立ち聞きweblog

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雑記-試験とその前に試練と

面倒だろうとは思う。だが少し羨ましくもある。うんうん唸る主を見てそう思った。

 


仕事で使う資格のためと言えど、我が家の主は今、月に一度、レポートを提出し何度かある講義を受講し、試験を受けるために大学へ通っている。専門的な教科書を読み、3000文字との指定のあるレポートの作成に日々追われているわけであるが、昨夜も左手に教科書、右手にチョコレートを持ったまま、今日の試験のための勉強でうんうん唸っていた。

 


いつの事だっただろうか、最後に試験勉強をしたのは。今の主の姿を、遡れば遡るほど薄くなる記憶の中の自分に置き換えていた。私の場合は右手にはカップラーメンだったが。大変だとは思うが少し羨ましいのは、学生時代あれほど嫌だった勉強をやればやるほど身になるものだとようやく気付き始めたからだろう。学校の勉強が全てではない。学校では教えてくれないことほど自分で積極的に学ばなければならないこともよくわかった。

 


学生の頃、特に小学校中学校の勉強で最も正とされていたのは、教師ではなく教科書。教科書を丸暗記さえできてしまえば全ての試験は満点だったろう。そう思えるほどに重要だったのにもかかわらず、大学の一部の、特にその授業の教授が執筆した教科書というのはどうしてああも分かりにくいのか。読解力の問題ではないと断言できるほど、見出しと内容がまるで合わないその教科書に、うんうん唸るのも仕方ないと思いつつも、寝る時間削って死ぬ気で頑張れと喝を入れてコーヒー入れて私はベッドに入った。

 


そして今日、起きた時にはすでに主は試験に向かい、テーブルの上には私のために朝ごはんが置いてあった。なんて、なんてできた嫁か、込み上げるのを堪えてふと勉強机を見ると、昨日忘れないようにと中身を念入りにチェックし準備していた、筆箱が置いてあった。

 


テストに筆箱を持たぬのは裸で戦場に向かうのと同じ事だと思う。どのタイミングで気づくだろうか。私が今から追いかけて行ってもまず間に合わない。電話には出ず、既読にならぬラインが主への試練は試験以上に大変なことになることを暗示しているように思えてならない。