立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

女勝りの恋愛トーク

普段身に起こる出来事で、予期せぬことが起こった時、知らぬうちに恨みを買っていると考えてしまうことがある。こう立て続けに不運があると、あいつか、そいつか、それともこいつか…知らぬうちに知らない誰かから恨みを買っていると考えるのは私の悪い癖なのかも知れない。恨みを買うとしたら、だいたいが身近な人だろう。


ごめん、食べきれん。量多い…


昨日の晩の残りではあったが、嫁が朝早く起きて温め用意してくれたお味噌汁とご飯が、萎んだ朝の胃袋に収まりきらないと早めの段階で感じてしまった。せっかく作ってくれたのに悪いなと感じつつ正直に白状すると、いいよいいよ残しといてと軽い返事が返ってきたが、そりゃ作る立場の人からしたら、ペロリときれいに平らげ、机にカツンッと空の容器を勢いよく置いて手を合わせごっそさん! これの方が嬉しいに決まっている。


一緒に暮らし始めて一年半がとうに過ぎ、仲良くやれているように思っていたが、調子悪い時の鼻くそほどの大きさの不満も積もり積もればゴルフボール、テニスボール、サッカーボールと気づかぬうちに確実に大きくなっていくものである。


肩揉むなりムードのあるお店のディナーに連れていくなりして、日頃から感謝の意を示しておくべきであった。


多くの女子は気付いて欲しがるくせに、男子の想いは察してくれず、言わないと分かんないしとかどうとか言って膨れて激怒するという、語弊を恐れず言えば面倒な性質を持つ。恋の終わりに男子が振られる理由の何割かはそんな感じの事だろう。


そんな厄介な面がほとんど見られない嫁に惹かれて気づけば今に至るのだが、それはおそらく私の勝手な解釈で嫁も元々は女子。本人も気づかぬほどの大きさの恨み嫉みの類が溜まりに溜まって私の愛車である自転車を直撃したとしか思えない。


パンクして修理してパンクして修理して…自転車乗りにとってはタイヤは消耗品、パンクはつきものである。パンクして修理してを繰り返すのは何もおかしな話ではないが、パンクして修理して、5分後にまた同じタイヤがパンクするなんてこと、そうそうありますかね? 何も砂利道や山道を走っているのではない。綺麗に整備されたアスファルトを走っていて急ブレーキを掛けたわけでもないのにこれである。しかも2回目は、剣道の達人が竹刀を振り抜くような(イメージです)シュバシッという音を残してタイヤが大きく裂けたのである。その瞬間、


ごめん、サチコ(仮名、嫁の名前)。


鳥肌と共に自然と口から出てきた言葉に意味はないと思う。意味はないと思うが私の魂が何かに怯えていないとも限らない。


今夜は久しぶりに得意のナポリタンでも嫁に振る舞うといたします。皆様も身近な人ほど大切に。それでは。

美容室でのジレンマ

iPhoneユーザーの私は昨晩のけたたましくなる緊急速報で2回飛び起きたのだが、よくよく見ると、片方が国土交通相でもう片方が京都市からのものであった。15分おいた寝入ったタイミングでわざわざ2回も鳴らさず1回にまとめろとか、夜中に聞くあの音の感じが怖い、選んだ奴誰だとかそんなことは言うつもりはない。直接私に関することではないにしても、人命に関することだし、そう遠く離れた場所でないならバンバン鳴らしてもらって結構である。


今日はいつにも増してぼーっとしているし、緊急速報配信する人達に甘えた一言を言わせて欲しい。各会社の上層部に、昨晩深夜に緊急速報2回流した旨を、だから部下が眠そうにしてても怒らないでねって、一言添えて伝えといてくれたらなとちょっとだけ思うのである。


台風が直撃する1日前、ビタビタと地面を叩く大粒の雨の中美容室へ行ってきた。珍しいと言えば失礼に当たるのだが、いつも貸切状態のそこは、その日は他にお客さんが居て、今回はいつも担当してくれるオーナーさんでなく、多分入店して間もない波瑠似のレディーに切ってもらうことになったのだが、散髪中、担当がだれでも基本的に私からは話さない。興味のない栗の饅頭の記事を食い入るように読みながら、目を合わせなければ切っているところを見る事もない。


このオーナーさん気を遣っていると言うよりは、無口なタイプだと思っていた。毎回切りに行く度、必要な事以外は話さないでいてくれる。だから、散髪は嫌いだが、少し離れているがこのお店の空気なら肌には合うし、髪の長さがピークを迎える度に足を運んでいる。


そして今回他の人を担当しているのを見て知ったのだが、オーナーさん、よく喋る人だった。台風の話からビットコインの話、イチゴ(15日)が上に乗るから22日はショートケーキの日だなんて洒落た記念日の話まで、お客を楽しませようとする姿は接客業の鑑である。だけど、私はほぼ喋ったことはないし、あなたのことはほとんど知らないし、強がりでなくむしろそれを望んではいたのだが。


なぜだろうか、盛り上がる隣2人と、会話が全くない私たちの構図が出来上がった時に、あれ? この感じ、担当の人と雑談した方がいいんだろうかとそういう感情がふつふつと芽生え始めた。


だが、どうだろう。ここでこのレディーに話しかけてしまうとオーナーに、女子には話しかける女ったらし野郎というレッテルを貼られてしまうのではないだろうか。かと言って話さなければこのレディーにつまらない客だと思われそうだし、あちらを立てればこちらが立たず、ジレンマに嘆きながらの結局一言も発さずの30分であった。しかし、美容師の洗髪はどうしてああも気持ちいいのだろうか。あれだけで金払う価値ありである。それでは。

どうせなら大の字で寝たい

休みの日の昼間はどうしてああも眠いのか。雨だからとか前日遅くなったとかは経験上あまり関係無さそうではあるし、ならば好みのテレビ番組がやってないのが要因かと思ったのだが、その時間のためにツタヤでDVDを借りても気づけば首が後ろに折れて、口全開で夢の世界へ旅立とうとしてしまうのは、それが原因でもないのだろう。何かあった時のため休みの日に1本でも多くのブログを書き溜め、その分空いた時間を趣味の時間に充てたいと、近頃はそう思っている。


毎日ログインするだけでプレイせずに閉じてしまうゲームアプリをやったり、買ったはいいがちっとも肌に合わなかった本を最後まで読み耽ったり、胸張って趣味と言えるように自慢のカメラのホコリを払って京都の街並みを撮りに行きたい気持ちもある。雨の日には、執念で着物デートを敢行する若いカップルの情熱をカメラに納め、趣深い詩を添えたアイドル顔負けの写真をプレゼントしようじゃないか。晴れの日には、半袖半ズボンにマフラーとニット帽という不思議ではあるが、斬新なファッションで寺院巡りをする外国人の後ろ姿に、哀愁漂う一句を添えて観光記念にプレゼントしよう。


充実した休日を送るためにはまずやることはやっておかないと、と思うのである。ベストは何もかもを考えず、すべきことを後回しに、いろんなことを放り出して旅に出ることなのだが、そんなこともできる年齢でも状況でもなくなってきたわけだし、今はとにかく、続けることが最も大事だと思っているこのブログを書き溜めてと思ってはいるが、PCの前に座るたびに眠くなってしまってはなかなかそれも叶わず、最近数週間は週末が来ると、寝正月ならぬ寝休日を毎週もれなく送ってしまうし、夕方の定番アニメが始まって、オオ、シットと思うことが習慣のようになってしまった。


だからと言って憂鬱になるわけではないし、週明けに向けリフレッシュできているのは確かだし、こんなもんと言えばこんなもんなのだろうが、それでも今の空虚感を解決するためには時間が足りない。休日が足りないのだと思う。最近まれに聞くようになった週休3日制、これを実現すべきではなかろうか。そのために、今日の選挙はよく考えずに投票したが、本当ならどこに入れたら良かったのか、今でも悩んでいるところである。それでは。

小学校の頃の音楽室のトラウマ

小学校の頃、音楽の授業で1人ずつ歌を歌うテストがあった。その時隣に座った女子に、歌うまくないねと囁かれたのが、信憑性に欠ける新撰組の刀傷のように心に残り、今でも特定の人以外とでカラオケに行くと、上着すら脱ぐことなく部屋の隅で足組んで、好きなだけ歌いなよ俺ここで聞いてるから、あいつがギターにいないと俺歌えねーんだわ、みたいなエセバンドマンを装うことも無きにしもあらず。


ドラマや漫画のように、その女子が初恋の人となり追って追われての恋愛ゲームに発展したならば、そんなこともありましたなぁと、加齢と健康の話題ばかりが際立ち灰色の空気に染まりがちな同窓会で、色づいた思い出話もできるのだろうが、そんなうまい話があるわけもなく、恋の端っこにもひっかからない、むしろ、所謂トラウマとなっている。


思い返せば私にとって音楽の授業はいい思い出がほとんどない。うちの小学校だけではないと思うのだが、音楽室と図書室だけ絨毯が敷かれていた。上履き脱いで授業を受ける事になるのだが、当然靴下を人目に晒すことになる。物心ついた頃から女子は男子よりも綺麗だとか汚いだとかには敏感で、私は男子の中でもその辺無頓着な部類だった。無頓着ではあったが、人から笑われていると感じる空気には敏感だった。


そんなある日、いつものように音楽の授業を受けていたのだが、女子数人の様子がおかしく、しかも私に視線が注がれているようだった。皆が静かにしているときも、プスプスと笑いが漏れかけているし、銃口突きつけられながらくすぐられているような、嫌な気分で授業を受けていたのだが、どうやらその原因は私の靴下のかかと部分がすり減ってガーゼの如くスケルトンになっていたことのようだ。


その時からである。靴下の破れやスケルトンに敏感になったのは。


サッカーをしているとどうしてもつま先部分が破れがちになるが、暇さえあればチェックしてどんな小さな破れでも即縫うようになったし、普段はく靴下はどれだけ新しくとも破れてしまえばゴミ箱にインである。


幼き日の思い出に振り回されながら、今はそんなこと、大して気にもされないと思うのだが、それでも悪い習慣ではないし20年以上もそうやって生きてきたから易々とやめれるわけもない。


それなのにどうして今日、靴下の親指部分に穴が空いていたのだろうか。神のいたずらか嫁の仕業か。見つけた時は我が目を疑い自己嫌悪に陥ったし、親指がメーデーメーデー、SOS SOSと頻りに訴えているようにすら見えた。


何てかわいそうな親指や、今すぐ何とかしてやりたい。してやりたいがここは会社、始業時間回ったばかりの会社である。昼まで待てばコンビニで買えるし、その時を待とう。親指と強い誓いを交わして、できるだけ席を立たぬようその時を待った。


で、その時を迎えはしたが、結局帰宅までそのままでした、昼休みにコンビニ行くと雨で親指が濡れそうだったので。それでは。

取り留めのない日常の一場面

話題の電子タバコを買おうと思いたち、ひと月ほど前にJTやら何やらのメーカー3社のホームページに会員登録をしてたのですが、欲しいやつが全部売り切れでなかなか買えず、まるで個人情報詐欺じゃないかと疑心暗鬼になりつつあった先週木曜にやっとで注文でき、しかも最短土曜に受け取れるとなっていたのでこれは嬉しいと、ウキウキワクワク配達の時間帯を午前中にして待っていたのだが、待てど暮らせど一向にピンポンが鳴らず、サイトで購入履歴を確認すると、土曜は土曜でも1週間後の土曜日でした。


手持ちのタバコの箱の中を確認すると残り2本がコロンとしていただけなので、今週の吸い分をもう一箱だけ月曜に購入したのですが、本数の調整を考えていた火曜にタバコのサンプルが届きました。あと1日早ければ、何とも間の悪いタイミングだと、一箱の460円に軽く天を仰ぎはしましたが、仕方がないので、サンプルを会社の同僚に差し上げました。この同僚、家では禁煙していることになっているらしく、会社はじめ外でしか吸っていないらしい。


齢50も近いこの人がタバコを吸わないフリをしている理由は一つで、健康を害するとか、子供に悪影響をとか、そんなことではなく、奥さんが倹約家なのでタバコにお金を使うことでネチネチと責められるようでして。先日もついにタバコがバレた際、小遣い減らす減らさんの一悶着があったようで、今タバコがバレるとお昼ご飯が危うくなる、だから普段吸っている銘柄ではないとも言えども本当に嬉しいと何度もお礼を言われました。


そこで悪知恵働いて、ならばこんなのはどうでしょう、禁煙はしていることにして、次もしも見つかっても逃げられるようSAMPLEというシールを貼っておくのは、と提案すると、グッドだと一言残して会社のテプラ(入力した文字がシールで出てくるやつ)で会長の白い目を尻目ににいそいそと作り始めました。


できたで、これで当分は安心やわ、そう言って大量のSAMPLEシールを見せてくれたのですが、SAMPLEではなくSANPLEになっていたのは敢えて黙っておくことにしたのですが、それがバレた時にはどんな言い訳をするのか見ものではあります。


いろんな理由で喫煙者の肩身は狭くなっていくと思ったし、だからといってそれがやめる理由にならない場合が多いのは、吸ってる理由も人それぞれだからだと思うのです。やめるやめないでモメるなら、まあ、やめた方がいいような気はするが、隠れて吸うのが楽しかったりおいしかったりするんですよね。それでは。

悪しが良しに、良しが悪しにあることもある

小学校でサッカー教室に通っていた頃、鬼軍曹がいた。私の人生で初めての鬼軍曹である。上背はそこまでないが、角刈りでガッシリとした体つき。前歯の一部分が金色で金のネックレスに金縁メガネと、金のアイテム三点セットがトレードマークである。


トレードマークの一つ、金縁メガネを外しながら汗を拭う仕草が、さあこれから怒鳴り散らしまっせのサインで、瞬間湯沸器大会があれば上位入賞が期待できるだろうし、ラモスやファーガソンにも負けるとも劣らない闘志むき出し激情タイプの鬼軍曹コーチであった。小学生相手への本気のタックルは今でも正しいのかどうかは首をひねるところで、このコーチが走った後には数人の子供達が転がっているのを見るのは珍しい光景ではなかった。


幼かった私には恐怖でしかなかったが、サッカーに対してとにかく一生懸命なだけだと知っていたので、嫌いというわけではなかった。来なけりゃいいのに、早く帰ってくれ、怪我しろやを繰り返し繰り返し心の中でずっと神に訴えてはいたが。サッカー教室へ向かう道すがら、友人の一人が恐怖のあまり道端のお地蔵さんに、小学生にしては大金の100円をお供えして、どうか今日は来ませんようにと手を合わせるほどである。


このコーチからしつこいくらいに言われてきた事が、脚を冷やすな、であった。特に試合会場への行き帰りにはとにかく敏感で、季節関係なく脚を覆い隠す長いジャージを履いてないと、所構わず唾が飛んでくるほど怒鳴られたものである。


殊の外思い出話が長くなったし、大きく道を逸れそうなのでここから本題に。当時は運動後は、多分、硬くなった筋肉をほぐすという意味合いで温めろと言われてきたし、それで良しとされていたが、最近の野球選手やサッカー選手の試合後を見ればわかるのだが、今は逆に冷やす方が良しとされている。真逆である。体にいいとされている事がほんとは良くない、なんてことはもしかすると今でもそこらじゅうに存在してるのではないだろうか。


中でも私が怪しいと今睨んでいるのが、大の大人が悲鳴をあげて両手を挙げる激痛でお馴染みの足裏マッサージである。体の悪い部分が足の裏で判断できるというのは百歩譲ってまだわかるということにして、しかし、足の裏を痛みに耐えながらグイグイやると体の悪い部分が治っていくというのは、果たしてどうだろうか。痛い部分を押せば押すほど体が良くなることがあるのだろうか。


迷信の類では? 足裏マッサージ好きの知り合いに足裏マッサージについて聞かされているときに、口から出かけて止めた。私はむしろ逆だと思っているのだが、それでも痛みに耐えて解放された先に健康や癒えが待っていると思えば、本当の効果はこの際関係ないのかも知れない。つらいことからの解放感に人は魅せられているだけのように思えてならないのだが。


ここ数日、夏の疲れが出てるのか、眠くて眠くてご飯を食べるのすらもつらいので、このつらさから解放されるため、本日は早めにふかふかのお布団で眠ろうと思います。それでは。

星条旗柄な真夜中

夜が更ければ更けるほど、朝の4時が近づけば近づくほど、マックの揚げたてのポテトが食べたくなったり、分厚く熱い油がスープを覆う脂っこいラーメンが食べたくなったりすることは、多くの人には馴染みの深い経験だと思う。逆に朝起きてこれから1日が始まるという時には、こってりしたものは1ミリたりとも体が寄せ付けず、水かコーヒーで食パン1枚流し込むので精一杯。


夜中や寝る前の食事は健康上良くないとされている。されているにも関わらず、一体どういうメカニズムで体がそれを求めるのだろうか。


グーグーなるほどお腹が空いているわけではないし、まぶたも下がり気味、今必要なのはエネルギーの補給よりも休息であることは体が一番わかっているはずなのに、一体いかがなされたと言うのだろう。食べても食べても太らない年齢はとうに過ぎたし、どれだけ余分なエネルギーを体内に貯蓄したいというのか。


話は変わるが、想いを伝える手段として有効なのがメールよりも直筆の手紙であるが、夜に書くラブレター、これには大きなリスクが伴う。街はすっかり寝静まっているのにあの子のことで頭も胸もいっぱいで眠れぬ夜。届けこの想いと、マンゴープリンのようにトロトロとトロける甘みと少しだけ酸っぱい、まるでポエムのような内容だと自画自賛した一文一文が、朝起きて読み返すと、甘みを探すのが困難を極めるほど渋みと苦味ばかりの名前も分からぬ木の実のような怪文書で、自己陶酔した勢いでポストに入れなくて良かった、本当に良かったと冷や汗と手の震えが止まらないこともある。


人を狂わせるのは夜なのか恋なのかそれともこの季節のせいなのかは分からないが、不要なものを体内に取り込もうとしたり、自分の感性すらを見失わせる摩訶不思議な時間帯が存在するのは確か。そうでなければ星条旗柄のボクサーブリーフなんて買うわけがないですもの。皆様は夜の魅惑にご注意を。それでは。