立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

時代遅れの変わらないで欲しい定食屋

簡単に言うと不味く、曖昧に言うと一癖も二癖もある鯖の味噌煮を食べている時の、BGMで流れた演歌が胸にしみ、少しだけ涙がこぼれそうになった。


味 2、清潔さ 2、居心地 5。


仲がいいとか悪いとか、そんな次元は遠の昔に置いて来まして、話をせずとも目を見ればわかるんですよと、そんな雰囲気を醸し出す、老と言っては失礼にあたるかもしれない夫婦が営んでいる昔ながらの定食屋は、昼時に見ても客が1人か2人、最も多い時でも4人くらいで、そこまで大きなお店ではないのに広々と感じる、私にとってかけがえのない食事処である。


食べ終わってマンガを読んでても出て行けとは言われないし、1人の時に携帯でしばらく話をしていても嫌な顔をされず、だけども何故か禁煙なのは、たまに演歌と演歌の間に挟まるさだまさしくらいの意外性である。


厨房よりの壁に掛けられたカレンダーに目をやると、ポツリポツリと予定が書かれている。4日休み、11日休み、14日娘夜、18日休み、25日休み、29日昼息子、孫と。週一休みで娘、息子、孫との予定が一目でわかるカレンダーはこちらのご夫婦にとっては力の源、生きる活力、仕事するためのガソリンに違いない。


職場に私的なもの持ち込むんじゃないよ! ここは戦場だ、ガキや女が気安く踏み込んでいい場所じゃないんだよ! と、大友康平ばりの下っ腹にズッシリ響く低音で、昔の職人気質な旦那さんならきっと奥さんを怒鳴り罵っただろうカレンダーが、プロ意識という点では欠けていると言わざるを得ないのだが、私には微笑ましく、そして羨ましくも写った。


20年前と今で変わった事ってなんですか?


変わった事、、家族が増えた事くらいですかねぇ、目を細めながら答えるお父さんを想像して、いつまでも末長くと毎度心から願うのであるが、鯖味噌定食850円のお会計で、毎回必ず900円を要求され、聞き返すと訂正するのはどうしてなのか、ならもう900円にしちゃいなよと、言葉にできずモヤモヤしたまま帰路に着くのだが、きっとまた来るんだろうなあ。


味の旨さや見た目の良さだけじゃなく守りたいお店はたくさんあるし、やっぱり人柄が最も大切なのではと思った休日昼下がりでした。それでは。

 

きっとキャパオーバーである

今の京都は観光客が増え過ぎできっとキャパオーバーなのではないかと思うのである。森山直太朗さんの歌詞を借りれば、どこもかしこも駐車場ならぬどこもかしこもゲストハウスである。今現在京都に住んでいるとは言え、出身は小京都と呼ばれる金沢のある石川で、なぜにわざわざやってきたのと言われても仕方はないし、京都の人口を増やしている一人ではあるのだが、少しばかり言わせて欲しい。宿を少しでも増やそうとあの手この手でなんとかしようとしているのだろうが、観光名所付近の交通機関ももう少しどうにかならないかと思うのである。


車を持たず、基本は自転車もしくは公共の乗り物に頼っているのだが、公共の乗り物、特にバスで観光客と鉢合わせると、つり革確保もままならず、頼れるものは衰え弱っている自分の足腰だけで、前後左右に揺られながら不意のブレーキに耐えに耐え、パソコン入ったトートバックを左手に持ち替えることもままならず、息も絶え絶え汗だくだくでようやくようやく目的地。降りるのも一苦労で、私にとっては最も精神的に辛いのだが、言葉がわからぬ団体さんの間を、蚊の泣くようなすいません、ソーリー、エクスキューズミーで、運転手さんの干し芋ができあがりそうな乾いた、降りる人いますか? の問いかけに精一杯の上ずったおりまーすでようやっとゴールである。降りた時の疲労感、特に右腕の痺れ具合はこれから乗る自転車に不安を感じるレベルで、公共の乗り物に乗る正しい方法がわからない。決して旅行客のせいと言いたいわけではない、わけではないが、どうにかならないかと説に願うのである。


昔、旅行シーズンは飛行機の金額が大きく上がるから帰省できないという事を沖縄出身の人に聞いたことがある。故郷に好きな時に帰れないのはいかがなものかと、若さもありその人と共に嘆いたのではあるが、大きな組織に立ち向かう術と勇気と根性が足りない私にできることは何もないと早々と沖縄にもつながっている天を仰いだ記憶がある。


当事者にならないと本当の痛みはわからないもので、生活に必要な手段が旅行者などに奪われているケースは恐らくはよくあるのだろうと思うし、いかがだろうか。1時間に1本でいいので、住んでいる人専用車両を設けてみてはいかがだろう。わかっている、わかっています、考え浅はか、言うは易し行うは難しであることは。ただ弱者を守る社会であれば少しくらいは考える余地はあるのではと思った次第で、ひとりよがりの独り言である。予想通り、右腕に筋肉痛の予兆があるので、もっと軽いパソコンを探しながら眠ろうと思います。それでは。

天気と恋の行方

梅雨に入り雨が気になる季節になったが、ここの所うまい具合に雨を避けている。予報は雨でも車の中や電車で降られ、外に出ると嘘だったかのように雨が上がるということがここ数日間続いている。とある人に日頃の行いがええんやでと言われて私も悪い気はせず、ありやっす! と元気よく返事したのだが、なぜに日頃の行いで天気が決まるのだろうか。


ポイ捨てはしないし、灰皿がある場所でしか喫煙はしない、立ち小便なんてもってのほかで、野糞するくらいならオムツを履くし、コンビニでおつりもらって募金箱に入れることも少なくない。もしも、本当に日頃の行いで決まるのならば、毎日とは言わずとも29日くらいは雲一つない晴天のはずである。そもそも雨が気になり、傘どうしようかと玄関を出たり入ったりを繰り返す梅雨の天気が日頃の行いで決まってしまうのであれば、北海道を除くほとんどの人たちが悪い行いをしていることになるし、数ヶ月前、レンタカーを借りた時に限って猛吹雪だったのは、昔コンビニでバイトしていた時に、瓶ビールを落として割り、なけなしの金で弁償し、ビショビショのビール臭いパンツのまま深夜の勤務を一人で乗り切ったことで償ったと思っていたのだが、落として底が凹んだ缶コーヒーを見て見ぬ振りして陳列してしまったのが悪かったのだろうか。


もしかすると、そのコーヒーを買っていったのがプロポーズ前のイカした男子で、凹んだ底でバランスが取れないコーヒーが倒れてこぼれ、運悪くそれが彼女のためにしたためた渾身のラブソング十数曲が保存してあったパソコンだったとしたら、浜辺の夕日をバックに歌うはずだったのに、歌詞が出てこずギターのコードもままならずで、変にギャラリーができて失笑をくらい、彼女に思いを伝えるどころかあなた重いと言われ、それが原因で作れるはずであった幸せな家庭を作り損ねていたとしたらと思うと、今だに忘れることができない猛吹雪にも納得がいく。


軽く心が痛んだところで素敵な短歌が浮かんだので本日はこれにて失礼したいと思います。


コーヒーの 底の凹みを気にすれば 彼も私も もうフられまい もうフられまい〜


それでは。

やや乱暴な結果オーライ

自信のなさが行動に出ているのだろう。普段は2m先のアスファルトを見ながら歩くのが癖で、それゆえクソな飼い主が放置した大きな犬のフンは踏まずとも、元気ないねと言われることがたまにある。人と目を合わせるのが苦手なのも、多分、目が合うとダメな部分を見抜かれると、勝手にそう思っているのだが、そろそろ胸を張ってもいい頃だろうと思うし、もしかしたらこれをきっかけに何か変わるかもしれない。もしくは、すでに少しずつ変化が起きているのかもしれない。


さてやったるぞと、ハイクオリティ・妥協しないを心に刻んでブログを始めたとしても、最初の1週間で3本書くも次の一週間では2本となり、1ヶ月もすれば更新が滞る。得てして、ブログのほとんどはそんなもんである。生まれては消え生まれては消え、ミーハー女子のアイドルに対する儚い恋心の如く、悲しき運命となるブログが9割である。かく言う私も過去に、3本も書き終えずに葬り去ったブログが2つ程はあるのだが、そう考えると、当記事を持って100本目を迎えることができたことは、手前味噌ではあるが、大した成長である。


成長するための肥料は反省であると私は思うし、素直に悪いと認めることは大人として当たり前である。当ブログのノルマは、日曜夜〜木曜夜まで1本ずつ週5本の更新である。これは、電車やバスで通勤通学するサラリーマンや学生が毎日読めるようにというコンセプトの1つに基づくものなのだが、本当ならば、100本目の更新は昨日だった。今週日曜はどうしても更新ができない理由があり、やむなく断念したのだが、それを踏まえても100本目は昨日。昨日のはずであった。ひどく眠かったことは言い訳にはならないし、記事を作ったにもかかわらず更新を忘れてしまっていたのは、ご愛嬌ご愛嬌とお茶目にとぼけるほど軽んじていい状況でもないように思える。ただ、更新を忘れたおかげで99本投稿済みだったことに気づけたことは、やや乱暴ではあるが結果オーライで、嫁がどこで買えるのかもわからない謎の黒豆のお菓子食べながら、ちょっと運悪いけどなんだかんだうまくいくよねと励ましてくれるので、まあそんなもんかと思いながら、100本目に思いを寄せて、確実に増え続けるお腹周りのお肉を憎んで床に伏せたいと思います。それでは。

 

ポエムとレクイエム

恋患いとはよく言ったもので、相手を想えば想うほど、病と類似したやつが心身、特に心の奥を針のようなものでチクチクと攻撃しだし、夜は寝つけずご飯は喉を通らなず、無意識でなるお腹の音に絶望を感じさえもする。親の存在が鬱陶しくて仕方なく感じる思春期のそれであれば、ましてや1番触れて欲しくない繊細な部分を1番触れられたくないお母ちゃんにベタベタ触られ、激昂したという経験がある人も少なくないはずだ。


私もその内の1人で、この歳になると、仮に横に嫁がいないとしても、恋をすることはそうそうなくなるのだが、それでも過去には酸い恋や甘い恋、ほろ苦い恋など、人並み以下ではあるがオーソドックスに一通りは経験してきたつもりである。


片想い中は特に患うものである。仮に患ってしまった場合、集中力が著しく低下して、普通ができなくなる厄介な症状が出るため、受験を明日に控える2浪目の浪人生や、これからPK戦サドンデス6人目のキッカーを務めねばならないあなたは至急症状を改善する薬を探さねばならない。

 

1番の特効薬はもちろん告白で、劇薬にもなりかねないが、良薬口に苦し、時には甘しで、俗に言うハイリスクハイリターンな、医者に誓約書を書かされるレベルのそれである。そこまではリスクを追えない、できれば症状緩和程度で構わないという場合、そんな時に私がオススメしたくい手軽で簡単でよく効く良薬が、ポエム、である。自分の思いを吐露するも良し、共感できるポエムを何度も読み返すのも可で、同じ病の友達とで作ったポエムを読み比べるのは比較的オススメはしないとしても、とにもかくにも恋をしている男子女子には試してもらいたいのだ。


喉の奥がキュッとなるような、少し赤面するくらいのポエムをテキーラのようにクイっといくとよく効くのは、そもそもポエムは前進しようとする人、負け戦でも勝ち戦でも関係なく、敵のアジト見つけて突入する人に捧げる応援歌であるからなのではなかろうか。

 

恋の辛さと痛みを和らげたいあなたに、そんなキャッチフレーズがしっくりくるポエムだが、間違った使い方はして欲しくはない。


ポエムは独身限定、既婚者には使用は適さない。なぜかと言うと、既婚者だから恋が禁止というわけではないだろうし、人間ですもの抑制が効かなくなることもあり、禁断の恋という言葉も生まれるくらいだが、そもそも既婚者にはポエムよりも、墓場に適したレクイエムがお似合いだからです。それでは。

空虚感

プレゼントにいただいた化粧水を髭剃り後に使うようになったのが大きな理由なのだが、お肌の調子がなかなかに良い。いつもというわけではないが、真冬や乾燥した日なんかは、お風呂上がりなんかにカサつくなぁと思うことがあった。それが化粧水のおかげで潤いが足され保たれしているのだろう。男もスキンケアの時代だよと昔の私と同様に、お肌の状態に鈍感なメンズに髪をかきあげながらサングラス越しに教えてあげたいくらいである。


潤ったお肌とは反対にここのところ、何かが足りず、欠けているような気がしているのだ。かわいい女子からのラブレターや、出る見込みのなかった残業代が出たところできっとそれは満たされず、何か足りない何か足りないと思いながら毎日を消化していた。


足りないそれが何かわかったのは昨日のことである。いつも通りに布団に入ったはいいが、なぜか眠れず、スマホ触ったり目をつぶってみたり、考え事をしてみたりしているうちにすっかり夜が更けていた。時計をみると2時を回ったところ。私の住んでいるマンションは寂れた商店街で、夜中ともなると20m間隔の街灯以外ほとんど明かりがなく、街に住む人が皆近所の人を気遣っているかのような静寂につつまれる。思い出した。私はとにかく夜中が好きなのである。そして夜中を観察しているときに決まって、動物園のライオンの前の小学生のようにそわそわと心が踊るのである。


今私に欠けているのはロマンである。


女子でもお金でも温泉でもなく、ロマンである。幼き日に大好きだったスタンドバイミーのような冒険が、パサパサとは言い切れないにしろ、半日置いたペヤングのような今の心の化粧水となり潤い満ちるに違いないとは思うのだが、その前にお金と時間、そして何より面倒臭いと思ってしまっているので、夜中の街を散歩する程度に留めておきたいと思います。それでは。

心配性

身体中の穴という穴からというには少々大げさではあるが、普通に生活しているだけで目から耳からいろんな情報が入ってくるのは、テレビに加えてネットやスマホが当たり前になったことが要因のひとつであることは間違いない。便利なことは間違いないし悪いことばかりではないのだが、少々いろんなことに敏感になりすぎな情報が多すぎではないだろうか。


公園は毛虫が危険だからダメ、海はクラゲがきけだからダメ、家の中はダニでダメなら一体どこで腰を落ち着けたらいいのだろう。


泥酔女子を介護するあの男子と同じで、下心無し親切心一杯の注意喚起のつもりなのだろうが、少々恐怖心を煽りすぎではなかろうか。あれだけ、あれもダメこれもダメと言われたら何もできないし、何も触れたくなくなるし、だからと言ってしょうがなく家にこもっていたら、最近の若い子は楽そうでいいわねぇという嫌味ともとれる声がご近所さんから聞こえそうだしで、近頃少しばかり、去年夏には履けていたはずのパンツ同様、窮屈に感じているのである。


とは言いながら、私も防げるものは防ぎたいと思うタイプで、なったらなった時だろうと、数日前買った半額のカキフライをパクパクほうばる友人が羨ましくはある。


小心者と言われればきっとそうなのだろうと思うし、心配しすぎで損してると言われてもそうだとも思うのだが、今週末に久しぶりに地元で美味しいお魚食べる予定だが、ほんの少しだけ不安になっているのは寄生虫の映像を見たからで、美味しいものは美味しく食べたいのだが、帰省中に寄生虫を食べてしまわぬよう気をつけたいと思います。それでは。