立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

守り固めて攻め時をうかがう時

攻め時を間違っちゃあいけない。これは小学校の時に入っていたサッカークラブで顔も思い出せない臨時コーチが言っていた言葉でして、今でも頭に焼き付いています。というのも、サッカーだけじゃなく、この言葉が生きてくる場面は多いわけで、それは仕事においてもよくあるなと思っているわけです。


私は朝会社に着いてまずはメールのチェックをするのですが、今年になりメールが届く頻度が去年の半分以下となっています。タイミング的な要因だと思うのですが、バリバリ仕事しますよってに、どんどんメールしてやほんまに、なんて脂ぎったサラリーマンを演じるつもりはなく、むしろ水を吸っても吸っても湿ることのない砂漠のようなパサパササラサラのサラリーマンの私なのですが、もともとはメール対応は嫌いではありませんでした。しかし、冬休みが終わり、仕事に慣れ始めてから会社のパソコンのメールソフトを開くことに抵抗を感じるようになっていました。


なぜかと言うと年末に、とあるお客と弊社の間に挟まっている、所謂代理人的な立ち位置らしい税理士から「誠意が足りない」「客の都合に合わせるのが当たり前のこと」「一度出向いて挨拶くるべき」などをもっと激しい言い方をした、罵詈雑言ととれる内容のメールを複数回いただいて以来、仕事のアドレスにメールが届くと心がざわつくのです。


その方からお叱りメールをいただく度、腰をなるべく低くした丁寧なメールを返していたのが悪かったのか、勢いづいてだんだんと無茶を要求してくるようになりました。


放っておこう(笑)。


今にも怒りの種が発芽し開花しようとしていることに気づいたし、大した金額のお仕事ではなかったし、一旦放置しときますね、と上司にこれまでのやりとりを報告しそっとメールを閉じたのでした。


それから10日余り過ぎた時、その税理士を名乗る方から今度はそれはそれは丁寧なメールが届きました。こっちが戸惑い恐縮する程気持ちの良いメールを出したのは事務か部下か、別の人だったのでしょう。


infoから始まるメールアドレスだったので、おそらくはその税理士事務所みんなが見られるアドレスなわけで。ここからは予測ですが、その税理士事務所の上司に私とその税理士のやりとりを見られたのではなかろうか。社会人としてあり得ないあんまりな内容にその税理士様はお叱りを受け、代わりの人間かもしくは心を入れ替えた税理士様が対応してくれているのではないかと思うのです。


メールで一方的に打たれ撃たれていたときは、静かにしていたわけで、言わば守りに徹していたが、事態は一変。ここが攻め時なのではないかと静かな炎が燃え始めているのですが、無意味に拳を振り回すとロクなことがないと思うし、最近困るブログのネタになったしまあ良しとしまして、今夜はサンバで一汗かいて眠るとします。それでは。

深夜にコソコソと

土曜夜にビールを予定より1本多い3本飲んだのがいけなかったのか、日曜の朝の3時にトイレに目が覚めてしまい、そこから寝付けなくなってしまった。どうせ休みだからという精神的な余裕が、なおのこと、二度寝を難しいものとしたので、ならば諦めYouTubeサーフィンをしようかと枕元にあるパソコンを開いたまでで思考がストップ。予定変更し、何となくブログの記事を書き貯めようとEvernoteを開いてぼんやり深夜と夜明けの合間を楽しむ自分がいた。


そうだそうだ、夜更かししていた時はこんな感じだった、このブログ始めた時もいろいろ悩むところはあって夜更かししたなあと過去を少しだけ振り返ってしまうのも、きっと夜と朝の合間の曖昧な時間だからだろう。


自慢ではないが、大体週5本のノルマを怠ってないあたり、まあ、やれてる方だと思う。始めましたというタイトルのまま数ヶ月数年固まったブログのように、初めから生きることすら許されなかったかのような運命だったブログが生まれては世に放たれ、生まれては世に放たれ、そのまま放置されているものをカウントにいれると、おそらく約1年で200本越えのブログは上位20%には食い込むのではないかと睨んでいる。上位20%は立派だろう。5人で1人しか選ばれぬ領域である。


そろそろ誰かが褒めてくれてもいいんじゃないかとは思う。大体週5本を1年である。昼は昼で生活のための仕事があるし、ブログができるのは、昼休み、夜寝る前、お風呂の中とそれなりに時間を圧迫しながらも時にはゼエハア言いながら何とか更新を続けているのだ。そろそろ褒めてくれてもいいのではなかろうか。


素朴な三十代がコツコツと更新しているブログを褒めたところで誰にも得はないだろうが、怒られもしない。褒められるのは苦手だが、今回はもうすぐ1年ということで、甘んじて褒めを受け入れるつもりだし、いろんな人の耳に届くように褒めて欲しい。


できれば来年の今頃生活が変わるくらいによろしくお願いします。それでは。

冷え性かどうかは本当はどうでもいい

(元)三枝や小室の不倫問題に行事のセクハラ問題と、世間は性欲に関する問題で山積みである。不倫とプリンは読みが似ているだけでなく、気づかれていないだけで共通点も多い。どちらも女性人気はかなり高め。食後に三時のおやつにお風呂上がりに。スイーツ買って来てーと甘えた声で言われたとして、プリンを買っておけばまず間違いはない。会話に困ったらアパ不倫とふざけたネーミングの不倫話を振ってみるのも悪くない。きっと思った以上に話が広がるだろう。寝ても覚めても不倫とプリンが女子の心を乱している今日この頃、私は華奢で可愛らしいOLのイメージにあるように冷えに悩んでいる。


冷え性ですかと問われたら、いいえ、違いますと言ってしまうのだが、冷え性がどんなものか実はきちんと知らない。最近のように寒い夜ならば自転車漕げば冷え性でなくとも手足の先は冷えきるでしょうし冷え性かそうでないかの基準がわからないのである。


底冷えする京都にいたなら地に足を着けているだけで、足の先から熱量が奪われていく感覚を覚え、オフィスでエアコンを付けているとは言え、サンダルでデスクワークをしていると、帰宅前にはキンキンに冷え切ってしまう。それでそのまま自転車漕いで帰宅するわけで、家に着くなり手足の指先をホットカーペットに擦り付ける日々である。


手足指先の冷えにばかり神経がいってしまっていつも気づくのが遅れがちになるが、実は臀部もかなり冷えている。お尻の冷えは痔になるリスクが上がると聞くし、それだけはこの人生で回避したいわけだが、だからと言って貼るカイロをお尻に貼ると、それはほとんどオムツだし、それはプライドがまだ痔よりも勝るわけで。つまりはノーガードで寒さに挑むこととなる。


嫁にヒートテックをはけばと言われるんだが、ごわつくから嫌だとその都度断っている。本当は去年は余裕のあったズボンがはけなくなるからなのだが、それはここだけの秘密である。

 

寝ているか寝ていないかのどちらかである

乾燥に加えて軽い体調不良のせいもあるのだろうか。カリカリになった鼻くそを取り除いても取り除いても無くならないので根気良く、半ばノイローゼ気味に、鼻を擤んだりティッシュ丸めて突っ込んだり指でほじくり出したりしていると血の滲んだ悲惨な鼻くそが続けて取れた。冬である。風邪に気をつけねばならぬ乾燥怖い冬真っ只中である。


遺憾である。極めて遺憾なのだ。鼻くそにではない。まるで寝方を忘れたかのように眠れないのである。風邪の予防として大事なのは睡眠と食事だ。お腹いっぱいご飯を食べてたっぷりと眠ればまず風邪をひかない。風邪予防に重要な睡眠がおろそかとなっては、健康だけが取り柄と言えなくなってしまう。


そうこうしているうちに現在深夜2時。いつもなら0時くらいに布団に入り、眠い目を擦りながら、無料アプリで12時間毎に4枚配布されるチケットを使って4話だけサラリーマン金太郎を読むのでやっとなのに、今日は4話があっと言う間。チケットの余りを持ち越せないのがこのアプリの憎いところ。昨日余らせてしまった分と合わせて今日は6話は読めますけどねと、強めの口調で誰かに言ってもしょうがない。だって無料だし、そこに我儘を通す余地はない。


寝ては覚め、寝ては覚めを三十数年間繰り返すうちに、寝ているかそうでなければ寝ていない、そういうものだとうっすらわかってきたのと同時に、眠る方法を完璧に身につけた。泳ぎ方や自転車の乗り方同様、もうさすがに忘れることは無いんじゃないかと思っていた。が、どうやら忘れてしまったらしい。


どうしてここまで眠れないのか。


元気や体力が有り余っているわけではない。嫁がいる身としてあるまじき新たな恋に落ちたわけでもないし、仕事について悩むことはまずないし…考えれば考えるほど覚醒していく頭の中で、もしかしたらがうっすら浮かんでいる。多分これが正解なのだが、何だか認めたくはない気持ちも少しある。ベッドに入る前、不意に2時間ほど眠ってしまったのは今回の不眠の原因ではないと言いたいが、それはなかなか無理な話でしょうね。


さて、まだまだ眠れそうにないので、一人しりとりでも楽しみながら朝を待とうと思います。それでは。

 

捨てて得て消えるもの

家のそばに小汚い食堂がある。店の前には長年のチリやホコリがこべりついたショーケースに、歴史を感じさせる変色したサンプルが、これまた色褪せて値段が読み取りにくい値札と一緒に、おせじにもセンスがあるとは言えない並べ方で、なぜだか鍋の蓋や重ねた茶碗と共に配置されている。


中を覗くと愛想のいい年取ったおじいさんと、その息子夫婦と思しきおじさんおばさんが、ゆったりとした雰囲気で、常連と和気あいあいとした雰囲気の中、注文された料理を作り運び並べている。この食堂は老舗の和菓子屋さんと豆腐屋さんくらいしか印象に残らない、寂れた商店街の中にある。小汚い食堂を含めてこの商店街が私は大好きなのだ。


愛情をこめてのそれと言えば何でも許されるとは思ってはいないし、大変失礼な言い方なのは分かっている。だけども普通ならマイナスに取られるそれらの表現がしっくりくるし、「好き」や「愛」という言葉はそれらのマイナスイメージを逆のプラスイメージへと変えてしまうから、「ズルい」表現方法なのだろう。


ただ、私は一つ大きな罪を犯した。これだけのことを言っているのに、その食堂にはまだ行ったことはない。


話は変わるが、今京都の建築中のほとんどがゲストハウスであると言っても言い過ぎではない。海外観光客に向けたゲストハウスと言う商売はバカでも儲かると聞いたことがある。とあるゲストハウスの運営方法の実態は、イギリス人が京町家を買い取って、韓国人にゲストハウスの店長をさせ、中国人に店番(バイト)させる。これで賃貸として貸し出すよりも何割りも多いお金がオーナーのイギリス人に舞い込むというのだから困ったものである。


私のお昼間のお仕事の関係上、時折嫌でも耳に入ってくるのが、近隣住民からの騒音、ゴミ、喫煙などのマナーなどの苦情である。文化の違いがそうさせるのか、人間性のせいなのかはわからないが、上手にやれる人でないと、クレームの嵐である。


ゲストハウスのおかげで寂れた商店街に観光客の姿が見られるようになったのは事実としてあるし、前述した食堂に観光客が座っているのもたまに見るし、年々徐々に件数を減らしつつある京町家がゲストハウスにより復活しつつあるのも事実。ただ、京都に住みたいという人へ貸家として貸し出ししている日本人オーナーのことを考えると、ゲストハウスと言うのは何か違う文化な気がしてならないのである。


たまに真面目なことを考えるとお腹が空いたので、あの食堂を眺めつつおしゃれなうどん屋で美味しいうどんでもすするとします。それでは。

波を変える方法

フリスクの好きだった味が行きつけのコンビニから忽然と姿を消したとか、昨日寝るときから楽しみにしてたのに朝になると納豆のことを忘れていたとか、温かいという言葉に踊らされて買った安物の靴下が信じられないほどスースーするとか、だからどうしたと言われたら次に発する言葉に詰まってしまうが、コンビニ店員でもいい、知らない誰かから笑顔でありがとうと言ってくれれば忘れる程度の小さなアンラッキーがここのところ立て続けに降りそそいでいる。


もしもバファリンの半分が本当に優しさでできていたなら迷わず飲む。二錠でいいところを三錠飲む。小さな不幸もコツコツと貯まれば大きな不幸と等しくなり得るし、一度運が悪いなと思い始めると、悪い場面ばかりが気になってしまう。多分、今私の心はかわいている。乾燥した鶏胸肉のようにパサついている。だからどうしたと言われても、どうもしない。疲れた、怠い、面倒臭いのあまり喜ばれないセリフだけはなるべく発せぬように気をつけながら静かに1日を終えていくだけである。


例えば、信号待ちで、3メートルは優に超えるであろう4人組の外国人に、ヘローと声掛けられ道を訪ねられたとしましょうか。今時珍しい、iPhoneではなく紙面の地図片手に流暢な英語で聞き取れた単語を繋げて想像したところによると、多分「金閣寺はどうやって行けばいいんだ、ボーイ。バスか、ボーイ。それとも徒歩で行けるのか、ボーイ。アイドンノーは無しだぜ、ボーイ」と話しかけられたとしましょうか。


そこがもしも、三条西洞院あたりなら徒歩で行けなくもないが途方にくれるほど遠いと思うのでバスがいいですよ、よってバイバス、と言えればいいが、いかんせん相手はもはや4m近くある大男4人組。こちとら膝がガクガクするほどビビってるわけで、アイムソーリーとその場を立ち去ろうとするのが精一杯。しかし進行方向にたち憚るように、尚も地図をぐいぐい胸元に押し付けられたので、仕方なく覚悟を決めて得意のiPhone取り出し10分に渡って一生懸命説明したら、スペシャルな笑顔とシェイクハンズでお別れできたなら、少しは心が潤うと思うのです。


だからと言って5mに及ぼうかという大男の相手はしたくはないが、それでも苦労の先には潤いが待っているような気がするので、今夜はパンクした自転車を押して帰ることにしたのでした。おしまい。

 

勝ち組負け組か

勝ち組か負け組かをすぐに口にする友がいる。その友は彼女こそ途切れたことはないのだが、結婚願望があるにもかかわらず、いまだに未婚を貫いている。仕事は某ディーラーの営業で、日々奮闘しているようだし、多分お金にも困っていないのだろうが、結婚したいと思う相手に出会っていないらしい。その友に言わせると、自身は結婚していないから負け組で、逆に私は結婚しているから勝ち組であると。


出来ることなら働かず、晴れの日には近くの公園まで散歩に行き、途中のセブンイレブンでLサイズのコーヒー片手に一服し、暇になればベンチに寝転がってユーチューブを見て日が暮れ始めたなら、強くて安い缶チューハイを2本買って家へ帰りたい。日々アンニュイな感じ。私にとって勝ち組とはこういうのである。結婚するしないは勝ちか負けかの判断基準に入らない気もするが、価値観は人それぞれだから、「人は人、自分は自分だよねーん、だから気にしないのねーん」と軽くいなし気味に答えると、友は決まっていつも少し落ち込んでしまう。


「結婚したらしたで大変なことももちろんあるし、自由に時間と金を使える君はむしろ勝ち組さ」と肩を抱きながら言ってやると、今度は決まっていつも表情が明るくなる。何はともあれ、人は人、自分は自分である。


私は負けているとは一度も思ったことはないが、勝っているとも思ったことはない。家族があって、賃貸だが家もあり、ご飯も食べれているが、稼ぎが極端に少なく、嫁の力を存分に拝借しているとなれば、世間でいう勝ち組と負け組の当落線上だろうか。むしろ男としては負け組なのか。そうなのか、どうなのだ。


ついさっきのことで、現在も進行中なのだが、今日の晩御飯は勝ち組メニューのすき焼きだった。昼に見たテレビのお肉が美味しそう過ぎて、近頃吉野家でしか牛を摂取していなかったこともあり、たまにはテンション上げようぜと嫁へ相談した結果、オッケーグーグルとGOサインをいただくことができたのだ。


ならば近くのお肉屋に行くしかないと支度し出かけて、お肉屋さんで薄くスライスされた牛さんに感謝しながらお金払って、ついでに75円の串カツを5本買ってその場で揚げてもらい、それを嗜みながら帰宅した。


時間はまだ3時をまわったところ。晩御飯には早過ぎるので再放送のドラマ見ながらうとうとしたところで、急に来た。いつものそれよりもゴルゴルギュルギュル鳴るお腹に、昼間の串カツが頭をよぎる。以前に同じものを食べた時も急降下したし、もしやあの肉屋の油が合わないのか、それともたまたまかはわからない。だが、すき焼きの直前にお腹を壊すようではまだまだ勝ち組には程遠いような気がしてならないのだ。