立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-やっぱりね

やっぱり…か。


昨晩から怪しいとは思っていた。私の周りでゆるい、ぬるい、よく外れると評判のお天気アプリによると、ちょうど出勤時間あたりを境に降水確率が30パーから70パーに上がっていた。また外れるでしょ、どうせ、と思うも、経験上、急激なパーセンテージの上昇はパーセンテージ以上の確率で雨が降る。晴れたら自転車、雨なら電車。明日朝起きて空模様をみてから対応を考えようと布団に入った。


翌日いつもの時間に起きてご飯の支度してテレビを点けて、すりガラスの扉窓の方に目をやると爽やかな日差しがベランダを照らしている。「なるほどね」と呟き、お天気アプリを確認したなら昨晩と同じく1時間後は雨予報のままだ。


ここ1ヶ月ほど、仕事が休みの度に雨が降り、雨男の名を欲しいままにしてきた。いや、私に天気を変える力など1ミリもない。雨の降る日にタイミングよく出かけてきただけなのだ。ならば、いつも通りではなく、早めに出かけてみよう。夜の1時間と同価値と言われる朝の10分を頑張って巻いて、少し早くに家を出ることができた。結論から言うと雨に降られることはなかった。だけど自転車を駐輪場に置いて会社まで歩いていると、民家の屋根からラップに包まれたおむすびが一つ降ってきた。

雑談-ピエールが好きだった

例えば今からビーガンとか言う、とことん突き詰めたベジタリアンになったからってエンピツのようなスリムボディを手に入れられるかなんて分からない。草食なのにあの体形を維持するカバやサイやゾウを見ればよく分かる。可能性はゼロでないにしろ、パンダ体形に向かってまっすぐ進んでいる、骨太な私が今から痩せようとしたとて、せいぜい太マッキーがいいところだ。


朝から悲しいニュースが飛び込んできた。大好きなピエールが薬で捕まった。初めてピエールを知ったのは多分私が中学1〜2年の頃。シャングリラを聴いて一発で好きになった。それからよくテレビで顔を見るようになって長いピエールは、私にとっては変な人。底知れない不気味さのような魅力があって、憧れも少しあり、見習いたい部分も多いけれど変な人。好きなランキングでかなり上位だったけど、変な薬で捕まるようではそれも台無し。正直「あーあ」である。


おそらく、こと薬に関しては、それが原因で人を傷つけたりとかはなかったんだろうと勝手に予想している。役者とか音楽とか全てのパフォーマンスで人を楽しませるために、さらなる高みを目指した結果、芸のてっぺんを目指した結果、そこにあったのが薬だったと、せめてそんなシナリオであって欲しい。


昼休みに開いたライブドアのニュースランキングの上位全てがピエールの記事で、すべてがピエールの画像だったのを見た時は少し笑った。音楽はほとんど卓球が作っているのだろうけど、ステージ上を縦横無尽にかけるパフォーマンスを見られる日ももしかしたらもうないのかも知れないと考えると、寂しい限りだ。


ケンコバと並び、骨太タイプのトップチームだっただけに残念でならない。
 

雑記-勤務時間

最近、よく取り上げられるコンビニの24時間営業のニュース見て思ったんですけど、労働基準法でそれ以上は働いちゃいけないって決められた時間があるじゃないですか。法定労働時間ってやつですか。それ超えると残業になって、残業は1ヶ月で何時間以上はだめだとかあったと思うんですけど、会社は、どうしてその法定労働時間のマックスで従業員の労働条件を決めちゃうんですかね。


勤労の義務はあるとはいえ、1日の最低労働時間って多分決められてないかと思うんですよ。一族経営の中小に特に多いと睨んでるんですけど、出来る限り従業員を使い倒すってのが普通になっているのが、実は利益面でよろしくない結果を導いている気がしてならないんですけど、違いますかね。うちの会社は週6日だけど、1日の勤務時間は5時間です、とかあってもおもしろいと思うんですけど、そんな簡単なものじゃないんですよね、きっと。


例えば休憩外の勤務時間が7.5時間あったとして、始まりから終わりまで全力疾走している事務員なんていないと思うんですわ。仕事と仕事の合間とか、集中力の問題とかでふっと抜けちゃう瞬間は必ずあるわけで、それに圧縮できる仕事も少なからずあるはずだし、雑談に花を咲かせることもあるでしょう。それらを考えたら、多分5時間とか6時間勤務で間に合うはずなんですよ。勤務時間6時間、8時間まで残業無し、みたいな勤務形態チャレンジしてみましょうよ。無理なんでしょうね、無理なんでしょうよ。多分すでにやってるところもあるんでしょうけどね。私が経営者になったらやってやるよ、でもまあ、それが一番不可能に近い話でしょうけど。

 

雑記-寝起きの現実

ねえ、ちょっと。


肩を揺り動かされて気がつき、空気清浄機のぼんやりとした明かりの中、横の嫁を見ると半身だけ体を起こしてスマホの画面を覗いていた。深夜未明に私を起こすなんて今までで一度もない。誰もいないはずのリビングで物音でもしたか、それともメールで悪い知らせでも受けたか、どちらにせよ良い状況ではなさそうだ。


平和だが物騒な世の中である。我が家は賃貸マンションの一階。バルコニーと外部との境界に塀はあるとは言え、乗り越えられない高さではない。可能性がゼロでないのは重々承知だが、心の準備をするほど危険なわけでもないと思うのだが。もしも、もしも侵入者があるなら、まず嫁子どもの安全を確保するのが優先だ。そのためにも、必然的に私が盾となり、その侵入者と闘わねばならんのだが、コンディションが悪すぎる。寝起き、というのは一番の理由だが、近頃左手人差し指が痛風を予感される痛みに侵されている。まあ、右利きだから良いか、などと悠長なことでも言っていられない。とにかく武器となりそうなものを手元に手繰り寄せたいところだが、あいにく手を広げた範囲には息子のオムツくらいしか見当たらず。


しかし、幾ばくかの案を巡らす間に外からの物音は聴こえてこない。怖がりな嫁が妙に落ち着き払っているところをみると、どうやら侵入者ではないようだ。だとしたら、緊急の連絡を受けたか。身内の誰かに急を要することでもあったのかもしれない。花粉のせいで赤く腫れ上がっていると思われる喉から、おはようではない第一声を発した。


どうしたん。


嫁はそのままスマホを見ながら、寝坊だよ、とだけ伝えてくれた。

雑記-病は気から

怒りやイライラを抑える特効薬が、ああはなりたくない、ああはならない、と強く思うことだと気づいたあの日から、清々しい気分の時間帯が前よりは増えたのはいいのですが、体が随分と重いのです。


病は気からということわざをもじって気は病からともよく言われるのに、気に体調がついてきていないけど、と小首傾げていたなら、今度は体全体が熱っぽくなってきました。そうかそうか、寒さのピークは2週間前に超え、そろそろ春支度でもと思ってしまったのが間違いでしたか。病は気からと言っているのに、私ときたらすっかり気が緩んでしまったようです。そりゃ風邪のひとつもひきますわな、うんうんと納得して風邪の菌を追い出そうと夜はよく食べよく寝て、朝はよく食べ昼もよく食べをしているのに一向に良くならず、はて…と別の病を心配していたら、今度は鼻水からくしゃみが頻発し、目頭に痒みが溜まるようになってきました。


これは風邪ではなく、そう、花粉症です。今年も鬱陶しい季節になりました。…って早くないか。今年はやけに早くないか。いつも3月半ばくらいから目鼻が緩み出し、ゴールデンウィークの連休あたりの約1ヶ月薬に頼っていたはずなのに、このペースじゃ3月1日からドラッグストアに行ったり来たりか。小遣い制が導入されたとは言え、薬を買う金くらいならあります。だけど約2週間で2000円くらい。月4000円か。それだけあれば…と顎に手をやり、焼き鳥とかハンバーガーとかたらふく食べられるとか想像するほど、手痛い金額なのは間違いありません。それが例年よりも、まるごともう1ヶ月増えるか。


ティッシュ片手にギリギリまで我慢するか、それとも目をつぶってドラッグに手を出すか、我慢か薬か…そういや再来週は飲み会か。じゃあやっぱり我慢するか。病は気からって言うし、うん。

雑記-最近の天気、ほんとドンマイ

もしも、雨が嫌いな大人が、雨を知らない子に、雨のことを説明するとしよう。雨は冷たい、濡れる、滑る、汚れるし危険もいっぱいだ…その子は雨は最悪なんだと思い込む。雨が降れば屋根のあるところへ走り逃げ、極力近づかないようになる。分別ある大人と言えども、嫌いなものを紹介するときに、良いところを説明する人は少ない。そうなると、雨の良いところを身をもって知る機会がなくなり、雨=雨が嫌いな大人の主観的意見 のまま定着する。大人になった時、その子は自分の子どもにどのように雨を説明するのか。


逆に雨を好きな大人だったなら、雨の良さを十分に説明したうえで、その危険も伝えようとする。そうしたなら、その子は身をもって雨の良し悪しを体験する可能性が高くなる。


偏見的ではあるが、どちらが良いのかと言われたら間違いなく後者である。現代日本の政治的報道の殆どが、前者なのではなかろうか。ジャーナリズム精神に則った情報よりも、臭いものには蓋をしたがるある種の潔癖主義的情報が溢れて、むしろそちらの意見の方が人に受容され共有されるのは、一体どうしてだろうか。


…たまに私の中のジャーナリズム精神ががワラワラと活発化し、真面目語りをしようかとは思ったところで寝落ちして、しかも朝から降らないとテレビで言ってた雨に降られて…ほんとドンマイ。
 

雑記-拾えないお金

職業柄、土地を巡る小競り合いをよく耳にします。ここまでは私のだ、いやここからはうちのだ、と家と家の間、数センチの隙間を巡ってあーだこーだと、他人同士のみならず親族同士ですら揉めるということもあるみたいですが、私としては所詮他人事。鼻毛がバッサと出てないかの方が重要なわけですが、数センチの隙間をどうにかする前に、互いの心にざっくりと空いた隙間を埋める方が大切なのではないかと口にせずに心の中でうまいこと言っているわけです。


私の出身は石川県。金沢の中心地はぎっちりと建物が詰まってはいますが、少し離れたらのどかな田園風景が広がります。石川県はどちらかといえば「いなか」と言われる地域でしょう。たぶん土地の価格も普通に働く人にとっては、目が飛び出るような値段ではないのではないかと思っているのですが、あっているのでしょうか、それとも違っているのでしょうか、よくわかりませんが、どうでもいいんです。


最近たまに、ここ京都は初めて来た場所なんだと思い込んで、朝家を出ることがあります。するとどうでしょう。目に映るすべてのものが新しく、新鮮で刺激的な気持ちに…なれはしないのですが、ほんのわずかな気分転換にはなります。


その気分転換をしている時に、ふんわりと地元の風景が思い浮かぶことがありまして、原風景と言うんでしょうか。私の深層心理に刻まれて忘れられない景色を思い出し、京の街をいつも通り進んで行くと、いなかと都会のギャップに朝からやられそうになりながらも少し切なく寂しく思い、なんとなく一息つこうと缶コーヒーとかをそこらの自販機で買うわけです。


で、財布からお金を出す時に気づくんですが、自販機の下の溝の蓋が、銀の金網のやつなんですよね。お金を投入しそこねて、落としたらもう拾わないですよ。わざわざあのクソ重い金網持ち上げてまで拾いません。たぶん土地もぎゅうぎゅうだし、自販機を配置する土地の構造上、やむ終えずそうなったんだろうなあと、溝を覗き込んだら、鈍く光りを放つ50円玉がそこにいました。もしかしたらそこで50円の価値なく生涯を終えるかもしれない50円。ごめんね、拾えない、と心で呟いてその場を後にし、帰りにまたコーヒー買おうとそこに立ち寄って50円玉を確認したら、オロナミンCの蓋でした。