立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-うまい目安

長風呂に適した温泉に浸かっているような気温が街を覆っているため、出掛ける気になるわけがなく、部屋のエアコンを26度に設定したなら寒く、27度でもまだ肌寒いとあらば28度まで温度を上げるのが普通だろう。だがすると途端に汗ばむ室温になるのは、エアコンの問題なのだろうか。ちょうど良い温度で過ごすには一体どう設定したら良かったのか。エアコンの大雑把な温度調整に頼らず一枚羽織ればいいのだろうがそれだとその一枚分、電気代を損しているような気がしてならない暇な夏の日曜皆様どうお過ごしだろうか。


熱中症対策は万全だろうか。熱中症の目安は疲労感や筋肉痛らしい。それを疑う症状が出た場合は、コンビニなりパチンコ屋なり図書館なり、とにかく涼しい場所で休みをとるように、心よりお願いするとして、今回はうまいサッカー選手とうまい居酒屋の見つけ方について聞いて欲しい。


サッカーではトラップを見たらその選手のおおよそのうまさのレベルがわかる。それが全てということはないが、うまく足元にボールが収まるかそうでないかは次のプレイ、パスやドリブル、シュートの出来に深く関わってくる。あくまで目安ではあるが、それでもうまい選手を見分けるための一つの要素だ。


それと同様に、うまい居酒屋の見分け方がある。だし巻き卵が美味しい居酒屋にハズレはない。お出汁がうまく、箸で持つとほどけそうなほどにふわふわで噛めばお出汁が香り、卵の味も楽しめる、そんなだし巻き卵を出すお店の料理が不味いわけがない。お手軽に思われがちな料理なのに驚くほどに差が出るのがだし巻き卵である。あくまで目安ではあるが。

雑記-夏の不安

減るどころか増え続けている気がして仕方ない外国人観光客に問いてみたい。命の危険を感じる暑さの夏の京都で何をしているのか。そこまでして観光したい理由があるならそれは一体何なのか聞いてみたい。


今朝5時30分に目が覚めて、うまく二度寝ができなさそうだったから、昨晩寝る前にうっすらと模様していた尿意を解消しようとトイレに立った。二度見して三度見しても勢いは弱まらず、四度見でようやく終わりを迎えた小便の最中に、わずかだが左側の頭の奥に確かに潜み今にも全体に広がりそうな痛みの種に辟易しながら冷たい水で薬を飲んだ。


この季節の頭痛は怖い。年を通して3日に1度は頭が痛くなる私でも不安になる。春や秋のそれよりも熱中症脳梗塞など放ってはおけない病気のリスクが高まっているからである。何をするにおいても普通ではない状態には不安は付いてくる。


不安は体の動きを鈍らせる。朝出勤で漕ぐ自転車がいつもよりも重く感じたのはきっとそのためだ。


のんびりと漕げば汗も出ないし、頭痛がする今の体にも多少は優しいとは思う。だがどうだろう。逆に早めに漕ぐというのは。私の中で実験に近いチャレンジをしてみたくなった。


いつもよりも太ももに負荷をかけるように強めに漕いで、頰で風を切り他の自転車をビュンビュン抜いて会社に着いた。だが痛い頭に変化は無く、いつもの倍、汗をかいて疲れただけだった。


やっぱり普通が1番。夏にもタレントにもファン(不安、扇風機の羽)が付き物である。

雑記-ネットができないフラストレーション

夏と言えばサザンかチューブか、はたまたドリカムか。「夏」「ミュージック」「おすすめ」とグーグルに入力してエンターキーを勢いよくターンと押すと、いろんなサイトがズラリと並ぶ。適当にサイトをクリックして出てきたアーティストをユーチューブで検索して…ネットサーフィンはなんと楽しいのだろうか。時には寝るのを忘れ、またある時は気づけば眠り、時間に縛られず自由気ままに流れ流れる様はまさにサーフィンである。記録的な豪雨の後の記録的な猛暑は行動の選択肢をグッと減らす。酷暑が続く日々、ポテチとコーラを買い込んでクーラーの効いた部屋で夏におすすめなミュージックで休日を消化するのも悪くはない。


が、しかし、我が家にインターネットが通っていないのである。引っ越したばかりだから仕方がないと、そう思って和かに過ごせる日はいよいよ過ぎた。こっちで選んだ業者に工事しないと繋がらないと聞かされて、ならば工事の許可をと管理会社にお願いしたところ、提携しているネット会社しか許可しないと言われ、なくなく入会キャンペーンでもらえるプレステ4を諦めた。背に腹は変えられず、仕方がないから管理会社が指定してきたネットの業者にお願いしたところ、工事が必要だが管理会社から許可が下りないから無理と言われ、一体全体どうしたら良いのか路頭に迷い心が折れかけている最中である。


そう、今我が家は時間にして1秒かからず、日本を飛び越え世界のどこにでも繋がるインターネットから遮断されている。もちろんスマホは別だが。


ああ、インターネット、インターネットや。溢れる情報の海でサーフィンをしたい。パソコンでネットしたい。どうすれば、このもやもやは、太陽眩しい今日の空のように晴れるのか。管理会社さんよ、設備にないものを重説に載せちゃダメなんじゃ…。出るとこ出たろうかと、いつでも発する準備だけはしてネットが繋がるのを今か今かと待っている。待ってるあいだに管理会社のレヴューでも投稿しようかしら。

雑記-パソコンは使えない人にとっては不便で厄介な物なのだろう

全盛期のマラドーナでもディフェンスをやらせたら、一流は可能でも超一流にはなれないし、道場六三郎の作るインド料理が美味いとも思えない。興味のない人にしたなら、「サッカーがうまい」は、ゴールキーパーからフォワードまで何やらせてもうまくやるように誤解し、料理人はどんな料理でもうまく作れると勘違いすることは少なくないように思える。


今私の職場でも似たようなことが起こっている。パソコンのスキルはどれくらいかと聞かれたなら、人並みと答えるようにはしているが、これから先、もしも職場を変わる機会があれば、まるで初心者です、と答えるようにしようと思う。


このブログでも言ったことがあるかも知れないが、パソコンを使えない人にとったら、パソコンはどんな不可能も可能にする魔法の箱だと勘違いしていて、エクセルワードが少しできる私は、パソコンでわからないところが何一つないプロフェッショナルだと思っている。まったく何度言ったらわかるのだろうか。もうわかってもらえることはないのだろうか。


いつも電源の切り方がわからなくなる大人に、画像で簡単に説明したマニュアルを渡したのは読んでないのだろう。読んでも覚えられないのだろう。ウインドウズ10になったからって、モニタが対応してなければ、いくら画面を指で押してもタッチパネルとして使えるようになることは一生ないと、何度説明すればわかってもらえるのだろうか。


わかってもらえるまで説明するのが私の役割だと思うし、そこはあきらめるが、間違えて送ったメールを取り消したい(相手に読まれる前に削除したい)とか、ヤフーの広告を消してくれとか、パソコンのデータを全部スマホに入れたいとか、いい加減やめて欲しい。


多少なれたなら便利に違いないパソコンが、あの人たちにとったらきっと不便で仕方ないのだろう。

 

雑記-見た目で人の判断ができる場合もある

この人で大丈夫なのか。歳は私と同じくらいかやや上で、ひょろっとした色白の長身に、蚊の鳴くような声で応対してくれたコンビニスタッフが頼りなく感じたが、真近で見ると泡立ちの良さそうな満遍なく生えそろった腕毛に漢らしさを感じ、ネームプレートの上部の店長の文字に安心感が芽生えた。人は見た目で判断するべきではない。


いつまでも謙虚さを忘れてはいけないと思うし、傲慢になってしまっては、他人に対して不快な思いしかさせないと思う。かつては私も学生時代にコンビニで2年近く働いた。レジで財布を開けたまま寝てしまうほどに酔ったサラリーマンやワケありそうな和服美女に、道で会えば目を合わせたくない強面の高そうなスーツをビシッと着た人など、いろんな人をレジ越しに見てきたから、客に対するコンビニのお仕事の辛さはわかっているつもりである。


だからコンビニで買い物する時にありがとうはここ数年欠かさずに言ってきたし、辛い時でも目一杯の作り笑顔で店を出る。店員さんによっては客に対しての態度がどうだろうと思う時にも、区別せずに同様に接しているつもりだ。金を払っているといえど、その分のサービスを受けているから、客を神とするのはおこがましく、むしろ同等の立場であるべきだとも思うのだ。


先述した店長さんを第一印象で頼りなとと思ってしまったことは正直な意見ではあるが私の性格の悪い部分でもある。ただ、人に見られる仕事をするなら清潔感を含む見た目の評価はある程度は必要だ。それによって能力を評価する必要はないが。


ただ、もしかしたら能力が見た目に作用することもあるのかも知れない。頼んだタバコが入っておらず、温めをお願いしたパスタが冷たいままで、お金を支払っている最中、確かにゲップしたあの店長はやっぱり頼りない。

雑記-祇園祭の時期は毎年天候が不安定

今年も何かが起こりそうである。


どうしても見たいわけじゃなかったけれど、一回くらい行っておいても悪くないと、何となくな気持ちで見に行ったことがある。


祇園祭である。


きっと祇園祭を目的として京都に旅行に来る人にとったら、山鉾巡行のある祇園祭当日を目指してくると思う。ただ、地元が京都の、特に若者に言わせたなら、宵山や宵々山と呼ばれている祭前日、前々日が地元の人たちにら本番のようだ。山鉾は祭本番の数日前から街のあちこちに配置される。


宵山、宵々山では出店が多く出て、大きな通りが歩行者天国となり、街はどんちゃん騒ぎとなる。地域ごとに点在している、本番前の山鉾を、出店のビールと唐揚げをつまみながらまわるのも乙じゃないかということで出かけたはいいが、人が多すぎてそれどころではなかった。人気の豚まんを買うのに30分程ならんで、ビール買うのに10分並んで、それで帰宅した。100メートル移動するのにもげんなりするようなそれは、田舎者の私には荷が重すぎた。


以来祇園祭には行ってはいないが、どうもその時期は京都の天気が荒れる傾向にある。約50年振りに後祭が再会されることになった2014年。天気が大荒れに荒れた。大雨により私の住んでいたアパートの前が、くるぶしの上くらいまで水没したのだ。数日前の、忘れてはいけない、大災害をもたらした雨の時ですら目立った浸水はしなかったにもかかわらず、である。


今のところ、雨は降らなさそうである。ただ天気が良すぎて予報では最高気温が38度になるらしいが。

雑記-共存とやさしさ

サッカーのために2時50分に合わせた目覚ましを止めたのかどうかすらわからず気づかず、嫁に起こされた時には4時過ぎで、破裂しそうな膀胱にまだいけると優しく暗示をかけてテレビをつけると後半開始の点が入った直後だった。3時キックオフというのはもしかしたら最も難しい時間帯かもしれない。起きておくにはあまりに遅く、起きるためにはあまりに早く、試合の終わった5時からまた手持ち無沙汰。ビールでも飲むには始業時間が近過ぎるし、仕方がないから便所に行き、長い小便をした後、ベッドに横になりながら、ネットサーフィン。気づけばいつもの6時半のアラームで起こされて、リズムが少し狂い眠たい目のまま準備して出勤した。どこをどうしたならシャキッと出勤できただろうかと、自転車乗りながら考え、録画予約して早く寝て5時過ぎくらいに起きて時間差で見る、という結論に至ったところで、とりあえずレッドブルを飲むことにした。


最近、行きつけのセブンから、レッドブルの1番小さなサイズが消えた。置いてあるのは中、大、蓋つきのやつと、シュガーレスの小である。最初売り出されたのもその小サイズだったし、多分、普通のレッドブルで最も売れているサイズだと思う。それがなぜ…ここ数週間、通勤の度に悩める疑問だったが、もしかしたらそうじゃないかと解決のヒントとも言えるものを見た。それがセブンから北へ2軒行ったところにある自動販売機である。その自動販売機に小サイズのレッドブルが置いてあるのだ。


私が風邪をひいた時にセブンで栄養ドリンクを買ったことがあった。その時に対応してくれたその店のオーナーは、最後ドリンクの入った袋と共に、お大事に、と投げかけてくれたのである。そのマニュアル人間ではない優しいオーナーの考えることだ。自動販売機との共存を考え、レッドブルの小をお店に置くのを止めたのではないだろうか。この競争激しく生き残るだけでも大変な時代の、聖母のような「やさしさ」だったのかも知れないけれど、それはただの推測。間違っている可能性の方が大きいけれど、もし推測があっていたならオーナーの心意気には答えるべきだろう。今日はその自販機でレッドブルを買おうと財布を開けたが10円玉4枚と5000円札1枚しかなかった。