れているなんてこっちの事情だもの。体力万全なら夜中の二時まで待ってあげられるし、もちろんまさに今怒ってもいい時な気がするが、それで怒りの炎をあげるのも自分の信念を曲げる気がしてキーボードを叩き始めた次第である。


せめて、遅くなりますの一言があればと思うのだが、かれこれ予定より1時間オーバー。配達屋さんもここまでくると連絡しにくいのではと、ケータイ片手にかける勇気が湧かずに右往左往しているのではと想像すると、何だか少しだけかわいそうになってきたし、もしや事故か何かかと顔もわからぬ配達屋さんが心配になってきた。9時にタイマーセットしたお風呂はきっともう冷めきっているだろうし、今夜は何もかもをあきらめて、もし明日起きたらクリスティアーノ・ロナウドになっていたらをテーマに妄想を楽しみながら眠るとします。それでは。

ご褒美の焼き鳥

私は市と呼ばれるものが好きで、京都で暮らすようになってから、数え切れないほど足を運んだ。東寺で行われる月初めの日曜日のガラクタ市に21日の弘法さん、北野天満宮で開催される25日の天神さんと、他にも手作り市などあらゆる市を合わせると、平均月に1.5回としても50回ほどは通っている計算で、何か掘り出し物は無いだろうか、素敵な骨董はどこだろう、と毎回うきうきでウォッチングしているわけだが、実際にものを買ったのは記憶にある限り5回あったかどうかで、うち3回はコーヒーを飲んだだけである。


野球で言うと打率はわずか1割で、5回打ったヒットのうち3回は打ち損ないがふらふらっと上がって守備の間に落ちるラッキーヒット。当然レギュラーからは程遠く、二軍でもベンチに入れたらいい方で、普通であれば戦力外の解雇である。それもこれも原因は私、小心者な点にある。欲しい物が見つからないことももちろんあるが、気になるものがこれまで無かったわけじゃなく、ただこれ下さいの一言が言えないのである。買い物をする環境としては決して慣れていない、屋外、混みが小心者の私を目覚めさせるようである。


思えば昔からその気はあった。お店で探し物をしていても店員さんに聞けないし、取り寄せのお願いなんてもってのほか、勇気を振り絞ってたこ焼きを頼んだのに、たい焼きが運ばれて来た時には大嫌いなあんこを涙目でえづきながら食べた事もあった。しかし私も歳をとるごとに場数も増えて、お店での注文やトラブルくらいは堂々と対応できるようにはなった。


…と思っていたのだが、先日の出来事である。いつもはファミマ、セブン派なのだが冷たい雨が降っていたこともあり、雨宿りを兼ねてローソンへ入った。帰っても晩御飯が無いことを思い出し、缶ビール2本とサラダを持ってレジへ行き、でか焼き鳥とやらのももと皮を2本づつ、計4本頼んだはずなのだが、袋に詰められたのは明らかに2本。缶ビール1本につき焼き鳥1本は、週末の楽しみとしてはあきらかに物足りず、ここは4本必要なのだが、バイトの若い女の子にすら言えなかった。2本づつねの一言が言えずに帰宅である。


缶ビールと焼き鳥のアンバランスな比率に嘆いてのブログでなく、いつもは行かないローソンで、そうそう無い間違いをするバイトに当たり、二本づつねが言えない私はこの先も苦労が耐えないような気がして、いつかは小さなことで落ち込むことのない人生を歩めればなとほろ酔いで吐露できたので、更新は月曜になるのだろうけど、今夜は枕元のメモにどんまいと書いて眠るとします。それでは。

餡子嫌いが投じる一石

午後10時も過ぎた頃、日課と呼んでも怒られないだろうと思えるこのブログをようやく書き始める事ができた。いつもならお昼休みに何を書くかを考えて、夜の8時には翌日の準備をしながらダラダラとキーボードを叩くのであるが、本日はぬるめではなく、入れ立て熱々のお風呂の中でスマホからの投稿である。


いつも通り仕事が終わり、土曜日に諸用で地元に日帰りすることになり、手土産の1つでもと思い、買いに行ったが案の定バシッと決められずこの時間である。


京都の土産と言えば、和菓子である。私の身内の全員が甘党、和菓子好きとあらば、和菓子の土産はさぞ喜ばれるだろうと思うのだが、私自身が大の餡子嫌いである。


物心ついてから餡子を食べて嘔吐を繰り返していた記憶しかないほど、体が餡子を寄せ付けないのである。本日も有名な和菓子の前に立って悩んでいるうちに、酔ったような気持ち悪さがこみ上げて、その場を離れざるを得なかったのだが、思うに餡子の放つ何かが私の三半規管を壊しにきているのではなかろうかと、彼女に真剣に相談したところ、ごめん、夜だからちょっときついです、と突き放される始末である。


遥か昔、知人に餡子嫌いを告白したところ、3割損してるなんて事を言われた事がある。何を言ってんだこのバカはと、その時は気にもとめてなかったが、京都に住む以上餡子から逃れる事は至難、となればあながち3割損は間違っていないのではなかろうか。幾度となく失敗してきた餡子克服が今後できるとも思わないが、大の餡子嫌いだからこそ、美味しさが分かっていないからこそ一石は投じさせてもらえないだろうか。


餡子とチーズって合うんじゃないですか?


別の言い方でもう一度、


チーズ餡ってありじゃないですか?


すでにあるのかも知らないけれど、もしこれが流行るなら、もう一度餡子に私の方からすり寄ってみてもいいのではないかと思いつつ今夜はうどんで火傷した舌を出しながら眠るとします。それでは。

カバと原チャ

私が使っていたほとんどのパソコンがそうだったのだが、使い始めて数年経つと徐々にファンの音が巨大化する。


その昔使っていたパソコンは、電源を入れるたび、待ってましたと言わんばかりに放つ耳障りな音は、3度の飯よりライフワークであったセクシーな女性の画像を探すのが嫌になる程、パソコンの電源を入れるのを恐怖に感じる程の音であった。


新しくパソコンを買うお金がなく、ライフワークを簡単に放棄することができない年頃だったこともあり、ファンを掃除することにした。おそるおそるPCを開け、埃まみれの中身を丁寧に掃除し、またおそるおそるPCを閉じて、はい完了。これでまた快適なセクシーライフワークを楽しめますなと、意気揚々PCの電源をオンにすると、これまた、待っていましたと言わんばかりに、さらに大きく原チャくらいの音量で唸りを上げ始めた。そのままコンセントをあわてて引き抜き、なぜこうなるのか、普通は小さくなるだろと、そのまま電源を入れることがなくなったのも今ではいい思い出である。


全く別の話しではあるが、2年程前になるだろうか、ノンフライヤーが知れ渡り始めた時に、これだと思い、買いに走った事があった。


当時の趣味と言えば土曜日の夜に行くバーでお酒をしこたま飲むことくらいしかなく、何か変わった事がしたいなぁ、久しぶりに串カツ屋さんへ行きたいなぁと思っていた矢先、ノンフライヤーの存在を知った。コレステロールが気になるお年頃、油物を食べるのに、健康の面で少しは気にせないかんと、そんな事ばかり考えていた時にネットで偶然見つけられたのは正に運命としか言いようがなかった。早速お店に自転車を走らせ、量販店を早歩きで周って見つけた本体を見て愕然とした。


カバの頭ほどの大きさがあるのだ。


何でこんなに大きいの、置き場所に困るし、そもそも自転車じゃあ持って帰れないと諦め、渋々家に帰ったのも今となっては、である。予想よりも大きくてうれしかった思い出ってほとんどないなぁと思いながら、今夜も更けていくのを待つ事なく、未確認な飛行物体がいつ現れても大丈夫なように、ドアに鍵かけずに眠りに落ちようと思います。それでは。