立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

ナイスガイ

金も名誉も手に入れて世界のスーパースターの仲間入り、それでも幼馴染みと結婚しましたと聞いただけで、多分こいつはいいやつなんだろうなと思う。


バーで人を殴ったとか、フットボールの試合中に交代告げられてベンチで憮然とした態度をとったり、不要なタックルでカードもらったり、熱くなる性格が悪い方に出てしまい、大舞台で退場したこともあったが、それでも私はウェイン・ルーニーが好きである。


純粋に若い頃からストライカーに専念させていればきっとロナウドやメッシに引けを取らないくらい点を取れていただろうし、ディフェンスをやらせても一対一に強いし、チームのために働く頑張り屋だからそこそこやるはずである。要は万能型でいいやつなのである。


パワーとテクニックとスピードを兼ね備えたイングランド人の見本のような選手で、攻め一辺倒では決してなく、試合では前線から積極手に守備をして、相手選手を追って最終ライン近くまでチェイスすることも度々見られる。つまらないダイブはしないし、時間稼ぎと言われるようなうずくまってウネウネするようなシーンもほとんど見られない。悪童とか言われることもあるが、真摯にサッカーと向き合って、多分いいやつなんだろう。


マンUという超がつくビッグクラブで長い間エースとして看板を背負い顔にもなったし、代表の象徴としてナショナルチームを引っ張った。歴史にも名を残す名選手に違いはないが、FIFA年間最優秀選手賞バロンドールを獲っていない。好きという感情を抜きにはできないから尚更なのだが、ルーニーのような選手が世界一とされる個人タイトルを撮っていないことにはやり場のないなんとも言えぬ感情がふつふつと湧く。もし私がFIFAの偉い人だったら、ルーニーを推す。


「バケモノだよ、ロナウドもメッシも。どうせどちらかが選ばれるのだから、点以外でも貢献する選手に投票してもいいんじゃないかね。シャビとかイニエスタ、他には、、そうルーニーのような選手にね。たしか君は来年も私の部下として働きたいと言っていたね、ルーニーに入れなさい。そこの君は誰に入れるつもりかね、カズ? ミウラカズ? 彼は偉大なプレーヤーだが、オンリーワンであってナンバーワンではないね、ルーニーに入れなさい。君もルーニーに、君もルーニーに…」


職権乱用するし、圧はかけると思う。投票権が誰にあるかはよくわからんけど、とりあえずは右も左もわかってない若い奴ら集めて圧はかける。


彼のプレーや試合中の表情をみていると、何だか寂しくなることがある。プレー集をみている時なんか特にそう。哀愁漂ういいやつなのである。


もうすぐ32歳を迎えるルーニーは今夏エバートンに移籍し、同時に代表引退を発表してとうとうサッカーの最前線から退いた。エバートンルーニーがプロデビューしたチームだから最後に恩返しをという意味もあるようだ。義理堅いいいやつなのである。


ああルーニー、愛しのルーニーや。


来年、ロシアWカップでルーニーのいないイングランド代表を見て心に穴が空いたような気分になるのは言わずもがな。流行りの言葉は使いたくはないが世界各地でルーニーロスが起こるだろう。簡単にはルーニーの穴は埋められない。


ルーニーはロスした髪をたっぷりと植毛したが。

予知夢と思い出

本の文字が見えないくらいの薄暗い部屋に一人、目を凝らさずとも存在がはっきりとわかる、どこをとっても均一で薄い綺麗な黄色が食欲をそそる、ふっくらとした美しいだし巻き卵を、鳥と鰹でとった醤油風味のあっさりした熱々のお出汁に浸してハフハフしながら食べていた。浸せば浸すほどにほどけ始めるだし巻き卵をゆっくりと堪能したいが、お出汁に溶け出して消えてしまうんじゃなかろうかと、火傷覚悟、一心不乱で頬張る、という夢を見た。


夢はその時の精神状態や忘れていた記憶を映し出すことがあるようだが、薄暗い部屋、美しい黄色のだし巻き、あっさりお出汁が示しているものとは何だったのだろうか。部屋だし巻きお出汁、暗い美しいあっさり、部屋美しいお出汁、…頭の中に残っているワードとイメージを何度もいろんなパターンでミックスしても何も思い浮かばず、だし巻きとお出汁ってかぶってるなあという思惑が強く残ったのでその晩、だし巻きを焼いて食べた。


忘れることはもちろんあるが、起きた時に割とはっきり夢を覚えていることが私は他の人よりは多いと思うし、その夢に出てきたものに影響されてしまうこともある。高校の時、今から思えばタイプではなく意識をしたことのない女子を好きになったことがある。たった一度夢に出てきただけで好きになった。結局一度もその子と話すことなくその恋は始まりもせず終わったのは言うまでもないが、その子が目の端に入っただけで一人骨抜きになっていたのは懐かしい。トロけかけた片思いの思いでであった。


だし巻きしかり片思いしかり、現実の行動が夢から影響を受けていることは少なくない。そういう意味では、どちらも予知夢だったと言えるかもしれないし、仮に、他人の夢を操れる技術があれば、この世を思いのままに操れるようになる。昔そんな映画があったような気がするが、技術的にいつかはそれができる日が来るとしたら、夢の記憶が強く残るタイプの私は弱い立場に追いやられるのではなかろうか。もしかすると、すでにその技術はできているとしたら。今朝、なかなか取れない排水溝の汚れを、何度もなんども雑巾で拭きとろうとする夢を見たのだが…。…いやいや、考えすぎである。


たまには素敵な夢を見たいと思うので、いい匂いのする消しゴムを枕元に置いて眠ろうと思います。それでは。

カレーとリズム

しとしとと降っているのかいないのか、僅かな窓の隙間からの音では判断がつかないが、とりあえずスマホで雨雲を確認し、今日は自転車で行けるとふんで、ならもうあと10分横になれると枕に顔を埋めていた。瞬く間に過ぎた10分の目覚ましに半ばキレ気味で勢いよくスマホから充電器のコードを引き抜いて、トイレ済ませて上へ上がると、しっかり雨が降っている。


予定外の出来事は、砂や鉛の入った小袋を一つ、また一つと背負ったリュックに詰め込まれるように、心にズンとした重みが溜まっていく。水曜から木曜にかけてはちょっとしたことで簡単にガラガラガッシャンとバランスを崩して、ベッドに舞い戻りそうな程に疲労が溜まっているのは、まあ仕方がないとして、だとしたら給水所が必要である。ほとんど手ぶらで戦場に放り出されて、武器になるのはせいぜいメガネの柄くらいで、命からがら生き延びている戦士にも心のオアシスと呼べる憩いの場があってもいいだろう。


最近増えに増えている洒落たカフェやたばこ吸うのも気を使う洒落たバーなんかでは、ごゆっくりどうぞなんて言葉だけで、心が休まるどころかむしろ気をよけいに使いただただ疲れて帰るだけである。ならばやっぱりたまに行く、ボロボロの椅子を直そうとしないし、必要以上にやけに辛いカレーが美味しいあの純喫茶かと、少しだけ足をのばして出かけてみたが、そうでしたそうでした木曜定休でしたよねと。


そんなもんだとは思う。日々の生活にはリズムというものがあって、普通に暮らしていても徐々にリズムを崩すのに、普段しないことをたまにしようとするとそれがさらに裏目に出ることなんてざらである。


だからと言ってここで引いても状況が変わる気がしないので、どうせなら頭からつっこんでやろうと、コンビニでビーフカレーと冷凍のカレーピラフを買って家には帰ったのだが、ビーフカレーにカレーピラフをカケて電子レンジにぶち込んでやりましたよ。とにかく胃袋にカレーの類を一心不乱に流し込んで少しだけお腹を下したけれど、それでもビールもついでに美味しくいただけたのでリズムは崩しているけれど良しとしたい。


テレビで流れた石田ゆり子のCMだけで十分に癒されたと感じたところを見ると、まだまだ戦える余力があると見えるので、youtube石田ゆり子の動画を堪能して眠ろうと思います。それでは。

 

女子の仕草から学んだこと

長袖か半袖か悩んだ挙句、長袖にしといて暑けりゃ袖まくればいいやと、長袖のカッターシャツを着たはいいが、家を出て15秒で袖まくり、そのまま家に帰るまで一度も袖を下ろすことないまま七分袖で過ごすのは、結果、その日のデキを左右すると思えなくもない、朝起きて1番目の選択の1/2を外したからである。


もしも七分袖のシャツがあるならば、選択は1/3となり、確率の上では難しくなっているように見えるが、選択の上では易しくなる。だけども七分袖は余り得意なシャツではないので、やはり長袖を手にとっていたかと思うと、運命はハナから決まっていた、ということだろうか。


長い赤信号を待つ歩道で、半袖と長袖がほぼ同数見受けられる通勤中のサラリーマンに混じって、1人長袖カッターシャツの女子高生がスマホ、ではなく手鏡を目の高さまで上げて前髪を触っていた。


風が吹いては前髪直し、10秒経てば前髪気にし、後ろ振り向きまた前髪、前髪一つでどれだけ変わるんだよ、まったくかわいいな! と心の中で呟いた瞬間、目の前をゆっくり通り過ぎるバスの中の、多分観光している外国人の、小学生くらいの金髪少年の綺麗なガラス玉のようなブルーかグレーのキラキラした瞳と目が合い、ギクリとしてしまった。


決してその女子を不純な目で見ていたわけではないのだが、一生懸命に少しでも可愛くなろうとする可憐な乙女の想いを汚す権利は、例え心の中でだろうとも、誰にもない。


クオリティが高いとは、誰も気にしない細かな部分ですらも美しく仕上がっていることだと思う。であれば、その女子の1ミリも前髪のズレを許さんとするその姿は、瞬間瞬間で最高のクオリティを保持しようとする見習うべき姿勢ではなかろうか。


ガッキーに骨抜きにされている場合でも、おしぼりで顔を拭いている場合でもない。


今一度自分の身なりを一通り見直して、朝から大切なことに気づかせてくれてありがとう、今度は心でそう呟いて、全開だったチャックに気づくことができた。手遅れになる前で本当に良かった、身だしなみのチェックは大切だと思った平凡な日でした。それでは。

ドラマで面白いやつ

小中高で結末まできちんと見届けたドラマはせいぜい3本、ないし4本か。受験が終わった大学時代に持て余す時間をせっせと消費するかの如く気になるドラマはチェックするようにはなった。


それでも年4本がいいところで、社会人となり夜の時間、ネットサーフィンのお供にテレビではとりあえずドラマを流しておくのが習慣になっているし、当時の彼女で今の奥様が噂には聞いたことがあるハイテクノロジーの代名詞レコーダーとやらを使っているのを知るや否や、この人を嫁にもらおうと決意したし、ありとあらゆる番組を、特にドラマをとりあえずはキープしておけるやつじゃないかと、武者震いしたのを覚えている。


時が流れ今ではすっかりドラマ通である。ドラマ通と言っても昨今のドラマは〜、あの役者の使い道がね〜、などと唇曲げて小首傾げて評論する気は全くないし、ツウと言ってもどちらかと言えば痛の方かも知れないが、何でもいい、今回は少しだけ胸の内のモヤモヤを晴らしたい。


ドラマと言っても今じゃ星の数ほど世に放たれているが、ハッピーエンドかバッドエンドか、楽しいやつか悲しいやつか、ドロドロかカラッとか、などなど知らず知らずのうちに多数のジャンルにカテゴライズしていき、最終的に大きく分けられ5パターンくらいに絞られているわけである。


パターンが決まっていると言えばそうなのかも知れないが、何も悪いことではない。分かりやすく言うとカレーと同じである。


ココイチやゴーゴーのように、同じカレーを作っていても味が違えば香りも出来上がりの見た目も違う。パターンが決まれば本質も似てくるものだが、全く異なる存在なのである。


ドラマとカレーは全く一緒、ドラマティックなカレー、もしくは華麗なドラマが最強だと言うことがわかってもらえた所で本題である。


今シーズンのドラマで1番はハローハリネズミで間違いは無いはずなのだが、ヤフーやライブドアで取り上げられる話題はヘリか過保護ばかりだったと記憶している。どちらも素敵なドラマであることは間違いないのだが、それでもナンバーワンは揺るぎない。


どこが? とか、何で? とか、聞かれても表現しづらく、粋とかわびさびとかそのレベルなのである。まあ、簡単に雰囲気が好きってことで大丈夫です。本当ならあの部分が良かったとか、心に沁みたあの部分のこととか話したいのだが、わかってもらえる人とだけ、ウイスキーでも飲みながら語り合いたいと思うのです。それでは。

下りるも地獄上るも地獄

どちらかと言えば心地良いよ、とでも言ってしまえば聞こえはいいのだろうが、どう考えても割には合っていない。何かを得るため、代わりに何かを失うのは不思議なことではないし、逆に何かを失う時に何かを得られることがあっても、きっとおかしくはない。


1月からカウントして早9ヶ月が経ち、目の前には10ヶ月目が待ち構えていることから察するに、どうやら約10ヶ月越しで今年立てた目標の一つをスタートさせることに成功したようである。


昨日朝早く、浮き輪の如くみるみる膨らんで行く私の腹回りとの関係に終止符を打たんとするため、ついにジョギングを開始した。


始める前に、久しぶりの運動で気をつけたいのがアキレス腱である。きっと古いゴムの如く柔軟性は若さと共に失われ怪我のリスクはマックスだけに気をつけたいところ。アキレス腱をはじめとする脚部を中心に入念なストレッチをして、ジョギング開始である。


走り出して5分も経てば切れる息と吹き出す汗、脚に溜まる乳酸に、ああこれこれ、こんなんだったわと懐かしさと爽快感を堪能していた。

 

時間にして30分程の帰宅ではあるが、全身に漂う心地良い体の疲れが何よりのご褒美である。ただの水道水がたまらなく美味しく、安物のクッションが行ったことのないリゾートホテルを感じさせてくれる。わかりやすくリスクに見合ったリターンを得られるのがジョギングである。


それが昨日で、問題は今日。昨日がバカンスなら今日は寝袋を忘れたキャンプである。来るとは思っていた遅れてやってくるリスク、すなわち筋肉痛が予想以上にハードで、階段を上るも地獄下りるも地獄。

 

寝室便所風呂が下の階、キッチンリビングが上の階のこの家では、昨日のバカンス気分はどこへやら、学生時代に嫌いだった先生に手紙の一つも書けば少しは痛みから離れられるのではとすら思う。


「大人な近況報告」をテーマに拝啓から始まるその文章の中で、冗談だと笑って受けとめてもらえる程度のスパイスを加えて、当時の高校生活のエッセンスを皮肉たっぷりにしたため、今の弱った状態の報告も忘れずに、最後はやっぱり敬具でしめて、押し花の一つでも添えて送りたい。


あまり親しくもない元生徒から突然手紙が来たらどう思うだろうか。宗教かネズミ講か、はたまた犯罪の予告だろうか、などと不安になるに違いはないが、弱音を吐露した元生徒を少しは哀れんでくれるだろうか。


いろんなリスクを孕むのだろうがリターンにはぜひ優しく包むように、できれば女子に抱きしめて欲しいとそう思うほどひどい筋肉痛である。皆様はクールダウンも忘れずに。それでは。

 

非科学的なこととロマン

一応理系の出身だからというのはあるが、科学的に証明できないものは信用してない。ロマンという意味で可能性を0にはして欲しくない(したくない)という思いも確かにある。確かにあるが、証明できない都市伝説的なものの中でドッペルゲンガーは信じていなかった。芥川龍之介は好きだが、ドッペルゲンガーのせいで早くに死んだ説とか興味深くはあるけれど、人に話せる内容ではないと思っていた。


仕事で先々月くらいに他部所の人から、時間がある時でいいからやってよ、お願いと言われていた時間と手間のかかる超がつくほど面倒な仕事があった。長い間後回し後回しにしつつ、正直やる気のやの字も起きないが、だけどやってしまわないといかんなと頭の中でふわふわと浮かんでは消え浮かんでは消えしていた案件で、面倒だから年内に、できることならなかなかやろうとしない私に見かねて自分たちでやってくれたら…そう思っていた。


先週末にその人に呼ばれて、ああ、あの仕事のことだろうなあと、何て言って先延ばししようかと言い訳を探していた。うまい言い訳が思いつかないまま、要件を聞くと予想外れてそのことではなく全くの別件だったので、逆に申し訳なくなりあの件ですがとこちらから切り出したのである。その時にその人の表情が曇るのを見逃さなかったし、えも言えぬ珍妙な空気になった。


何か? と尋ねるとその仕事この前やってくれましたよね、ほらっと見せてくれた。


全く記憶にないのである。嫌な仕事であればあるほど、記憶には残るものである。いくら最近自分の記憶力が非常に頼りないと言っても、しかしここまで記憶がないなんてことはあるのだろうか。誰か他の人がやったとしか、、だがその人曰く、お願いした時に私がここでささっと終わらした、らしい。記憶にないんだけどなあと思いつつふと一つの仮説が頭の中に浮かんだのだが、痛いやつと思われるより、謙虚なやつだと思われた方がラッキーではあるし、言葉には出さずその場を後にした。その言葉とはそう、ドッペルゲンガーである。それしか可能性はないと思うのだが、もはや答えが出るわけがないので、ロマンという言葉を便利に使わせてもらって真実を宙ぶらりんにしておくことにした。


さて、すっかり夜になり明日の仕事に備えて眠りたいところですが、自転車で京都駅まで行って駐輪場に停め、買い物を終えて電車で帰ってくるというミステイクをしてしまったので、これから再び京都駅行ってきたいと思いますので、本日はこれにて失礼いたします。それでは。