立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

ドラマで面白いやつ

小中高で結末まできちんと見届けたドラマはせいぜい3本、ないし4本か。受験が終わった大学時代に持て余す時間をせっせと消費するかの如く気になるドラマはチェックするようにはなった。


それでも年4本がいいところで、社会人となり夜の時間、ネットサーフィンのお供にテレビではとりあえずドラマを流しておくのが習慣になっているし、当時の彼女で今の奥様が噂には聞いたことがあるハイテクノロジーの代名詞レコーダーとやらを使っているのを知るや否や、この人を嫁にもらおうと決意したし、ありとあらゆる番組を、特にドラマをとりあえずはキープしておけるやつじゃないかと、武者震いしたのを覚えている。


時が流れ今ではすっかりドラマ通である。ドラマ通と言っても昨今のドラマは〜、あの役者の使い道がね〜、などと唇曲げて小首傾げて評論する気は全くないし、ツウと言ってもどちらかと言えば痛の方かも知れないが、何でもいい、今回は少しだけ胸の内のモヤモヤを晴らしたい。


ドラマと言っても今じゃ星の数ほど世に放たれているが、ハッピーエンドかバッドエンドか、楽しいやつか悲しいやつか、ドロドロかカラッとか、などなど知らず知らずのうちに多数のジャンルにカテゴライズしていき、最終的に大きく分けられ5パターンくらいに絞られているわけである。


パターンが決まっていると言えばそうなのかも知れないが、何も悪いことではない。分かりやすく言うとカレーと同じである。


ココイチやゴーゴーのように、同じカレーを作っていても味が違えば香りも出来上がりの見た目も違う。パターンが決まれば本質も似てくるものだが、全く異なる存在なのである。


ドラマとカレーは全く一緒、ドラマティックなカレー、もしくは華麗なドラマが最強だと言うことがわかってもらえた所で本題である。


今シーズンのドラマで1番はハローハリネズミで間違いは無いはずなのだが、ヤフーやライブドアで取り上げられる話題はヘリか過保護ばかりだったと記憶している。どちらも素敵なドラマであることは間違いないのだが、それでもナンバーワンは揺るぎない。


どこが? とか、何で? とか、聞かれても表現しづらく、粋とかわびさびとかそのレベルなのである。まあ、簡単に雰囲気が好きってことで大丈夫です。本当ならあの部分が良かったとか、心に沁みたあの部分のこととか話したいのだが、わかってもらえる人とだけ、ウイスキーでも飲みながら語り合いたいと思うのです。それでは。

下りるも地獄上るも地獄

どちらかと言えば心地良いよ、とでも言ってしまえば聞こえはいいのだろうが、どう考えても割には合っていない。何かを得るため、代わりに何かを失うのは不思議なことではないし、逆に何かを失う時に何かを得られることがあっても、きっとおかしくはない。


1月からカウントして早9ヶ月が経ち、目の前には10ヶ月目が待ち構えていることから察するに、どうやら約10ヶ月越しで今年立てた目標の一つをスタートさせることに成功したようである。


昨日朝早く、浮き輪の如くみるみる膨らんで行く私の腹回りとの関係に終止符を打たんとするため、ついにジョギングを開始した。


始める前に、久しぶりの運動で気をつけたいのがアキレス腱である。きっと古いゴムの如く柔軟性は若さと共に失われ怪我のリスクはマックスだけに気をつけたいところ。アキレス腱をはじめとする脚部を中心に入念なストレッチをして、ジョギング開始である。


走り出して5分も経てば切れる息と吹き出す汗、脚に溜まる乳酸に、ああこれこれ、こんなんだったわと懐かしさと爽快感を堪能していた。

 

時間にして30分程の帰宅ではあるが、全身に漂う心地良い体の疲れが何よりのご褒美である。ただの水道水がたまらなく美味しく、安物のクッションが行ったことのないリゾートホテルを感じさせてくれる。わかりやすくリスクに見合ったリターンを得られるのがジョギングである。


それが昨日で、問題は今日。昨日がバカンスなら今日は寝袋を忘れたキャンプである。来るとは思っていた遅れてやってくるリスク、すなわち筋肉痛が予想以上にハードで、階段を上るも地獄下りるも地獄。

 

寝室便所風呂が下の階、キッチンリビングが上の階のこの家では、昨日のバカンス気分はどこへやら、学生時代に嫌いだった先生に手紙の一つも書けば少しは痛みから離れられるのではとすら思う。


「大人な近況報告」をテーマに拝啓から始まるその文章の中で、冗談だと笑って受けとめてもらえる程度のスパイスを加えて、当時の高校生活のエッセンスを皮肉たっぷりにしたため、今の弱った状態の報告も忘れずに、最後はやっぱり敬具でしめて、押し花の一つでも添えて送りたい。


あまり親しくもない元生徒から突然手紙が来たらどう思うだろうか。宗教かネズミ講か、はたまた犯罪の予告だろうか、などと不安になるに違いはないが、弱音を吐露した元生徒を少しは哀れんでくれるだろうか。


いろんなリスクを孕むのだろうがリターンにはぜひ優しく包むように、できれば女子に抱きしめて欲しいとそう思うほどひどい筋肉痛である。皆様はクールダウンも忘れずに。それでは。

 

非科学的なこととロマン

一応理系の出身だからというのはあるが、科学的に証明できないものは信用してない。ロマンという意味で可能性を0にはして欲しくない(したくない)という思いも確かにある。確かにあるが、証明できない都市伝説的なものの中でドッペルゲンガーは信じていなかった。芥川龍之介は好きだが、ドッペルゲンガーのせいで早くに死んだ説とか興味深くはあるけれど、人に話せる内容ではないと思っていた。


仕事で先々月くらいに他部所の人から、時間がある時でいいからやってよ、お願いと言われていた時間と手間のかかる超がつくほど面倒な仕事があった。長い間後回し後回しにしつつ、正直やる気のやの字も起きないが、だけどやってしまわないといかんなと頭の中でふわふわと浮かんでは消え浮かんでは消えしていた案件で、面倒だから年内に、できることならなかなかやろうとしない私に見かねて自分たちでやってくれたら…そう思っていた。


先週末にその人に呼ばれて、ああ、あの仕事のことだろうなあと、何て言って先延ばししようかと言い訳を探していた。うまい言い訳が思いつかないまま、要件を聞くと予想外れてそのことではなく全くの別件だったので、逆に申し訳なくなりあの件ですがとこちらから切り出したのである。その時にその人の表情が曇るのを見逃さなかったし、えも言えぬ珍妙な空気になった。


何か? と尋ねるとその仕事この前やってくれましたよね、ほらっと見せてくれた。


全く記憶にないのである。嫌な仕事であればあるほど、記憶には残るものである。いくら最近自分の記憶力が非常に頼りないと言っても、しかしここまで記憶がないなんてことはあるのだろうか。誰か他の人がやったとしか、、だがその人曰く、お願いした時に私がここでささっと終わらした、らしい。記憶にないんだけどなあと思いつつふと一つの仮説が頭の中に浮かんだのだが、痛いやつと思われるより、謙虚なやつだと思われた方がラッキーではあるし、言葉には出さずその場を後にした。その言葉とはそう、ドッペルゲンガーである。それしか可能性はないと思うのだが、もはや答えが出るわけがないので、ロマンという言葉を便利に使わせてもらって真実を宙ぶらりんにしておくことにした。


さて、すっかり夜になり明日の仕事に備えて眠りたいところですが、自転車で京都駅まで行って駐輪場に停め、買い物を終えて電車で帰ってくるというミステイクをしてしまったので、これから再び京都駅行ってきたいと思いますので、本日はこれにて失礼いたします。それでは。

 

引退宣言する人の想いを

ようやっと見つかったトイレが長蛇の列で、痛みにも近い尿意を体くねらせ我慢する夢から目が覚めたのは、目覚ましを設定した時間にはまだ早く、布団の中でもう少しだけ微睡みを堪能する時間的な余裕はあるが、限界を迎えた尿意に対する体の余裕はない。


足早にトイレに駆け込み便座に腰掛ける。小をするのに腰掛けるのも自然とできるようになったのはいいとして、出せども出せども終わらぬ用事に、夏が過ぎ去りすでに夜は秋のものとなっていることをしみじみと感じた。


すっかり目が覚めたため、どうしようもなくレッドブルをちびちび飲み、見るでもなく朝のニュースをとりあえずはぼんやり眺めて、10月の三連休に想いを高ぶらせながらアムロの引退のニュースに耳を傾けた。


私はガンダムを通って来なかったので、アムロと言えば安室なのだが、世代的にほとんどどんぴしゃり、周りの女子が異性をビンビンに意識し、大人な女性に憧れを抱き始めた時に、学校で眉剃り禁止、ミニスカート禁止令が出るほど世は安室に染まった。俗に言うアムラー現象である。


アムラーという言葉と引き合いに出されるのはまずシノラー、わかる人にはわかる話なのでアムラーvsシノラー談義も、お酒を嗜みながら中学時代の思い出とともに一緒に摘むのも悪くはないのだが、思った以上に思い出が薄れているし、よくよく考えるとそこまで興味が無かったような気さえし出したので、これはまた次の機会にとっておくとするが、今回私が引っかかるのは引退宣言についてである。


引退宣言はケジメなのか。


別に辞めたきゃ黙って居なくなればいいし、宣言しなけりゃ戻りたくなればしれっと戻れるし、あれ、辞めてたんじゃなかったのと言われても、いいえ、鋭気を養っていだだけですよーんと言えばそれで知らぬ顔して活動開始である。


わざわざ引退宣言することは本人にとってなんのメリットが、と思うのである。もちろんファンは悲しみにくれるだろうし、最後まで応援しようという気になるのだろうが、いつか戻ってくるという 期待 や 可能性 を 希望 として待っていたいというファンもいるだろう。いつまでも待っていたいのである。いつか戻ってくると、思いを手紙に綴りながら待ちたいのである。


そんなファンとの関係もありじゃないかと言いたいけれど、結局は本人の心意気の問題かとも思うので、どのような形で終わりを告げるのも本人の自由だし、CDの1枚も持ってない私が何か言うのは1番違うのでこの話はこれにて終わりにします。それでは。

平凡な日々、ヒビ入る夜

2017年も残すところあと3ヶ月とちょっとだが、私のiPhoneの支払いが終わるまであと1年と6ヶ月である。だいたいが2年間分割で機種代を払う仕組みなのでまだ6ヶ月分しか払っていないことになる。


昔から物持ちは良い方で、携帯は2年で交換したことはないし、使い始めて半年くらいは、小1のランドセルよりもピカピカなことがほとんどだったが、かれこれ5〜6年くらい前だろうか、iPhoneに替えてからというもの、1年も経てば1000円と言われても買い渋るようなボロボロのiPhoneが出来上がる。単純に携帯を取り出して手に取る行為が格段に増えたことよって落とす頻度も自然と増える。


当然2年を待たずして機種変することもあったし、このままでは数少ない私の長所の一つに胸を張ることができなくなってしまうと、前回、つまりは半年前に機種変してからは、大切に使って来た。事実、さっきまでバキバキにヒビが入った3000円以上する画面の保護フィルム以外はこれと言った傷はなく、中古屋さんに出せば、新古品というタグが貼られてもおかしくはなかった。さっきまでは。


夜も涼しくなってきたし、のんびり湯船に浸かったのが原因かもしれない。防水だからってお風呂に持ち込んでまるまる1時間、2ちゃんねるをサーフィンしていたのが良くなかったか。のぼせ気味に風呂から上がり、コップに入れた水をがぶがぶっと飲み干して、涼みがてらベランダで一服しようとした。


長風呂により手の油が落ちきったのか、まるで握力がないかのように抵抗なく手からスルリと抜け落ちて、カツッと乾いた音を立ててコンクリに上部から突っ込んだ。よりによってベランダで、なぜに室内でなく屋外か、なぜに絨毯でなくコンクリか。案の定上部に嫌でも気になるごまかしの効かない傷がついてしまった。


食べ物が喉を通らなかったり、小説で同じ段落を繰り返し読んでも内容が頭に入らないというほど心打ちひしがれる、そういうわけではないのだが、なんというか、好きになりかけていた異性が自分だけに冷たかったような、まだ好きじゃなかったしと強がりを言い残して、しばらく1人になりたくなる程度ではあり、弱く繊細な心にしてはまあ軽症の部類である。


形あるものはいつかは壊れるし、どちらにせよどうせまた交換するだろうから、気にするこたあない、どんまいどんまい。横で口半開きのまま寝入る嫁の高めの溶けかけたチョコレートを2個いただいて少しだけ気がすんだ平凡な夜、凹んだiPhoneだけが今日の日を記憶に刻んでいるのである。


いよいよ夜更けが寒くなってきました。皆様乾燥した夜風で喉を乾燥させないよう口をしっかり閉じて眠ってください。それでは。

 

何でもできるからと言うことにしておく

普段から頼まれればなかなか断ることができない気の弱い私でも電話でなら少しばかり強気になれる。


というのも、社会人になって最初に入った会社では、電話は簡潔に要点だけをと、上司が口を酸っぱそうにして私に言っていたし、私も耳にタコができるほどそれを聞いた。


そのおかげか、実家にかかってきていた営業の電話にも、あちらのおしゃべりが途切れた時に、いらねえです、とはっきり言えたし、だいたいはそこであちらが折れてくれるのだが、食らいついてくる人には、会社名と名前聞いて、必要な時は相談させて下せえ、と言えばほとんどはそれで電話を切ることができた。営業とたわいもない世間話で談笑している母親に心底イラついたことも少なくない。


今社内に良くない風潮が根付きつつある。


とりあえずあいつにまわしとけ。今日も社内のどこかでそんな声が聞こえた気がした。


誰が担当というでもなく、ほとんど会長あたりが(気まぐれでとしか思えないが…)やろうと言い出したのがきっかけなのだろう。会長はもっとやれ、もっと良くしろ、まだまだだ、と言うだけで新聞読みながらうつらうつらはするがほとんど何にもしないのは、どの会社もきっと同じ。


社外へ出す文章や毎月雑誌に載せるお客さんのコメント、ホームページの管理、役員の何かの冊子とかに定期的に載せてるコメントの管理などなど、クソ仕事が宙ぶらりんで山ほどある。


なるべくその辺りに関わらぬよう気を付けてきたのだが、広告や社外報などを引き受けたあたりから、風向きが変わってきた。


手が空いた時でいいんでこれよろしく。
(あいつなんでも引き受けんぞ。しめしめ)


心の声がダダ漏れである。


仕事をもらえて嬉しい、がんばろう! なんて思ってたのは正直最初だけである。最近やけに増えてきたそのセリフにムカムカしながら、私が辞める時にてんやわんやする姿を想像するのをモチベーションに変え、キーボードの叩き過ぎと思われる親指の痛みに耐えて、でも何とか業務をこなせてはいる。


わかっている、会社で1番忙しいと言うわけではないし、愚痴るなバカと言われても言い返す気力も度胸もないからこのブログで盛大に愚痴っているわけだが、今度来たらはっきり言おう。他の業務が立て込んでるから無理、とかそんなんじゃなく、たまには自分でやらはったらいかがどすか、とバッサリ一刀両断してやろう。


ほうらまた来た、今日は休憩する間も無く駆け回っているのを知ってか知らずか、やってきた。


今が断るチャンスなのはわかっているが、ほらほらあれだよあれあれ、今日はちょっと調子が悪いので断るのは次回に持ち越し! それでは。

痛くはないが、痒くはあった

ほらほら、あの越前蟹の看板の…


そこまで言葉にして私はハッとした。北陸に向かうサンダーバードを京都駅で待っていると、親しくはないが知らない仲でもなく、仮に一緒に銭湯に行ったとしたなら、下だけでなく、お腹周りのお肉とついでに乳首まで隠したくなるような、難しい関係の知人が並んでいるのが見えた。当然声はかけないし、なるべく気づかないふりをしながら自由席に乗り込んだ。


車内はそこそこの混み具合で私の好きな通路側しか空いていない。適当に腰を下ろしかけようときたシートの通路挟んで向かい側にその彼が座っていた。どうやらまだ気づいていない、今なら移動がと少しの間思考を巡らす間に目が合ってしまったドーモドーモ、まさかこんなところで会うなんて、気が合いますね、と今気づいた感じで軽く挨拶して始まった変な空気のふたり旅物語である。


彼は今にも読み出さんと手に取っていた小説を前のネットの中に入れ、体半分こちらに向けるような体勢をとった。彼の”心意気”を無視するわけにもいかず、また、寝たふりをするタイミングすら与えられぬまま、お互い見えない暗闇を手探りで進むような、ふわふわ、ふらふらした会話が始まった。まずはお互いの行き先を確認し、終点金沢まで一緒であることがわかった時に腹をくくった。しょうがない、相手が寝たふり、もしくは本を読み出すまでがんばろう。そんな心意気ではあったし、うまくやれた方だと思う。実際に福井辺りまで来ると、打ち解ける程ではないが気まずい感じは多少なりとも薄れつつあった。


これは簡単ですね、そう思った瞬間に出た言葉が「ほらほら、あの越前蟹の看板の…」である。油断であった。2アウトランナー無しから5点差がひっくり返ることもある。最後まで慎重に事を進めるべきであった。


ここ福井の越前蟹は寒い季節が旬で、寒いと言えば北の方で、蟹工船という小説や映画があったし…しかしだからと言って越前蟹ではないと思う。電車から見えた看板に書かれていたのは北前船。全く関係無いとは言わないが決して近くない間違いを起こした時、どうせなら、何言ってんのと肩をパシッと叩いてくれれば良かったし、電車の揺れに合わせて聞こえぬ振りをしてくれたらもっと良かった。


彼が発した言葉は、そう…ですかね、であった。そこから彼は小説を読み始め、何だか元気がなくなったようにも思えたし、全部私が悪いのは認めるが、言い間違いくらい誰だってあるでしょうよ。別れた彼女が越前蟹が好きだったとか、聞くだけで蕁麻疹が出るような蟹アレルギーがあるとか、きっとそういうタブーを犯してしまったのならちゃんと謝りたいのだが、その後話しかけることはできなかった。


仲良くなりたいわけではないが、少し悲しい気持ちで眠ったふりをすることしかできなかった台風目前の里帰りでの出来事だった。しかし、あの悪くなる一方の天気予報でも旅行客があんなに多いなんて、台風なんてどこ吹く風、ですね。それでは。