立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-ボーっとしたい日

「君が休むと仕事が止まっちゃうから苦労したよ」と、ホメともイヤミともとれる言葉を上司からかけられ、笑えばいいのか怒ればいいのか、はたまた膝を付いて悔しがればいいのか分からないが、もっと分からないのがいつの休みのことを言っているのか、だ。1月は休みをとっていないし、12月中旬にとった時のことを言っているのか、そうだとしたらなぜ今頃…考えれば考えるほど発言の意図、真意がぶ厚い壁に覆われてるような感覚に陥った。

 


この季節、自転車で朝通勤すると耳が千切れそうなほど冷たくなるし、今日もそうだった。セブンイレブンの前を通りかかり、ホットコーヒーを買うOLを横目で見ている時、冷たい耳ばかり気にして気づかなかったが、鼻水が鼻下を通り口に入る感覚を覚えた。会社へ着き自転車を降りると、寒さで太ももの筋肉が強張っているのがよくわかる。そろりそろりと歩きながら、会社に入ると、部屋で例の発言をした上司とすれ違った。すれ違いざま、「今日は暖かいな」と言われて思わず閉口したが、エアコンがドライヤーと思うほどの強風でゴーゴーと作動しているじゃないか。そりゃこれだけ温風が吹き荒れていたなら部屋の中は暖かいですよ。外の寒さはいつもとなんら変わりませんよ。

 


上司のネトっとしたコメントのせいか、今日はまるでやる気が出ない。いつもやる気がないのは認めるが、それ以上、これ以上がないほどにやる気がでない。この部屋から誰もいなくなったとしたら、スマホを触るでもなく、メールを確認するでもなく、とにかくボーっとしたい。遊びたいわけでもなく、あれやれこれやれと溜まった仕事を無視してボーっとしたい。 

雑記-銭湯と赤提灯

キーボードを伝って熱が指先から逃げていく感覚を覚え、エアコンの設定温度を2度上げたがまるで効果を感じられず、今度はサンダルが足の指先から熱を奪っているような錯覚に陥ったので、椅子の上で胡座をかいてアウターでモモから足先を包み込むように掛けたがまるで体の冷えが解消せず、明日の仕事をどうズル休みしてやろうかと本気で悩む、よくよく冷えた真冬の一月中旬に欲しくなるもの。それはアツアツのお風呂と赤提灯である。

 


体の芯までキンキンに冷えきったと自覚したなら、アツアツのお風呂ほど気持ちいいものはない。冷たさと熱さのギャップに手先指先にピリピリと痛いようなくすぐったいような、なんとも言えない刺激を感じるかも知れないが、それに慣れ始めた時の心地よさと言ったら、他には変えられないほどに良い。

 


もし銭湯へ行ったならば、温かいお湯にザブンと浸かり日々の疲れとともに冷えを忘れたいところだか、サウナもそれに負けずとも劣らない魅力がある。真冬で海の漁から帰った漁師のようにいかに身体が冷えていても、15分もサウナの最上段で耐えられる人は少なく、もしも耐えて堪えたならば、珠のような汗が止まらなくなる。それ即ち身体の芯まで熱が行き届いた証拠。それを水風呂で冷まし、またサウナへ、を繰り返せば帰る頃には冷えを忘れ、今度は冷たいビールを流し込みたくなるが、そこは銭湯備え付けの冷水機で我慢だ。

 


帰宅中、車ならまだしも、徒歩や自転車なら再び身体が冷気で冷やされるのを忘れてはいけない。サウナと湯船でせっかく温めた身体から無慈悲に体温を奪うのが冬である。帰宅中、もう一度冷え始めるのは悲しいかな現実なのだ。一度冷え始めてしまうと、後は体温がただ落ちるのを耐えるしかないとあきらめるのが日常だが、たまたま帰路を変えて入った小道に赤提灯が静かに灯るおでん屋があたなら。熱燗と熱々のおでんの誘惑に勝てる大人はそうそういない。

雑記-適当さ加減

計画性があるとは寝言でですら言えない状況ですし、とりあえずで何か始めて途中で投げ出すことも少なくありません。出来なくなったらその都度考えたらいいしで嫌になったら辞めたらいい、そのくらいの緩い適当なスタンスが定着してもう長いです。

 


だから昨晩のニュースで見た、半年以上も前から準備したという、七色に光る袴を着た新成人には、若者の考えることは分からんとかけしからんとか、かつて同じ道を通ったはずの大人の、特に発言権を持った方々が毎年発する負の感想が私の口から出ることはありませんでした。むしろ、新しいアートを見たような畏敬の念を抱いて、家事育児でバタバタしている家主に、ちょっとこれ凄いよと、手を止めさせて画面に注目させようとしたくらいです。

 


計画性…もしかしたら何よりも重要なそれが抜け落ちてなお息をしている私に、今必要なのはヨレて汚れたカッターシャツの買い替えです。新年ということもあり、さっそく近くのスーツ屋に足を運び、仕事で着るヤツなので、安くてサイズが合えばそれでいいからと、棚に綺麗に積まれたLサイズのシャツを、屈んで手を伸ばしまさに今取ろうとしたところ、後ろから店員に声をかけられたのです。

 


カッターシャツですか?

 


あなたにはネクタイを選んでいるように見えるんですか? とここまで出かけましたがグッと堪え、そうですよと答え、また手を伸ばしたら、

 


サイズをお計りしましょうか?

 


いや、適当に安いやつでいいので、振り向きながらぶっきらぼうに答えると、念のためですからと、メジャーで首回りと袖の長さを計測されました。うんうん、そうだよね、サイズが合わなかったと返品ばかりされても店としては商売にならないですもんね。計測後、

 


お客様はこの辺りのサイズが合うかと思います。

 


紹介された棚は今私が取らんとしていた棚。知ってるよと言いたかったがグッと飲み込み、今度こそ適当に3着手に取りレジで精算し、家で試着してみたら、1着だけ袖の長さが短いじゃないか、Lサイズにも種類があるとか、そういうところを教えといてよね、頼むよホント。
 

雑記-傘差して自転車は危ないよってお話

朝、ドアを開けたら冷たい冷たい雨が降っていた。聞いてないよ聞いていないよと呟きながら小走りで自転車を取りに向かう。キンと冷たくなった防犯用のチェーンになるべく触れぬよう、臭いものでも入ったナイロン袋を持つように、人差し指と親指の先だけで持ち、ポケットから取り出したカギを挿して開けた。ハンドル部分にチェーンを引っ掛けて、さあ出発だ。自転車に跨るとズボン、ヒートテック、パンツを通してなお、冷たさが尻に伝わる。

 


分厚いジャンバーのチャックを顎の皮膚を挟むくらいまで上げてロシア軍もビックリな大きめのフードを被る。視界は悪いが仕方ない。このジャンバーのおかげでマフラーなしでも上半身から体温が奪われる心配はないが、下半身の寒さとのバランスの悪さがどうも心地悪い。特に足首の冷えが気になるところだが、我慢だ。ジャンバーのポケットから手袋を出して両手にはめ、雨に向かうように自転車を走らせた。

 


折り畳み傘はカバンの中にあるが、傘差し運転はしない。違反とか見回り中のお巡りさんに注意されることがあるというのが大きな理由ではあるが、自転車に乗りながら傘を差すくらいなら電車という甘い選択肢を使う。

 


道のりの半分も来たくらいだろうか。メガネに容赦なく叩きつけていた雨がいつのまにか雪に変わっていた。そりゃ寒いわけだ。信号待ちの人たちが吐く息が白い。仕事じゃなけりゃテンション上がるのにと思いながら、青になるのを待って再び自転車を漕ぎだす。

 


おっと、脇道から自転車がすっ飛んできた。20代前半と思われる女子が傘差し運転している。ぶつかりそうになったが、間一髪ブレーキと急ハンドルが間に合った。お互いバランスは崩したがこけてはない。お前殺すぞという目で睨まれたが、くだらない説教はしないし、睨み返しもしない。なぜなら、交通ルール守れと言ったところでまず話は通じないだろうし、何か言い返されたら今度はこちらが怒りを抑える自信もない。もしも、この深海魚似のブスなんてことを口走ってしまったがために、怒りで我を忘れたこの娘さんがカバンからナイフを取り出さないとも限らない。

 


いつかまた今日のような天気の日、食べかけの熱々おでんの大根踏んで滑ってこけて、靴紐と自転車のチェーンが絶望的な絡まり方をして、大事な仕事に遅刻しますようにと、見えない太陽にお祈りして私からの苦言はおしまいです。

雑記-100万円バラマキ、品行方正

今年は春日神社、平安神宮八阪神社、そして春日神社へと、年が明けてから5日間で4回初詣に行った。二つ目の平安神宮から初ではないということには薄々勘づきながらも初詣と言っていたのは、多分私の中での、神や仏への最低限の礼儀だと思うからである。

 


だからと言って、神や仏を日々崇めたおす程信仰はしていない。なので、初詣は無病息災や家内安全、毎日牛肉、のような願い事はまずしない。むしろ事あるごとに、仏壇や神棚に花を飾り手を合わせ感謝する人間でなければ、頼みごとなんておこがましいにも程があるかと、そう思うのは神や仏が心の中にいるからなのか。まあ、それは良いとして、手を合わせて、目を閉じて念じるのは今年、というかやらなければいけない事の確認である。年末に競馬を当てるとか、10キロ痩せるとか、コンビニ通いをやめるとか、そんなもんである。

 


だから、長々と手を合わせ目を瞑る人を見たときに何をそんなに…と思ってしまう。実際何を考えているのか分からないが、金持ちになれますようにとか、イケメンにナンパされますようにとか、松嶋菜々子と結婚できますようにとか、そんなことを考えてるだろうと思わざるを得ないのは、ゾゾ社長の100万円バラマキに群がる人々があまりに多いということがわかったからである。

 


格好つけんなとか、調子のんなとか、剛力に謝れとか、そんな言葉が飛んで来そうだが、ツイッター登録してリツイートしたなら、もしかしたら100万円もらえると…。だからどうしたと言いたい。ほぼ何もせずにもらえる100万円になんの魅力があるのか問いたいのだ。なぜだろうか、この件に対して欲しいと手を挙げることが、誇りを捨てることになりそうな気がして、また、それに群がる人々とは人種が違うような気がするのだ。

 


仮にただで100万円もらったとして、何に使うだろうか。彼女に指輪買う? 子供へおもちゃ買う? いやいや、バカなことを言っちゃあいけない。プレゼントは心身ともに疲弊してやっとの思いで稼いだ金じゃないと意味が半減する。なら、自分のために使うべきか。高級なフレンチ食べて寿司食べて、旅行に行ってプレステ4買って、向こう半年分の生活費入れて…

 


100万円貰えるもんならとりあえず、一旦預かろうか。

雑記-進化の過程

今年の目標を、新年の仕事始めだからとなぜか社員全員発表させられるという、クソしょうもない時間の無駄な集会で、ダラダラと話しても仕方ないなと思い、年末に体調を崩しがちなことを真剣に良くないと考えた結果、うがい手洗いを習慣化しますという目標を胸張って発表したなら、小学生やがなと失笑された。人が真剣に考えた目標を笑うのはどうかと思うが、それでもいい。なぜなら、本当の目標はこの会社を辞められるようになることだから。

 


IllustratorPhotoshopなどを昨年秋に購入して以来、趣味のカメラと絡めて、ほぼ毎日それらのソフトで遊んでいたのが楽しかった。年賀状のデザインをイラレで作ったし、そのために使う写真をフォトショで編集もした。写真管理のためにはLightroomも使ったし、永らく遠ざかっていたweb制作に戻ってくるきっかけにもなり得る、昔恋い焦がれ憧れたけれど金銭的に諦めざるを得なかったDreamweaverや動画編集のpremiereにも興味がある。他にもまだまだ何をするのかも分からないソフトが私のMacには眠っている。

 


会社を、例えばあと5年で辞めようと設定しよう。今の会社は食うに困って入ったところで、いつクビになろうが後悔とかやり残したこととか、悔いのようなものはほぼない。逆に言えば食べていける程度にお金が稼げたなら、今のところ何だっていいのだ。

 


会社に頼らぬ生き方をしようと考えたなら、どうせなら楽しく家で趣味のようにやっている作品づくりを仕事にできるに越したことはない。画家や陶芸家のような作家を目指すべく、私は少しずつ新たなチャレンジを始めている。冬休み終盤にようやく取り掛かり始めたホームページづくりが、どういうわけかすこぶる順調で、もう数日もしたなら、公開にこぎつけられるかも知れない。

 


それもこれもうがい、手洗いのおかげで体調を崩していないからである。


 

雑記-新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。

 


明けて1週間も経てば、浸かり過ぎた漬物のように酸味も強くいい加減萎れ始める気配のある、新春のご挨拶から始めたのは、今年一発目の記事だからに他ならないが、昨日宛先不明で戻ってきた年賀状をこれから出すべきか出さぬべきか、はたまた、12月28日にはすでに投函していたのに戻って来るのがあまりに遅過ぎやしませんかと、保険の加入ばかり勧めてくるあの局員に詰め寄るべきか寄らぬべきかで揺れに揺れる不安定な心模様である。

 


情緒が揺らぐのにはもう一つ理由がある。年末に実家の猫が死んだのだ。推定14歳半だからとても長生きしたわけではないが、だからといって不幸なほど短いとも言えない最期を迎えたわけだが、大抵はご主人よりも先に順番がくるとは言え、心に穴が空いたというか、萎れたというか、簡単に言うと想像していたよりも悲しかった。年始の嫁の実家の焼肉パーティーで一瞬ふと頭をよぎったけれど、酔いがうまい具合に悲しい気持ちを解体し分散してくれた。

 


いつ死ぬなんて分からないし、いつかは死ぬのが普通である。なのに悲しみという感情が生まれるのは、やはり人が好きな人やペットを助けてあげなければならないと神が人に備えた救いあう心、つまりは愛なのではないかと思いながら迎える新年、どうぞ今年もよろしくお願いします。