立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-どうせなら寝坊でよろしく

昨日は久しぶりに牛を晩御飯に食べたし、夜も11時過ぎにはベッドに入った。このまま目が覚めたら休みが終わるという哀しい気持ちはあったため、スマホの画面を少しだけ眺めてはみたが、そこまでノッてこなかったので、早めに目を瞑った。いつもよりは多めに眠った。確かにそうなのだが、こういう時は逆に体が重くもう少し眠りたいというキリがない衝動に駆られる。


私の目覚ましの時間は6時半である。本当なら7時に起きてゆっくり準備しても間に合うのだが、朝ご飯の後、しばらくゆっくりとした時間を過ごしたいがために30分早く起きているのだ。


今日携帯のアラームではなく自然と目が覚め、枕元を手で探るも携帯がなく、ドキッとしてベッドの下を覗くと裏返って落ちていた。もしも、目覚ましを無意識で止め、携帯を落としたのにも気づかないまま眠っていたとしたら、一体今は何時だろうか。重い体とは逆に、頭の中に広がるいっぱい寝た感が嫌な予感を増幅させた。先週から立て込んでいた仕事も今週、週の前半で山場は過ぎる。要は月曜火曜が踏ん張りどころなのだ。


どんな仕事にも勝負所は必ずあると思う。それが回ってくるのが年に一回なのか月に一回なのか、それとも一日に一回なのかは仕事や人によるとは思うが、私の場合、三ヶ月に一回程度それがやってくる。まさに今、その三ヶ月に一回の勝負所のしかも山場を迎えたところ。


箱根駅伝で例えるなら今はまさに五区。五区は、五区を制する者は箱根を制すと言われるほど難コース、一番の見所となっている。山の神と言う言葉が飛び交うのはまさにこの区間で、高低差800メートルの山を駆け上がるというのだから、大したものである。箱根の五区同様、私もまさに今踏ん張りどころなのだ。


もしも、この裏返った携帯を拾い、スリープ状態を解除して同時に表示される時刻が、始業時間をとうに過ぎて、会社の人たちからの着信の表示が画面に所狭しと並んでいたなら、それはそれでいい。開き直って逆に楽になれる気がする。最も厄介なのは、始業時間の30分前の8時であること。飛び起き着替えて自転車必死に漕げばギリギリ間に合う30分前というのがややこしい。今ははたして何時なのだろうか。願えば願うほど嫌な予感が膨れ上がる。贅沢は言わない。どうせなら諦めのつく時間でお願い。せーのでスマホを点けるとまだ二度寝も可能な5時過ぎだった。