立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-後夜祭

椅子を引く力はいつもと変わらないのに、キャスターの調子が普通より良かったからという理由だけでは、このやり場のない怒りをグッと飲み込むには至らない。椅子の硬い部分と机の硬い部分に勢い余ってガチンと挟まれた薬指の気持ちになれるのは私だけなので、怒りを風化させぬよう、椅子と机のメーカーを、2ちゃんで血祭りに、と思ったけれどもメーカーが分からなかった。


仕方がないので祭りは祭りでも、この記事をもって302本となる当ブログの300を記念した後夜祭でも密かに開催するとしよう。290を超えた時から、記念すべき300は胸の内を、幕の内弁当と幕内力士で例えたしょっぱい記事で迎えようと考えていたにも関わらず、大台の300をカウントしたことに気づかないとは、まるで眠くなる映画を観ているようである。


区切りとしては細かすぎる290本目あたりの、どうでも良い数字の時は300を意識していたのに、初期の頃から目標にまで掲げていた肝心の300を失念するあたりも、このブログの色であり、私の人生を映しているようでもある。


まあ、だからと言ってそこまで胸を張れるような事象ではないし、ならば後夜祭くらい、心の中でわっしょいわっしょいと騒ぐくらいならば怒られないだろうか。あいにく心の中ですら神輿の準備はないが。ならばせめて御神酒代わりにプレミアムモルツでも奮発して、嫁には御供物代わりにプリンでも買ってお祝いでもするとします。ちょうど今日は結婚記念日だし。

雑記-日本酒と鴨のお店

まだ先の話なんですが、と言っても来週末のことなのでゴールデンウィークよりも早くその時はやって来ます。と勿体ぶったものの、友人が遊びに来るから飲みに行こうぜというだけの話です。


暇さえあればビールを求めて街へ繰り出していた20代とは違い、今は家庭を持つ30代。飲みに行くにしても節度ある行動を無意識のうちにとってしまう、日が明けた頃には帰宅を意識するような、つまらぬ大人になったのも理由の一つなのですが、外でお酒をいただくのはいつぶりでしょうかと記憶を遡ることすらできないほどここ最近は飲みに行っていないのです。


先に少し触れましたが、その日はGW目前の金曜の夜、めぼしいお店には予約をしとかねばネオンが眩しい街を黒服に絡まれながら永遠と彷徨い歩くことにもなり得るので、10日も前に店をチョイス、予約したのです。


今回のお店は、私にとって思い出すと体調的な意味で気分が悪くなる、苦い思い出が多々ある「日本酒」を多く扱っているお店。ですが、料理は京都で鯖寿司と肩を並べる「鴨」がメインとあらば、普段飲み会のガソリンであるビールを日本酒に持ち替え、加えて連休前の浮かれ気分に任せて、これ以上飲むと死んじゃう カモ というところまで食って飲みたいと思います。


ただ、両手両足で収まらない程のレパートリーのある日本酒を売りにしたお店なのに、飲み放題にすると飲める日本酒が3種類だけになると言うのはいかがなものでしょうか。苦言を呈したい気持ちは山々なのですが、店主がもしかしたらこのブログを見ている カモ 知れないし、気分を害されるとこちらも気分良く飲めなくなる カモ しれません。であるからして、本日はこれにておいとまします。それでは。

雑記-夜更かしの習慣

夜嫁が寝室に入ってから、リビングの電気をできるだけ暗くして、かぼちゃとトマトの見分けがつかないくらい薄暗くした後目が慣れる前に、テレビを消してパソコンを点ける。無料のネットテレビで麻雀番組か、懐かしいドラマもしくはアニメをBGMに、うとうとしながら2時間ないし3時間、本を読み耽るかまたは、徒然なる文章を書き殴る日々が続いている。平穏な日々のように見えて、実は時間が微妙に足りてないと感じるのは、朝、鈍く頭の中で響く目覚ましの音が無くては起きられなくなってしまったからだろうか。


乾燥機ですっかり縮んだ長袖のシャツを、七分袖ですとごまかしき続ける金のない学生のように、24時間をジャストサイズだ、むしろ少し足りないくらいが今の流行りでしょうと、強がりを言っても明け方に向かいの豆腐屋のバケツを引きずる音で目覚めることはできない。あと2時間あればな、そう願うには余りに烏滸がましい夜8〜10時台を過ごしている。


晩御飯も済みお風呂も入り、1日の終わりが近づくこの時間帯、「だらしなく」過ごすのが当たり前。体良く言えば1日の疲れをとっている。悪く言えば怠けているだけなのであるが、この時間をうまく使えば夜眠るのが2時間足らずは早くなり、早朝、携帯から発せられる目覚まし音より早く目覚めて、けたたましくかつリズミカルなテンポで音が鳴り狂うまでの時間を、鳩の声を聞きながらベッドでまどろむも良し、朝、豆を挽いて目覚めのコーヒーを淹れるも良し、の有意義な時間を作ることができる。


それがわかっていながら…はあ、と自己嫌悪に溜息が出てしまいそうだけど、朝早く起きたら、コーヒー淹れて結局パソコンつける私を見て奥さんは鳩が豆鉄砲喰らったような顔をするのが目に浮かぶ。

雑記-訪問販売

目を閉じれば1分を待たずして眠れるし、眠りたくない時は軽い伸びをするだけで、眠気を一旦忘れることができる。たとえ夜更かししても、いつもと同じ時間には、眠いし体は怠いけれども、それでも目は覚める。先日まで引いていた鼻と咳と怠さが煩わしい風邪が治ってから好調である。なのにどうして、今度は便秘に悩まされている。


大学時代、私は学生向けのマンションが多く建ち並ぶ地域で安アパートを借りていた。あの日私は、辛いのが苦手という友人からいただいた、レトルトの激辛カレーとやらを食した数時間後トイレで冷や汗をかきながらウンウン唸っていた。当時はスマホのようなものはなかったので、そこらにあったマンガ片手に便座に腰掛け長時間格闘していたように記憶しているのだが、その時家のチャイムが鳴った。


新聞の営業か、キリスト教の勧誘か、いずれにしても私には関係はないし、もっとも今は火の出るような肛門の始末に追われている真っ只中。必然的に居留守を使うことになるのだが、居るのをわかってなのか、どうもチャイムが鳴り止む気配がない。あまりのしつこさに仕方なく肛門を拭き、玄関を開けることにした。よく覚えてないが、もしかすると、今の肛門の状況をコンコンと説明した後に追っ払ってやろうと思っていたのかもしれない。それほど苛立っていたことだけは間違いない。


第一声目を考えながらドアを開けると、そこにはやけにチャラい男性が立っていた。部屋を間違えたのかよ、クソがと思いながら相手の反応を待つと、相手は


お忙しいところすみません、


と切り出してきた。チャラさに似合わぬ低姿勢な彼に、怒鳴る気が失せ、何ですかと聞くと、


「すみませんがこの辺でスーパー銭湯しりませんか」


ですって。呆気にとられていると、続けて、


「実は九州から今朝出てきて土地勘がなくて、へへへ」


だそうだ。何だ学生かと思いながら、大体のスーパー銭湯の場所を教えてやり、和やかなまま解散した。今時、アパートと言えどわざわざチャイムを押すなんて、よっぽど困ってたんだろうな、良いことしたな。第一声目で印象悪くすると、きっと今頃罪悪感に苛まれ、出さなきゃならんものも出なくなる。良かった、きちんと対応できてと少しにこやかにトイレのドアを開けようとすると、またチャイムがなった。


今度は誰だとドアを開けると、また彼が立っていた。


「何度もすみません。実は洋服の訪問販売もやってまして…」


しょうがないので、500円でダサいバッジを一つ買った。

 

雑記-ローソファ

スライダーと意見とひざは曲げるためにある。我が家は先月からひざを曲げる機会がこれまでよりも減った。これが今後の老いを加速させるのではないかと危惧している。


我が家のリビングで我々の重みに耐え、同じ時を長い間過ごしたソファに別れを告げた。以前よりクッション部の劣化が激しく、もともとのサイズの7割程度に縮んでしまったそいつは、見ているだけで悲しかった。


班長「こ、工場長、今日もまた1人過労で倒れました。これで我が班は私を入れて4人になってしまいました。9人体制の仕事を7人で回すなんて無理だったんだ。今月私の班の者は休みがたったの2回しかありません。次、また誰かが倒れるのも時間の問題です。お願いですから人を増やすか、1日でいいから休みをいただけないでしょうか。」


工場長「ん〜? 休みが欲しけりゃ早く仕事を終わらせたらいいじゃないの。仕事が無くなれば休みしかないんだからさー。ん〜、僕間違ったこと、言ってるかな〜。過労で倒れるのも、チミの人員配置が悪かったんじゃないの。他の班はうまくやってるよ〜。知ってるよね〜、僕のお父さん、ここの次期社長候補ってこと。じゃ僕はこれで帰るから、あとはよろしくね〜」


上司からの陰湿なイジメに立ち向かう術なく、ただひたすらに業務を行い、心身共にボロボロとなった作業員を見ているようだった。


今度新たに導入したのはローソファ。決して広くはないリビングを出来るだけ広く使うためにと我が家の主、奥方と案を出し合った結果である。これがなかなか悪くない。スマホ片手に寝そべって、頬杖ついてテレビ見て、眠くなったら仮眠して。ひざを曲げて立つという動作をする回数が明らかに減ったと同時に寝落ちする回数も2倍以上に。昨晩もブログ作成中に強烈な眠気に襲われて、眠ると忘れるからせめてと思い、最後の力を振り絞ってメモをした。


「店員も物がなくて確実に困っていた」


何を書こうとしてこのメモをとったのか。どこの店員の話だろうか。最近行ったお店はユニクロ、ツタヤくらいであるが、店員が困る状況には遭遇していない。しかも、店員「も」とはいったい何なのだろうか。私も困っていたのだろうか。まるで記憶を辿れずである。つまりこのメモはメモの意味をなさない、ただの落書きとなった。


ひざを曲げる機会が減ったことが脳への血液の循環がうまくいっていないことを表しているように思えてしまう今日この頃である。

雑記-壊れたメガネと怪我した女性

昨日リビングのソファーで就寝前の仮眠をとっている時、小豆ほどの何かが私の頰にコロッと落ちてきた。なんだろう。寝ぼけながらに確かにそこにいるという存在感。嫌な予感しかしない。


あれは中学生の夏の夜だった。光に集まる習性を持つ虫が自動販売機に群れて飛び回っている所へ自転車で突っ込み、大きめの、多分カナブンが口の中に飛び込んできた。ヨロけながらその虫をベッベッと吐き出したが、帰宅して何度うがいしても残る口の中の感触に、飛び回る虫がトラウマになった。


頰にコロッとなった瞬間そのトラウマがフラッシュバックし、なぜか眠ったフリをしておくべきだとおかしな思考回路が働いたので目を閉じたまま、一恐る恐る頰の上のそれに手をやると、茹でた枝豆のような柔らかさだが、確かに樹脂のような感触。虫ではない。そう判断し、安堵できた。


薄め開け確認すると、それはメガネの鼻の部分の先に、クッションとして付いているゴム製のカバーだった。知っての通りメガネの鼻の部分はメガネ自体を支えるために最も重要な場所。メガネの自重の多くがそこへ集中する。となると、カバーが取れて剥き出しになった金具のままメガネをかけると、鋭利な金属を鼻に突きつけられていることと同じこと。


もしもである。祇園の老舗にナタデココを運ぶ途中だった業者が上司からの理不尽に自暴自棄になり、ビルの屋上からありったけのナタデココをばら撒いたとしよう。そのナタデココを踏んで滑ってよろける街の人々。私は体幹がしっかりしているので大丈夫なのだが、両手首を怪我した綺麗な女性が今にも転ばんとしていたなら、ソッと手を差し伸べて体を支えてあげるのが男だろう。その女性も何とか転ぶまいと私にしがみ付いてくるはずである。ただ、最近丸くなった私の体に取っ手となるような箇所はない。なので、私の身に付けている物の中で最も捕まりやすそうなメガネに捕まる可能性は自然と高くなる。


となると、メガネは容赦なく私の鼻に突き刺さることとなる。きっとその姿を見たその彼女はこう言う。


「当分はパーティーには困らないわね」


と。すかさず私はどうしてだい? と聞き返すと、彼女は、


「だって鼻メガネの準備がいらなくなったじゃない」


おしまい。

雑記-インドカレー屋

元々好きなことには変わりはないが、どうしても今じゃないとダメというくらい体が求める瞬間がある。インドカレーのことである。ゴーゴーやココイチや、狼をそのまま人間にトレースしたようなクールなイケメンとモテてモテて仕方なさそうな可愛いくてお洒落なねーちゃんのやるカフェで食べるようなカレーではなく、ターバンの巻き方やサリーの着こなし、カレーの香辛料にうるさそうなインド人が作る本場インドのカレーを無性に欲するのだ。


我が家から徒歩5分にあるそこは、サラダにタンドリーチキン、カレー2種類とふんどしと見間違う程バカでかいナンかご飯が付いて1000円程度。運動部の高校生でも満足できるボリュームで、それでいて味も悪くない。だから客付きも良いのだが、立地が良いとは言えず、入れないほど込み合うこともあまりなく、食べたい時にいつでも食べられるコスパの高いお店として重宝している。


インドカレーはどうしてああも心をくすぐるのだろうか。カレー屋に入る10メートルも手前から鼻を刺激する香辛料の香りがカレー欲を増長させるのはもはや当たり前の現象だろう。依存とは危ないクスリに代表される恐ろしい病気と教えられてきたが、インドカレーもある種の依存誘発食品、発汗作用のある美味しいおクスリなのではなかろうかと思ってしまうほどである。


話を戻すが行きつけのこのお店、難点を言えば、インド人らしき男性が2人で切り盛りしているようなのだが、日本語のレベルを5段階で評価すると2番目。上からではなく下から2番目である。トイレ、ご馳走さま、お会計、くらいは多少の理解はできるが、それ以外はからっきしである。


これはどんなカレーかと尋ねても、だいたいは辛い、すごく辛いの2パターンを満面の笑みで返してくる。冗談か、ボケなのか、インド人ジョークなのかと悩んだ時もあったが、どの客にも同じ返答。どうやら幾多あるメニューに対して答えはこの2つしか持ち合わせていない、いや、持ち合わせないのがこのインド人のスタイルらしい。職人気取りの無愛想でまずいラーメン屋よりはいい。愛想あるだけいいけれど、接客業としてはあまりに適当だと言いたいが、言ったところで辛いかすごく辛いしか返答は得られないだろう。


適当という言葉も好きなお店の前ではポジティブな意味にもとれるものだから不思議なものである。