立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

コラム-休みの日はこんなもん

いつもより30分ほど遅く、目覚まし時計をかけずに目を覚まし、二度寝をせずにトイレ、歯磨き、洗顔を軽く済ませた後、寝間着のままアウターを羽織って近くのパン屋に2〜3袋だけ売っている前日残りを寄せ集めた超格安のパンを買いに行き、安くてうまいコーヒー豆を挽いてコーヒーを入れ、朝食を済ませる。その後は朝のアニメやバラエティを見ながらネットサーフィン。
朝はこう。


昼食と言えば麺類である。パスタやうどんや焼きそばあたりを、家にある食材を具材として、簡単に済ませられればそれでいいのだが、しいて我儘を言わせていただけるなら冷凍うどんで作るぶっかけうどんが望ましい。冷凍うどんの特有のコシはぶっかけうどんのものだから。昼食後は3時過ぎまでは主にネットサーフィン、録画しておいたドラマの消化、読書、お昼寝で時間を過ごす。喉が渇いた頃にコーヒーか紅茶を入れて口をすすぐ様に潤し、日が傾き始めた頃に晩御飯へ意識を傾ける。
昼はこう。


スーパーへ買い物に行き、翌日以降の食材もある程度買いだめしてから、ご飯を炊く。気分的に高まっていればシメジとお揚げと鶏肉で炊き込みご飯を炊くところなのだが、大抵は明日からの日々が頭をチラつき始め、無洗米で白いご飯を炊くので力尽き、お腹いっぱいご飯を食べて風呂入って、ネットサーフィンしながらテレビを見て眠る。
夜はこうである。


理想は含むが、だいたいの日曜はこんなものだし、だからと言ってどうかしたいわけじゃないが、できることなら食事以外のことにも楽しみを見出したいと思った三十半ばのインスタ映えを意識したツイートである。

コラム-イライラとカルシウムは関係ないって


今朝起きてから体が怠くて怠くて仕方ないのだが、最近流行りのあれか、インフルエンザか、高熱にはならないインフルエンザB型じゃなかろうか、はたまた風邪か、万病の元と言われるそれなのかと、1人朝からてんやわんやで休む理由を探してみたが、ご飯を食べて出すもの出すとスッキリしたので、仮病を使うほどでもないかと肩を落とし、嫌々ながらに職場へ向かった。


ただ、体が不調だと心も不調。イライラが2割り増しで、こういう時には限っていつも起こらない嫌なことが起こるものである。あまり溜め込むのも毒なので、人畜無害の当ブログで吐き出させていただこう。


まず、朝会社でうんこした奴だれだコラ、すればいい、出せるだけ出せ。ただ寒いからって換気扇切ってうんこするな。せめて終わったら換気扇つけとけ。臭いが凄いことになってんぞ。嗅覚だけじゃなく視覚と味覚がヤられる臭さだぞ。勘弁してくれ。


次、100均でわざわざ買ってきた私専用のマグカップを使って洗わずに洗面台に放ったらかして帰った奴は今後、ラーメンもしくはカレーを食べる時に限り、毎回大きめの口内炎を発症すればいいし、気持ちの良い天気の時には発熱し、低いブロック塀に気付かずにつまずいて犬のフンに手を付けばいいのだ。


最後に、牛乳飲んでカルシウムとればイライラが収まるって言った奴。大罪だぞ。カルシウムとイライラとは関係ないらしいじゃないか。何のためのホットミルクか。自分を諌めるため飲みたくもない牛乳買って、わざわざ温めた、今まさに目の前にあるそれは何のためか。ならコーヒー飲みたかったし、なんだかさらにイライラが募りそうなので、本日はここまで。それでは。

コラム-日々の成長に困っている

気づけば髪が伸びヒゲが伸び爪が伸び、年老いてもなお、日々の成長を感じられるものである。


1年以上前にこしらえ、ろくに座らないまま食器棚と化した、窓に面して配置してあるリビングのカウンターテーブルの上を、たまには片付け、夕食を作る合間に腰掛けて見れば、思ったよりも夕日が綺麗に見えたので、薄めにコーヒーを淹れて読書をしてみた。


当たり前に過ぎ行く時間も、ただの1秒も無駄ではない、この世に無駄なものは何一つとしてないと、まるで空海か釈迦かキリストか、何かを悟ったどこぞの偉人なる風情を醸し出してみたものの、詰まる所鼻毛が出ていては全てにおいて説得力を失うというもの。


出ていたら笑われ間抜けと言われかねない、鼻毛にも役割はある。空気中のチリやホコリを体内に取り込む前にシャットアウトし、虫の進入も防いでくれる鼻毛は健康を保つため一役も二役も担っていることを私は知っている。誰にも注目されないのは、切っても痛みを伴わないから簡単に切り離せるからだろうか。無ければ無いで気にも留められないのは悲しい運命を背負ってしまったからなのか。


決して存在自体が無駄なことはない。ないのではあるが、必要以上に伸び過ぎることがある。上を向いた時に覗き込まれない限り見えないくらいの所で丁度よく成長が止まってくれればいいのに、野茂英雄のストレートの如く手に負えない程の伸び、どれだけ当たられてもピクリともしない、ヤンカーの如く強くて太い存在感を示してそこにいることがある。


そんなに伸びなくても大丈夫という宿主の願いに近しい助言を無視し伸び続けるこいつらを皆さんはどう処理しているのか。私の場合、奥さんの眉毛を整える時に使う小指ほどの長さの小さなハサミを内緒で拝借し、何度も鏡で確認しながら出来るだけ短く切るのだが、根本的な解決には至らない事は明らか。だからと言って力任せに抜くのは、ただ痛い。涙とくしゃみとその後数分間は違和感を共にしなければならないし、一本ならまだしも、周辺の数本の処理を考えれば、あまりにリスクが大きい。鼻毛カッターとの意見も確かにあるが、私だけかも知れないが、あれはあれで何故かほぼ100%で大物を取り逃がす。


やはりこまめにハサミで整えるのが無難な線なのだろうが、鼻毛処理の方法に悩むこの時間こそ本当に無駄な気がしてならない。

コラム-諦めないことより何を諦めるかの方が大事

世間の主婦の方は特にお困りでしょうし、健康志向の方にとっても辛い冬だと思います。野菜の高騰でサラダだ野菜炒めだお鍋だと気軽にヘルシーな晩御飯を求める事も許されない気はしているのですが、いつも行くスーパーに見慣れないのぼりが立っていました。


全品10%オフ


閉店セールかリニューアルか、それとも年に一度の誕生祭か、滅多なことではなかなかお目にかかれないその単語に心踊らない者はただの金持ちだけでしょう。目に付いた物を手当たり次第という程ではないにしろ、それでも買ったら買っただけ普段よりはお得という事もあり、お米に醤油に冷凍食品にと保存の効く食品中心に買い揃えたはいいのですが、案の定帰りは両手にパンパンの買い物袋です。


指が先か袋が先か、指先が青くなり感覚が薄れるにつれ、どれかを諦めなければ家に辿り着けないのではないだろうかと弱気になりつつあった時、これまた両手に買い物袋の嫁が私に囁くように言いました。


…出てるよ。


あまりに小声なので聞き取れず、とりあえずはイエス、アイドゥーとだけ返し、それよりも指を諦めずに自宅まで食材を届ける方法を考えていたのですが、また数メートル歩いたところで再び、今度はハッキリとした声で


鼻毛出てるよ。


と。両手が塞がっていては少し奥に押し込んだりの応急処置もできないし、だからと言って小雨も降り始めたので、わざわざ歩みを止めるのもバカらしい。どうしようもないこんな時に限って前方からおしゃれな女子の集団が歩いたりするし、結局まず諦めねばならんのはモテでした。

コラム-流行りファッションに身を包む若者を見た

鍋のシメがうどんかおじやかラーメンか、楽しみ方は十人十色であるように三連休の楽しみ方も人それぞれだと思う。小学一年生のランドセルの中身と同様、三連休には夢や希望や勇気が詰まっている。家でDVD、漫画喫茶で漫画三昧、資格の勉強、洗濯機の横の隙間の取れないところに落ちていたお気にのパンツの救済など、どのように時間を使おうがおおいに結構なのだが、休日の過ごし方として他とは一線を画し圧倒的上位に常にランクインするのが「デート」である。それも恋が実る前の初々しいデートほど甘くたまにはしょっぱいとろける時間、すなわちハッピーターンは他にはなかなかない。


連休真ん中の日曜日、ヨドバシカメラで用を済ませて、20分ほどかけて歩いて帰ったわけだが、私たちの数メートル先を二組のカップルが縦になって歩いていた。帰り道の方向が京都水族館と同じ方向だからそんなこともあるのだが、この二組のカップルを後ろから眺めているだけで、まだまだ咲かない桜が咲いて空気が桜色に色づいたように感じる初々しさがあった。手をつなぐなんてまだまだ先かそれともすぐそこか、付かず離れずのいい距離感がそれぞれの男女間の狭まりきっていない、互いの心の距離を見ているようだった。


ファッションには流行りがある。もしもデートすることになったなら、あるがままの自分を見せるとジャージにTシャツでデートに挑む猛者の話は一旦置いておくとして、可能な限りは小綺麗な格好をしたいもの。常日頃から頭の先から足のつま先までオシャレを意識しているならここでのつまずきはないだろうが、多くの人はここでつまずくのも事実。そうなると頼るものは雑誌かネットの情報である。


私は普段雑誌もネットの情報も見ないし、ファッションには疎い。だが、今年のコーディネートの流行りは、男子はブラウンのコートに濃い色のパンツで清潔感のある短髪、女子はグレーのコートに同じく濃い色のパンツでボブでフワッとであることくらい知っている。我々の前数メートルを歩く2組のカップルが全く同じ格好をしていたんだからまず間違いはない。


初めは友達同士のダブルデートかと思ったが、違う方向に歩いて行ったのでそうでもないようだし、なかなか全身あそこまでは合うことはない。さらに、我が家の前で出会った別のカップルもグレーとブラウン、短髪とボブという格好をしていたとなっては疑う余地無し。


心のどこかで流行りモノが正解の風潮にすぐに飲まれる若者の甘さに鼻で笑いかけたが、人のふり見て我がふり直せという諺がある通り、私達夫婦もほとんど同じようなコーディネートをしていました。どこからか春の足音が聞こえる気がした連休2日目の朝でした。それでは。

コラム-イメージの持つハンデ

昨日はここ数日間の暇な就業時間が嘘だったかのような、デスクの上に積まれに積まれた仕事の消化でてんやわんやだった。終わりの見えぬ量に時間との戦い、気を抜けば残業の文字がチラついてくる状況故、忙しいから話しかけんなよオーラを実際の2割り増しで出していたはずなのに、相手の都合を見ることなく仕事を振ってくる人は少なからずどの会社にもいるもので、昨日もそうだった。


そういう人からの仕事は得てして期日がずっと先だったり、今やる必要性がなかったり、なぜにこのタイミングでと理解に苦しむものである。その悩む時間すら勿体無いので、基本は知らぬ人からの間違い電話の如く愛想悪く小声で返事しての放置だが、昨日はあいよっと、若い寿司屋の職人のような小気味の良い返事をして笑顔で受け取った。


それもこれも、昨日の段階で明日(本日)は金曜で、すなわちあと1日がんばれば三連休だというモチベーションがあったから。悪いのは私以外に無い、濁りのない透き通るほど混じりっけなしのただの勘違いではあるが3時過ぎ、それに気づくやいなや肩から腰にかけてズンと重みが増したのは気のせいではないはずだ。せめてもの救いとして、普段は見せぬ集中力を使ったおかげで、5時までに全ての作業を終えられたから良しとしたいのだがやはり精神的なダメージは大きく、本日までそれを引きずっていた。


よって本日は不調であるし、気持ちが乗ってこない。忙しかった昨日とは打って変わって暇ということもあるが、本調子までは程遠い。


もしも、カーネルサンダースに似たじいさんがスーパーで鶏肉をあさっていたら、美味いフライドチキンを揚げるんだろうなと想像するが、揚げ物はてんで苦手だと聞いたらあれと思うし、色黒スキンヘッドでゴリゴリのマッチョの職業が豆腐屋だと聞くと意外に思う。金髪の全身タトゥーで10歩歩くたびに唾を吐くタイプの不良と呼ばれる人が捨てられた子猫にミルクをあげたり、巣から落ちた雛を木に登って帰してあげたりしていると、女子はたまらずにステキな人と口走ってしまう。


見た目は大切である。見た目はそのままイメージとなり、頭の中でイメージのまま人格が形成されることは少なくない。木曜は見た目が木の時点でかなり弱い。金曜は金だ。ゴージャスなのだ。木曜のイメージがこんなだから、週の半ばは辛いイメージが残るのではないだろうか。


会社でもきっとそう。仕事ができそうなイメージよりかはできなさそうなイメージの方が日々与えられる業務量とそれをこなした時の評価に差が生まれそうな気がするのだ。


本調子まではまだまだのようなので、今夜は少し無理をして飲みかけのウイスキーを空にしてからグッスリ眠ろうと思います。それでは。

コラム-冬の寒波と不運なコーヒー豆

始業時間までのリラックスタイムで、高級そうな箱に入った、焦げた強い香りばかりが、香りだけに鼻に付く不味いインスタントのコーヒーでも、無いよりは幾分かマシなので、少し多めのお湯を注いでデスクに運ぼうとした時に手が滑って全てを床にぶちまけた。お湯を注ぐ前に手がすべっていたなら、あるいは高そうだからこれにしたという身も蓋も感謝の気持ちもない理由で選んだ不味いコーヒーをやめて、安定の安いお茶にしていたなら、瞬時に浮かぶ後悔と苛立ちのやり場はなく、古傷で傷む膝を庇うフリして、本当は破れそうなパンパンのズボンが裂けぬよう気にしながら、雑巾で丁寧に床を拭いた。


覆水盆に返らずという諺は今このタイミングで使うのが正しいか正しくないかは各々の判断に任せるものとして、このインスタントコーヒーの入れ物は、前述した通り高級そうなので、不味いもう一杯、とかつて世間を席巻したあの名台詞で気軽に手を出せる雰囲気にはなく、仕方なくお湯だけで我慢する羽目になったのは、紛れもない、冬の寒波の影響である。


私にこぼされ床に飲ます事となったコーヒーは、コーヒー豆達は何のために生まれてきたのか。雑巾に吸わせるためではなく、床を綺麗にするためでもなく、消臭のためでも人に飲まれるためでもない。きっと意味があって生まれてきたのに、私の手元の狂いから、雑巾の臭い汁と共に下水に流される運命となってしまっては、悔やんでも悔やみきれないだろうけど、悪いがそれはコーヒーだけに水で流してもらうとして、全部悪いのは冬の寒波の影響のせいである。


度重なる冬の寒波で思い出したが、今年はまだまともに寒ブリを食べられていない。寒さに身が引き締まり脂肪を蓄えたブリの味は、まさに絶品、酒が進むしご飯も進む。冬に脂が乗って美味くなるとされる魚の中でもトップクラスだろう。


しかしである。前々から思っていたのだが、頭にゴキを付けると途端に忌み嫌われる昆虫となるのはいかがなものか。ブリは出世魚として縁起物でもある。イナダやハマチにゴキをつけたところで、鼻くそをピンと飛ばして知らぬ顔だが、大将となったブリの頭にゴキを付けた瞬間、丸めた新聞紙や雑誌でパチーンといきたくなるのはやはりあの虫が苦手だからに他ならない。


大好きなものと苦手なものが、あたかも同類ととられかねない名前なのもきっと冬の寒波の影響なのだろうが、あんまりじゃないかと語気を強めて訴えたい。ゴキブリだけに。